スポーツにおけるビジョン・トレーニングの有用性は、今では世界中で認められているが、本書(前田啓子訳、大修館書店)はその走りではなかったか。ここで披露される調査結果と研究成果は、文字どおり目からウロコの連続だった。
 では、なぜビジョン・トレーニングは必要なのか。野球を例にとろう。初速150キロ前後のボールはホームベースに近付くにつれて減速しているとはいえ、手元では落ちたり曲がったりと不規則な変化をする。打者はどれだけ体を鍛え上げても、あるいは素振りを繰り返しても、ボールの情報を正しく把握しておかなければ、バットの芯に当てることはできない。つまり視覚機能の面で問題のある打者は大成しないと言える。

 テッド・ウィリアムズと言えばメジャーリーグ最後の4割打者だ。彼の動体視力はズバ抜けていた。セネタースの監督をしていた時のことだ。年齢は54歳。練習中、ウィリアムズはバットに松ヤニを塗って打席に入った。

 打球を飛ばした後で審判にこう告げる。「縫い目のところだ」。審判がそのボールをチェックすると、事実、縫い目にべったりと松ヤニがついていたという。この時の審判はメジャーリーグきっての名物男ロン・ルチアーノ。以上はルチアーノが自著で明かした驚愕のエピソードだ。

 日本球界にも自らの目に絶対的な自信を持つ強打者がいた。通算868本塁打の王貞治だ。かつて「新潮45」に“眼”と題した、こんなコラムを寄せている。<僕は自分の“眼”を切り札にするために、人一倍の努力をした。練習ではブルペンに行かなかったことはない。投球練習をする投手にことわり、バッターボックスに立たせてもらって、ボールを見る訓練を続けた>。大記録の陰には、知られざる工夫と努力があったのだ。

 一口に視覚機能といっても、動いている対象を視認する動体視力、その中でも、より瞬発力が問われる瞬間視力、あるいは距離感を把握する深視力など多岐にわたる。
 本書がアスリートにとって慈雨とも言える仕上がりになっているのは、単なる調査結果や研究成果の報告にとどまらず、視覚機能の具体的な改善策を提示している点にある。

 簡単なドリルとしては運転していない時に対向車線を走っている車のナンバープレートを視認する。これだけでも動体視力の向上に役立つというのである。そう言えば、新幹線に乗った際、通過駅の駅名を読み上げることで瞬間視力を鍛えていたアイスホッケーのゴールキーパーがいた。どこから飛んでくるかわからないパックに対応するための備えとして、このドリルは有効だと語っていた。

 視覚機能の向上なくして勝利なし、成長もなし。それが本書の結論である。
「トップ・プレーヤーの目」 (A・サイダーマン、S・シュナイダー著・前田啓子訳・大修館書店)

<上記は2013年1月30日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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