いよいよ残り約1カ月と迫ってきた第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。佐藤尚にとっては、指導者としてちょうど20回目の箱根となる。彼が母校である東洋大学駅伝部の監督となったのは、今から19年前のことだ。当時、東洋大は低迷時期にあった。箱根でシード権を取れない年が続き、改革を求めて指導者を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが、佐藤だった。彼は地元の秋田県でサラリーマンとして働く傍ら、秋田工業高校で陸上部のコーチをしていた。
「誰も監督をやりたがらなくて、引き受け手がいなかったんじゃないかな。まぁ、とにかくシード権を取れるようになるまではやってみよう、という気持ちで引き受けました」
 その目標は、就任3年目で達成された。1997年1月、東洋大は7位に入り、84年以来、実に13年ぶりにシード権を獲得。12年後、初の総合優勝達成に向けた第一歩を踏み出した瞬間だった。

 7年半、監督を務めた佐藤は2002年、川嶋伸次に監督のバトンを渡し、スカウト兼コーチとなる。それまで片手間にしかできなかったスカウト活動を本格的に行ない始めたのは、この時からだった。そんな佐藤には、今も貫いているこだわりがある。それは記録よりも、自分が選手を実際に見て、話しをし、そしてどう感じるかを重視することだ。

「高校で指導している頃に感じていたのは、悔しい思いをしても、なお継続して走る選手は強くなるということ。悔しい思いを糧にして努力するというのは、教えてできるものではありませんからね。もちろん、もともと強い選手は強いとは思いますが、中途半端にいい記録を持っている選手よりも、悔しさをバネにして努力している選手の方が鍛えがいがあるんですよ。だから、私は記録だけでは絶対に判断しません。それはこれからも同じです」
 毎年のように優勝候補に東洋大の名が挙がるようになった今でもなお、佐藤のスカウティングのベースは変わってはいない。

 直感を信じ抜くことの重要性

 佐藤は高校1、2年での成績や様子を見て、毎年4、5人ほどに絞っていく。そして、コミュニケーションを交わしながら、東洋大のカラーに合った選手か、今のチームに必要な選手かを見極めていく。
「エリートだけを集めても、箱根では勝てません。もちろん、強い選手を欲しいのは事実ですが、核となる選手が何人かいればいい。それよりも違う色の選手がいた方が、お互いに刺激し合って、強いチームになるんです」

 佐藤は秋田工のコーチ時代から含めると、スカウトとしての経歴は30年以上になる。これまで積み上げてきた“目”で、いくつもの原石を見つけてきた。柏原竜二しかり、市川孝徳しかり、成績や記録などではなく、その走りを見た際の直感が佐藤のスカウティングには欠かせない。

「昨年、初めて箱根を走った現在3年の淀川弦太は、秋田中央高校時代、5000メートルは県で5番目か6番目。もちろん、全国ではまったくの無名選手でしたよ。その淀川が、昨年は箱根のメンバーにしっかりと入ってきた。高校時代、彼の走りを見た時に、何か感じるものがあったんです。『大学で走らせたら、面白そうだな』と。でも、なぜそう感じたのかと言われると、言葉にするのは難しい。いわゆる感覚的なものなんです」

 無名の田口、2年連続区間賞

 佐藤はこれまで何人もの選手を見て直感を走らせ、スカウトしてきた。その中で、高校時代の悔しさを糧にして伸びた選手は少なくない。そのひとりが、現在3年の田口雅也だ。田口は日章学園時代、1、2年時に全国高校駅伝に出場している。だが、最後の3年時に彼は、どこもケガをしていなかったにもかかわらず、メンバーに入らなかった。
「監督がかわって、指導方針がかわったことが影響しているようですね。彼は性格的に合う、合わないがはっきりしていますから」

 3年時に結果を残すことができなかった田口に声をかけたのは、佐藤ひとりだった。佐藤は1年時から田口に目をかけていた。
「1年の時の国体で初めて彼の走りを見た時に、『この選手には強くなってもらいたい』と思ったんです。クセのない走りでかたちが抜群に良かった。2年の時に、彼と実際に話をしてみて、さらにいいなと思いましたよ。たわいのない話の中で、なかなか機転の利く子だな、と。ところが、3年になって本来の走りができなくなっていた。それでも私は彼をずっと追いかけてきた自分の目を信じたんです」

 東洋大の入学した頃の田口は、練習では同級生の中で最も走れなかったという。さすがの佐藤も「あれ、こんなに弱かったかな」と驚きを隠せなかった。だが、練習を繰り返し行なうことで、田口は徐々に力をつけ、夏前には佐藤の目にも彼の成長が見てとれた。翌年、田口は初めての箱根で4区を走り、1年ながら区間賞を獲得。東洋大3度目の優勝に貢献した。さらに今年の箱根では1区を任され、再び区間賞に輝く走りでチームを牽引したのだ。
「田口の活躍は、高校時代に味わった悔しさも多分に影響していると思いますよ」
 柏原竜二、市川孝徳に続いて、田口もまた、佐藤によって輝ける場所へと導かれたのである。

 高校時代までまったくの無名だった選手が、エリートの中に割って入る――そんなシーンが見られるのも、箱根の醍醐味だ。それは佐藤のようなスカウトの存在なくしては生まれない。果たして、約1カ月後の90回大会ではニューヒーローは誕生するのか。原石が光り輝く瞬間を見逃してはならない。

(おわり)

佐藤尚(さとう・ひさし)
1953年4月29日、秋田県生まれ。秋田工業高時代は中距離選手として活躍。東洋大では陸上部のマネジャーを務めた。卒業後、故郷でサラリーマンの傍ら母校の陸上部を指導する。94年に東洋大監督に就任し、2002年からはコーチとしてスカウト活動も担当する。09年、監督代行として箱根駅伝で初の総合優勝に導く。同年3月からコーチに戻り、現在に至る。

(文・写真/斎藤寿子)
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