「シャー!」「ナイッショー!」と体育館にこだまする声。言葉の主は、日本ユニシス実業団バドミントン部男子チームの早川賢一だ。「楽しくワイワイやりたい」と、練習中でも明るく大きな声を響かせる早川は、コートでひと際目立つムードメーカーである。今年5月にインド・ニューデリーで行われた国・地域別対抗団体戦の男子トマス杯では、日本代表のキャプテンとしてチームを牽引し、初優勝に貢献した。仲間たちと楽しそうにシャトルを追いかけ、練習に励む姿は“世界一”となった今でも変わらない。
 早川を2009年の入社前から知る坂本修一(日本ユニシス男子チーム監督)は、彼のキャラクターをこう証言する。「本当に明るい性格。試合でも練習でも自分から声を出して、まわりを盛り上げるようなムードメーカーという印象が一番強いですね」。トマス杯ではキャプテンを任されたが、早川は「やる時にやれば後は何でもいいぐらいの感じでやっていました。プライベートな部分まで“バドミントンに集中しろ!”とは言いませんでした」と“放任”を貫いた。

 トマス杯とは、2年毎に行なわれる団体の世界一決定戦。09年に代表入りした早川は、今回で3大会連続3度目の出場だった。10年、12年と日本は2大会連続で銅メダルを獲得していた。「みんなとは“最低でもメダルは持って帰ろう”と話していましたが、キャプテンとして、もう1つ上に行きたい気持ちはありました」。彼の役割は、リーダーとしてチームを引っ張るだけではない。過去2大会は中心選手ではなかったが、今回は違っていた。大会直前のBWF世界ランキングでは、第1ダブルスの早川&遠藤大由組は3位。10年からダブルスを組む遠藤と、エースダブルスとして勝敗のカギを握る重責を担っていたのだ。

 日本はグループリーグ3戦全勝で首位通過を果たした。早川&遠藤組は2勝をあげ、チームに貢献。準々決勝のフランス戦は早川たちに出番はなかったものの、日本はトータルスコア3対1で、3大会連続のメダル獲得を決めた。

 準決勝の相手は中国だった。9度王座に就き、5連覇中の強豪である。「もうひとつ上に」と意気込んでいた日本にとって、それまで団体戦での勝利のない中国は、最大の障壁と言ってもいい相手だった。そんな決戦を前にしても、早川は特別なことはしなかったという。

 第1試合、シングルスのエース・田児賢一(NTT東日本)が、世界ランキング2位と格上のチェン・ロンにストレート勝ちする幸先の良いスタートを切った。「この流れを切らさないように心掛けました」と早川。第2試合のダブルス戦、ホン・ウェイ&チャイ・ビャオ組を、22−20、21−19と田児に続いてストレート勝ちを収めた。これで勢いを加速させた日本は、第2シングルスの桃田賢斗(NTT東日本)が2−1で勝利し、王者・中国相手にまさかの3対0のアップセットを演じた。そして、決勝進出は55年もの歴史を誇る大会で、初の快挙となった。

 最悪のスタートからの逆襲

 最高の流れでファイナルへと進んだ日本だったが、強豪マレーシアを迎えた決勝の出足は最悪と言っても良かった。第1試合の第1シングルスはエースの田児。しかし、相手は長らく世界ランキング1位に君臨するリー・チョンウェイだった。バトミントン界のレジェンドを相手に田児は為す術なくストレートで敗れた。

 第2試合、第1ダブルスとして早川&遠藤組に対するのは、タン・ブンホン&フン・ティエンホー組。タン・ブンホンは、12年ロンドン五輪男子ダブルスで4位に入った実力者だ。序盤から相手のリズムで試合は進み、連続ポイントを許すなど最大10点離された。結局、第1ゲームは流れを掴めぬまま、12−21で落とした。第1シングルスに続き、第1ダブルスを落とせば、敗色ムードは濃厚となる。日本は絶体絶命の窮地に追い込まれていた。一方、勝利を確信しつつあったのか、マレーシアベンチは余裕の表情を浮かべていた。

 だが、早川と遠藤は慌てなかった。
「内容が悪かったので、逆に開き直れた部分もありました。遠藤とも “あんなゲームをするぐらいだったら、次につなげるようなプレーをしようぜ”と話をしたんです」

 第2ゲームは一転してシーソーゲームとなった。早川と遠藤は相手のショットにしつこく食らいつき、時にはミスを誘うなどして、21−17で奪取した。自分たちが得意とする速い攻撃が冴え渡ったのも、勝因のひとつだったが、実は伏線は第1ゲームにあった。早川はこう振り返る。「フン・ティエンホー選手とは過去にも何度か対戦していたので、クセもわかっていました。後半はスピードが落ちる傾向があるので、1ゲーム目の序盤に点数をバーッと一気に取られた時に、このゲームを最悪捨てでも、相手の体力を削るプレーをしようと思っていたんです」

 ただ指をくわえて相手の得点を許していたわけではなく、早川と遠藤は虎視眈々と反撃の機会を窺っていたのだ。ゲームカウントでは並んだが、追いついた側と追いつかれた側では心理状態は大きく異なる。ファイナルゲームも接戦となったが、早川はネット際のプレー、遠藤は豪快なスマッシュと持ち味を存分に発揮。勢いの差は明白だった。

 そして1時間15分にも及ぶ熱戦に終止符を打ったのは、早川だった。スコアは20−19。息詰まるようなショートドライブ(速くて低い打球)やスマッシュの応酬でラリーが続いた末に、遠藤が倒れこみながらもレシーブを返した。コート手前にシャトルがポトリと落ちそうになったところを、タン・ブンホンも必死にラケットに当てる。返すのが精一杯だった分だけ、打球は高く浮いた。このチャンスを逃すまいと、早川は猛チャージし、ネット際でシャトルを相手コートに叩き込んだ。そのまま勢いでコートに滑り込み、両手でガッツポーズ。「気持ちで取った試合でした」と、タフなゲームをモノにした。これで日本は、トータルスコアを1対1のタイに戻した。

 “和”で掴んだ栄冠

 完全に流れを引き寄せた日本は第2シングルスも取り、先に王手をかけた。だが、第2ダブルスはマレーシアに奪われ、優勝の行方は第5試合第3シングルスの上田拓馬(日本ユニシス)に託された。対戦するダレン・リュウは、元世界10位で過去に五輪、世界選手権に次ぐスーパーシリーズ(SS)で優勝経験もある猛者だった。

 試合は、ファイナルゲームまでもつれる死闘となった。第1シングルスから5時間以上が経って、ようやく迎えたマッチポイント。ダレン・リュウのショットがラインを外れた。それを冷静に見極めた上田は、アウトのコールを待つまでもなく、倒れこんで雄叫びを上げた。次の瞬間、早川らチームメイトが上田に覆い被さった。中国、インドネシア、マレーシアとバドミントン強国しか掴んでいないトマス杯を日本がついに手にした瞬間だった。

 歴史的快挙をもたらしたのは、チームの和だった。これまで日本男子は五輪でメダルを獲得したことがなかった。世界選手権やトマス杯でも3位が最高。今大会、単複のエースである田児と早川&遠藤組も世界的に見れば、絶対的な力があるわけではない。その分、誰かに頼ることなくバランスがとれていたチームだった。それは全6試合通じて、田児、桃田のシングルス勢と早川&遠藤組が4勝、上田が3勝をあげたことからもわかる。チームの雰囲気も非常に良く、中継カメラに映し出されたベンチの様子は、和気あいあいとしていた。個人戦ではライバルとなる選手もいるが、「代表活動でよく一緒にいるので、みんな仲が良いんです」と早川は言う。“個”ではなく“和”の勝利――。普段と変わらないムード作りに徹したキャプテンの功績も大きかったと言えよう。

 団体戦で世界一を経験した早川。小学1年で始めたバドミントンの競技歴は、もう20年以上になる。元々はシングルスだったというダブルスプレーヤーは少なくないが、早川は違う。早くから攻守の展開が速いダブルスの魅力に憑りつかれていた彼は、小学生の時には既に自分の生きる道はダブルスと決めていた――。

(後編につづく)

早川賢一(はやかわ・けんいち)プロフィール>
1986年4月5日、滋賀県生まれ。小学1年でバドミントンを始め、5年時に全国小学生選手権大会で優勝した。中学以降は、主にダブルスの選手として活躍。中学、高校でも全国制覇を経験した。日本大学に進学後は、2年時から全日本学生選手権大会の1学年上の数野健太とのペアで男子ダブルスを2連覇。4年時には全日本総合選手権大会の同種目で準優勝を果たした。09年に日本ユニシスに入社し、同年日本代表入りする。10年から同学年の遠藤大由(日本ユニシス)とペアを組み、12年の全日本総合では男子ダブルスで初優勝。同年のスーパーシリーズファイナルで準優勝の好成績を収めた。13年は全英オープンの男子ダブルスで準優勝し、全日本総合では男子&混合でダブルス2冠を達成。今年5月のトマス杯では、キャプテンとして日本の初優勝に貢献した。BWF男子ダブルス世界ランキング4位(8月7日現在)。177センチ。右利き。

(文・写真/杉浦泰介)

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