1968年メキシコ五輪銅メダリストの父・義行氏と二人三脚で、初のメダルを目指す重量挙げ女子48キロ級代表の三宅宏実。親子での五輪メダル獲得は過去に体操の塚原親子、相原親子の2組が達成しているが、三宅宏実が北京でメダルを獲得すれば個人競技では日本初の偉業となる。
北京五輪開幕を約2ヵ月後に控え、ナショナルトレーニングセンターで調整に励む三宅に二宮清純が直撃。重量挙げへの思い、メダルへの意気込みを訊いた。
(写真:父と二人三脚で北京五輪でのメダルを目指す三宅宏実選手)
二宮: 前回のアテネ五輪では9位。ご自分では悔しい結果だったのでしょうか?
三宅: そうですね。悔しさは大きかったんですけど、良い経験になりました。直前に体調を崩したり怪我をしてしまって、減量を経験するのも初めてだったのできつかったですね。代表権を獲るのに力を使い果たしてしまった感じだったので、オリンピックを目指すというのは厳しいんだな、と。

二宮: この4年間で、ずいぶん経験も積んだのでは?
三宅: 世界選手権にも何度も出場して、48キロ級での試合経験も積んできました。この4年間の経験は、北京で生かせると思います。

二宮: お母さんがピアノの先生だったそうですね。もともとピアニストになりたかった?
三宅: はい、音大に行きたいと思っていました。ピアノは弾けたときの喜びはすごく大きいんですけど、それまでの過程で何かピンとくるものがなかったんです。重量挙げをやってみたら、ピアノと同じで、毎日同じような練習をしないといけなかった。でもピアノと違って、毎日同じ練習をしても嫌じゃなかったんです。身体を動かすのが好きだったからかもしれないですね。

二宮: バーベルが持ち上がったときの達成感が良いんでしょうか?
三宅: そうですね。重量挙げは、頑張ったら新記録が出る。それが楽しくて嬉しくて、やみつきになりました。記録にはっきり出るし、練習したことが結果につながる競技だと思います。

二宮: 確かに、重さが記録としてはっきり出ますから、達成感が得やすいのかもしれませんね。 
 ところで、三宅選手にとってお父さんはどんな存在ですか?
三宅: そばにいるだけで威圧感があります。練習中にいないと、身が入らないですね。たまには「いなくてもいい」と思うときもありますけど(笑)。でも重いバーベルを上げるときは、見てくれていないと、気分が乗らないです。

二宮: 北京五輪で見てもらいたいところは?
三宅: 重量挙げはまだまだマイナーな競技なので、多くの人に知ってほしいですね。見ている人にとっては、選手が何キロのバーベルを上げているというのが分からないと思います。だから北京五輪のときにはテレビで「日本の選手が勝つためには、ここで××キロを上げないといけないんだ」とか計算をしながら見ていただけたらより面白いと思います。

二宮: 五輪では同じ重量に成功した場合、最後は体重の10グラム単位の戦いになるそうですね。減量も大変だと思いますが、食べるものはやはり気にしますか?
三宅: 甘いものもたまには食べますけど、やっぱり気になりますね。食べた分は、ちゃんと動いたり……。から揚げとか、4年近く食べていないんですよ。この前、合宿中に食堂でから揚げが出ていて、揚げたてだったので「あ、美味しそう!」と。でも、食べちゃだめだ、と我慢しました(笑)。五輪が終わったら甘いものをいっぱい食べたいですね。

二宮: 三宅選手が出場する女子48キロ級は、中国の選手が頭一つ抜けていて、2位から6位くらいまでは横一線だと。北京五輪での目標はやはりメダル獲得?
三宅: はい。なるべく色の良いメダルを獲りたいと思っています。中国の選手も「絶対」はないと思うので、やっぱり最後まであきらめずに大きな目標を持っていきたいですね。目標は、「トータル200キロ」です。女子の重量挙げは開会式の次の日、8月9日に決勝があるんです。競技初日なので、日本の選手団に良い風を吹かせたいですね。


三宅宏実(みやけ・ひろみ)プロフィール
1985年11月18日、埼玉県新座市出身。法政大卒。アセット・マネジャーズ所属。父はメキシコ五輪重量挙げフェザー級で銅メダルを獲得した三宅義行。伯父は三宅義信。中3の時、シドニー五輪の重量挙げを見て感動し、重量挙げを始める。03年全日本選手権53キロ級優勝。その後、48キロ級に転向。04年アテネ五輪9位。05年世界選手権銅メダル。昨年10月に北京五輪代表に内定。146センチ。


<小学館発行『ビッグコミックオリジナル』7月5日号(6月20日発売)の二宮清純コラム「バイプレーヤー」にて、三宅宏実選手のインタビューが掲載されます。そちらもぜひご覧ください!>