現在、セ・リーグの首位を独走し、連覇を狙う巨人には、阿部慎之助、坂本勇人、長野久義、内海哲也、澤村拓一、山口鉄也……と、日本を代表するメンバーがズラリと顔をそろえる。そんな彼らもまた、プロ入り後のスタート地点は「ジャイアンツ球場」だった。1月の新人合同自主トレーニングでは、ドラフト1位から育成選手まで、全員がジャイアンツ球場で同じメニューをこなす。つまり、巨人生え抜き選手にとって、そこは原点でもある。そのジャイアンツ球場の整備・管理をしているのがグラウンドキーパーだ。今回は、一軍を目指して汗を流す選手たちを陰で支えるグラウンドキーパーに迫る。
 朝一番、ジャイアンツ球場に姿を見せるのが、グラウンドキーパーだ。練習や試合の2時間以上前に開門・開場をする。練習日には早出で自主練習をする選手のために、早速整備にとりかかる。一方、試合日には天候を見て、決行か中止か、早めの判断を下さなければならない。

 天候にもよるが、基本的には整備は散水から始まり、マウンドやブルペンをトンボで均し、ラインを引き、防球ネットを上げる。さらに風でベンチの椅子に砂がかかっていれば、モップで拭くこともある。そんな小さな気遣いは、すべて「選手が気持ちよく練習に専念することができるため」だ。練習の合間にも、マウンドや内野をトンボで均し、常にベストな状態を心掛ける。守備練習が終わり、次にバッティング練習となれば、マシンや防護ネットなどのセッティングにとりかかる。

 そんなグラウンドキーパーならではの視点が、練習や試合の最中にある。2001年からジャイアンツ球場のグラウンドキーパーを務める中村一知はこう語る。
「シートノックの時などには、打球の跳ね方を見たりしますね。打球が変な方向に跳ねていないか。あまり、あちこちに跳ねてしまうようであれば、グラウンドが固いということ。そういう時は、合間の整備でその部分を入念にやるようにしています」

 とはいえ、軟らかければいいというものでもない。
「あまり軟すぎてもダメなんですよ。特に、横の動きを伴う打球の場合、捕って送球する際に、グッと足で踏ん張りますよね。その時に軟い状態では、踏ん張りがきかなくなってしまう。踏ん張れるくらいの固さは必要なんです」

 では、どんな状態のグラウンドが最も良いとされるのか。
「固い土の上に、薄く砂が乗っている状態ですね。固い土だけだと、バーン、バーンと打球が真上に跳ねてしまう。でも、その上に少し砂があると、打球が素直に跳ねるんです」
 そこには、グラウンド状態はまったく介入しない、ピッチャーとバッター、そして野手と打球との純粋な勝負の場を提供したい、というグラウンドキーパーの思いが込められている。

 キーパーとしての心得

 グラウンド整備の方法は、各球場によって少しずつ異なるという。基本的には同じだが、その球場によって、さまざまな工夫が凝らされている。ジャイアンツ球場で4年前から使用され始めたのが、「タコ」(写真)である。これはマウンド上の土をしっかりと固めるために使用される用具だ。以前からジャイアンツ球場にもあることはあったが、それほど頻繁には使われてこなかったという。それが09年のあることがきっかけで、マウンドの整備には欠かせない用具となった。
(写真:「タコ」を使って、マウンドを固める)

 そのきっかけとういうのが、09年3月に行なわれた第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だ。当時、日本代表の指揮官を務めたのが原辰徳監督である。その年の2月のキャンプ、原監督からある要望が出された。それは「WBCの決勝ラウンドの舞台である米国と同じような固いマウンドを作ってほしい」というものだった。そこで使われたのが、「タコ」だった。

「毎年、キャンプでは手伝ってもらっている宮崎の方と一緒に作ったんです。機械でやることもできますが、やっぱり手でやった方が隅々までしっかりとやれますからね。そういう意味では、このタコが一番いい。キャンプ後も、宮崎から持ち帰ってきて、ジャイアンツ球場で使うようになりました。足で踏み固めていただけの時はピッチャーから『ちょっと軟いんじゃないの?』と言われたこともありましたが、タコを使うようになってからはほとんど言われなくなりましたね」

 中村がジャイアンツ球場のグラウンドキーパーになって、今年で13年目を迎えた。宮崎県出身の中村は、大学入学の年の春、知人の紹介で巨人の宮崎キャンプの手伝いをした。それがきっかけで毎年のように声をかけてもらうようになったという。そして就職活動中、思いがけず球団職員としての話が浮上した。

「ちょうど、グラウンドキーパーの方が1人、定年退職するということで、声をかけてもらったんです。最初は『まさか』と思いましたよ。宮崎に住んでいる自分が、東京の、しかもあの巨人軍の職員になれるなんて、信じられませんでした。僕も高校までは野球をやっていましたし、野球関係の仕事に就けたらと思っていましたから、願ったり叶ったりでした」

 それから13年、中村はあることを守り続けてきた。それは「選手の気持ちになって整備すること」だった。例えば、マウンドの整備の時には、そこで実際に投げるピッチャーの気持ちを考えるという。
「ブルペンで投げるのは1人だけじゃありませんから、実際にはいくらきれいに整備しても、少しずつスパイクで掘れてしまうんです。でも、少しでもピッチャーには気持ちよく投げてもらいたい。特に1球目。これは僕の考えですけど、やっぱりその日の1球目を気持ちよく投げられるかどうかで、その後の気分も変わると思うんです。そういうふうに考えると、1日も手を抜くことはできないんです」

 それがグラウンドキーパーの矜持でもある。そして、中村をそんな思いにさせるのが、一軍を目指してひたむきに努力する選手の姿である。朝一番に球場入りするのがグラウンドキーパーなら、最後に球場を後にするのもグラウンドキーパーだ。そんな彼らだからこそ、見てきた数々のドラマ。中村にもまた、忘れられないあるピッチャーの姿がある――。

(後編につづく)

中村一知(なかむら・かずとも)
宮崎県出身。高校まで野球部に所属。大学1年春から巨人の宮崎キャンプで手伝いのアルバイトをしていたことがきっかけで、大学卒業後、グラウンドキーパーとして球団職員となる。今年で13年目を迎えた。

(文・写真/斎藤寿子)
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