15日付のスポニチに掲載されたカズのインタビューを興味深く読んだ。
「JにはV川崎とカズが必要」――まったくもってその通りである。いまのJにはジャイアント・チームがいない。サッカー界を超えて認知されるスーパースターがいない。
 代表チームに対する関心、注目度が落ちていないことから考えても、サッカー人気自体が落ちているわけでもない。にもかかわらず、Jの約半数のクラブが赤字を抱えているという現実がある。あの時のヴェルディ的なチームがあれば。カズ的な存在があれば。そう考えるファン、チーム関係者は少なくないはずだ。

 では、そうした存在を生み出すためにはどうしたらいいのか。

 間違いなく言えるのは、あの時のヴェルディ、あの時のカズは、「Jリーグ的精神」から生まれたものではない、ということである。

 Jリーグが発足から現在にいたるまで、重要な基本的理念の一つとしているのが地域密着の発想である。だが、そこにとらわれすぎては支える企業側のメリットがないと、真っ向から反旗を翻したのが読売グループだった。Jにとって、ヴェルディは自分たちの理念を否定しようとする象徴であり、ヴェルディにとって、Jは可能性を規制で縛ろうとする存在だった。

 ヴェルディ的な発想の広がりを食い止めるために、Jは地域密着の浸透に心血を注いだ。地域に密着しようとする努力よりは、選手に対する投資を重要視したのがヴェルディだった。Jリーグ創成期の異常なまでの盛り上がりは、Jリーグと読売グループの双方が、目指す方向の正しさを証明するために意地を張り合ったことで生まれたものでもあった。

 あまりに違いすぎる両者の主張は、決定的な破局につながっていてもおかしくはなかった。Jには企業名を外さないヴェルディをリーグから除外するという選択肢があった。嘘か誠か、ヴェルディがJから独立して新たなリーグを旗揚げするという記事を読んだ記憶もある。

 だが、破局は訪れなかった。互いに対する不満は抱えつつも両者は共存し、やがて、ヴェルディが勢いを失ったことで……Jに対抗する勢力はなくなった。

 地域密着を軽視しすぎたゆえの失地を、いまもヴェルディは回復できずにいる。結果、あの時の彼らがやったチームづくりの手法すべてが否定されてしまった感がある。巨費を投じて選手を集める、という手法までも。

 個人的にはまったく実感がないが、どうやら日本経済は回復の傾向にあるらしい。ここのところ足踏み状態の続いた感のあるJリーグにとっても、新たな飛躍を遂げる好機である。

 では、再飛躍のために必要なのは何か。わたしが期待したいのは、Jに物を申すクラブの出現と、それを呑み込むJの度量である。

<この原稿は13年5月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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