「2年目のジンクス」――昨年、プロ2年目を迎えた内山靖崇は勝てない試合が続き、自信を失いかけていた。前半は好調だった。春は亜細亜、筑波とフューチャーズで2回優勝し、地元開催の札幌フューチャーズではテニスを始めた時からの憧れだった同郷の先輩、鈴木貴男を準々決勝でストレートで破り、そのまま決勝へ進出。優勝こそならなかったものの、大きな手応えをつかんでいた。順調にランキングも上がり、内山は夏以降、フューチャーズよりもワンランク上のカテゴリーの大会、チャレンジャーにも出場するようになった。ところが、途端に負けが混むようになったのだ。しかも、1、2回戦での敗退が続いた。
「なんとかして勝ちたい……」
 焦りばかりが募り、もがけばもがくほど、内山はトンネルの奥へと迷い込んでいった。
 年が明けても、内山はなかなかトンネルを抜け出せずにいた。
「これまでのテニス人生で、ここまで長い間、苦しい時期を過ごしたことはなかったですね」
 ようやく明るい兆しが見え始めたのは、今年の夏だった。周囲からのアドバイスによって、少しずつ考え方が変わっていったことが、プラスに働いたという。

「それまでは目先の結果ばかりを求めすぎて、負けたから全てダメ、としか考えていなかったんです。でも、『試合には負けたけど、こういうところは良かった』と思うようにしたら、ポジティブに考えられるようになった。そして、テニスのことを考える時間も増えるようになって、これまでは負けたことを悔やんで終わっていたのが、『ここは、良かった。でも、こういうところは足りなかったな。じゃあ、こうしていこう』というふうに考えられるようになったんです」

 2009年から内山を指導するコーチの増田健太郎も、夏以降、彼の変化を感じていた。
「これまでの内山は、いわゆる“出待ち”だったんです。こちらから言わないと、自分から行動することはほとんどなかった。ところが夏以降、変わりましたね。例えば、その日の練習でサーブがあまりうまくいかなかったとします。これまでは私が『今日、サーブ良くなかったね』と言うと、『はい……』と落ち込むだけ。『じゃあ、いつ練習するの?』と言うと、ようやく『今からやります』と言う感じだったんです。ところが今は、自分から『サーブを見てもらえますか』と言うようになった。コート外でも試合で対戦する選手の動画を見て研究したりするようになったり……。トレーナーからも『随分としっかりしてきたね』という声があがってくるほど、夏以降の彼は変わりましたね」

 エース16本で真の武器に

 増田が初めて内山のプレーを目にしたのは、内山が15〜16歳の頃だ。当時、内山は米国を拠点としていたが、一時帰国してナショナルトレーニングセンターで練習をしていたのだ。
「才能あるジュニアがいるということは聞いていました。実際に見たところ、噂通り日本人離れしたいい体格をしていて、パワフルなショットやサーブを打っていた。これはすごいなと思いましたよ。体格は練習や努力で身につけられるものではありませんからね。彼には身体的に恵まれている部分がたくさんありました」

 それから3年後、拠点を米国から日本に移した内山は、知人を通して増田を紹介してもらい、師事するようになった。直接指導するようになって、増田は内山の意外なもろさを感じたという。
「確かにパワーやスピードはありましたが、基礎的な部分、特にコントロールの精度はあまりなかったんです。正直、普通のレベルよりも低かったですね。おそらく子どもの頃から同世代よりも身体が大きかったので、パワーやスピードだけで勝つことができていたんでしょう。でも、プロではそうはいきませんから、徹底的に鍛えましたよ」

 内山の武器は、183センチの長身から繰り出される威力あるサーブだ。日本人選手では “ビッグサーバー”のひとりと言っても過言ではない。だが、コントロール力が欠けていたため、そのサーブが武器になり切れていなかったと増田は語る。
「いくら速いサーブを打っても、ここぞという大事なところでエースがとれなかったり、ダブルフォルトになったり……。武器なのか弱点なのかわからない感じだったんです」

 そこで増田は練習の最後にサーブの特訓を課した。フォアハンド、バックハンド、それぞれに2カ所ずつ、計4カ所にポールを置き、その全てに当てるまでサーブ練習を終えることを許さなかった。長い時にはそのサーブ練習だけで1、2時間かかったこともあったという。だが、その成果が今、はっきりと表れている。今年11月、愛知県豊田市で行なわれたダンロップワールドチャレンジテニストーナメントに出場した内山は、初戦で関口周一と対戦した。そこで内山は、自分よりもランキングが上の関口を相手に、なんとサービスエース16本をマークし、6−3、6−2でストレート勝ちを収めたのだ。増田はその試合で、内山の成長を改めて感じた。

 才能の高さは錦織並み

 内山のプレーを初めて目にした際、すぐに頭に浮かんだ選手がいる。世界のトップ10にあと一歩と迫っている錦織圭だ。内山と錦織とでは、5センチの身長差があり、プレーのスタイルも異なる。では、どこが似ているのか。それはスイングのかたち、そしてステップの踏み方だ。内山にそのことを告げると「スイングはよく言われるが、ステップは初めて言われた」という答えが返ってきた。そこで、増田に訊いてみると、「その通りです」という答えが返ってきた。

「錦織選手の足の動きは見ての通り、無駄がなく、非常に素早い。世界のトップ選手でも、簡単にまねができるものではありません。その錦織選手に内山が似ている動きをするというのは、それだけ彼の運動能力が錦織選手並みに高いということなんです」
 内山には世界へ羽ばたく素質が十分にある。

 現在、内山が胸に秘める将来の目標は、グランドスラムでベスト8以上の成績をあげることだ。まずは来シーズン、グランドスラムの予選に出場可能な目安となる260〜270位にまでランキングを上げていかなければならない。そのために必要なことを訊くと、彼はこう答えた。
「予選出場まで、あともう一歩のところにきている。ここまできたら、あとはどれだけ努力するかで変わってくると思っています」

 実は増田もまったく同じことを語っている。
「これからはチャレンジャーで勝って、ランキングを上げていかなければいけません。その道筋は見えつつあります。あとは、どれだけ自分から努力してやっていけるかにかかっていると思いますね」
 いかに2人がしっかりとコミュニケーションを図れているか、そして内山の増田への信頼度の高さ、そして増田の内山への期待度の高さが一致していることの証にほかならない。

 内山靖崇、21歳。プロ3年目の今シーズンは自覚、責任、実力を身に着け、着実に世界の舞台へ上がる準備を進めてきた。来シーズンは飛躍の年とし、日本人選手として錦織に続く世界トッププレーヤーへの階段を1段でも多く昇るつもりだ。近い将来、「Yasutaka Uchiyama」の名を世界にとどろかせるために――。

(おわり)

内山靖崇(うちやま・やすたか)
1992年8月5日、北海道生まれ。小学2年からテニスを始め、6年時には全日本選抜ジュニア、全国小学生選手権、全日本ジュニア選手権の3冠を達成した。中学1年から4年間、ニックボロテリー・テニスアカデミーに留学。中学2年時にエディー・ハー大会14歳以下シングルスで優勝。2010年より拠点を東京に移し、同年世界スーパージュニアでシングルス、ダブルスに2冠に輝く。11年、プロに転向し、北日本物産に所属。今年2月の国別対抗戦デビス杯で日本代表デビュー。楽天ジャパンオープンでは錦織圭とダブルスを組んだ。


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(文・写真/斎藤寿子)
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