コーカサス山脈の南に位置するグルジアでチタオバという民族格闘技を見たことがある。選手は厚手のチョッキとパンツ、それにレスリングシューズを履いて戦う。
 スタイルとしては日本の相撲よりも韓国のシルムに近いかもしれない。過去、多数の五輪メダリストを輩出しているグルジアは柔道強国としても知られるが、そのベースには、このチタオバがあると言われている。

 本書(講談社文芸文庫)の著者によればシルムとそっくりなのが沖縄相撲であり、ほとんどルールに手を加えることなく取り組めるほどだという。私も韓国でシルムを観たことがあるが、筋骨隆々の若者がサッパと呼ばれる紐を太ももから腰に巻きつけて互いに持ち合い、力と技を競う。その様は、まさにチカラビトと呼ぶにふさわしいものだった。

 大相撲に目を転じれば、今年の九州場所は東の横綱が白鵬、西の横綱が日馬富士だった。角界の頂点を極めた2人のチカラビトが、ともにモンゴル人であることを歴史の必然と言うつもりはないが、今にしてみれば四半世紀以上前(初版は1985年刊行)から著者は、これを予見していたのではないかとさえ思えてくる。

<チカラビトはいつ、どこで生まれたか。草原と砂漠のまじりつつ果てもなくつらなるアジアの北辺、現在の地図でいえばモンゴル共和国のしめているところだったであろう>という書き出しで始まる本書は、さながら「相撲の考古学書」である。惜しげもなく披歴される著者の知見と論考は目からウロコの連続だ。

 一例を引こう。火事の多かった江戸が火の海に包まれたのは今から355年前も前のことだ。旧歴の1月、北西からの強風にあおられ、まちの6割以上が焦土と化し、10万人を超えると言われる人命が失われた。明暦の大火、俗にいう振袖火事である。

 江戸時代、勧進相撲の拠点となる回向院は、時の将軍・徳川家綱が身元不明の遺体を埋葬するために設けた「万人塚」を起源とする。
<相撲もまた江戸市民にとって、花火や水垢離と同じ意味を持っていた。法界の諸仏、わけても金剛力士への信仰にもとづく、鎮魂のパフォーマンスであった>

 これを知れば、国を挙げて東日本大震災からの復興に取り組んでいる現在、年6回の本場所のひとつを被災地の東北に持ってくるくらいの度量がチカラビトの集合体である日本相撲協会にあってしかるべきだろうと、つい言いたくもなる。

 言うまでもなく、相撲の四股には邪気払いの意味も込められている。神事を通じて霊を慰め、大地を鎮め、五穀豊穣を祈念するチカラビトの雄姿が今ほど求められている時はあるまい。
「力士漂泊」 (宮本徳蔵著・講談社文芸文庫)

<上記は2012年11月28日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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