クラブW杯の決勝が行われた12月16日の午後、僕は都内のホテルで、浅黒い顔をした小柄なブラジル人選手と食事していた。彼は、休暇を使って、自分のルーツである日本を訪れていた。滞在の最後に、クラブW杯の決勝を見て帰ることになっていたのだ。
 彼の名前は、ロドリゴ・タバタ。
 名前を聞いたことのある人も少なくないだろう。ブラジルのサントスFCに所属し、かつてペレもつけていた背番号10を背負うこともある中心選手である。サントスFCは、港町サントスにあるブラジル屈指の名門クラブである(99年前、日本人移民の乗った船、笠戸丸が着いたのもサントスだ)。

 タバタは、浦和レッズの闘莉王と同じように日系三世で、祖父母が日本からの移民、母親はブラジル人である。完全にブラジル人として育てられたため、“ジッチャン”“バッチャン”(お爺さん、お婆さん)以外の日本語は理解することはできない。

 バンデルレイ・ルッシェンブルゴが率いていた今年のサントスは、リベルタドーレス杯準決勝で同じブラジルのグレミオに敗れた。
「リベルタドーレス杯は本当に厳しい戦いなんだよ。ブラジル南部のクラブはアルゼンチンのクラブと戦い方が似ている。まずは負けないことから始まる。それが彼らの伝統だからね」
 ロドリゴによると、特にアルゼンチンのクラブとの対戦は「タフな」ものになるのだと言う。

「“イホ・デ・プータ”(スペイン語で売春婦の息子の意味。侮辱の言葉)なんて口で挑発してくるのはもちろんだけれど、指で身体をつねってきたりもする」
 ロドリゴは、サントスFCと契約する前は、数多くのクラブを渡り歩いてきた。地方のクラブでは給料遅配は当たり前、未払い分も未だにあると苦笑いした。

「だからこそ、僕たち南米の選手は逞しいのかもしれないね」
 ロドリゴは、決勝について、確かにミランは強いが、したたかなボカが無様な試合をすることはないだろうと予想していた。

 試合は彼の言葉通りだった。
 ボカ・ジュニアとエトワール・サヘルの試合のため、国立競技場に足を運んだ時には、スタジアムの寒さよりも、ピッチの中の低調な内容に凍えた。ミランとの決勝もそうした試合になるのではないかと心配していたのだが、杞憂に終わった。

 僕の印象に残ったのは、バネガなどボカの下部組織出身の若手選手たちだった。結果こそ4−2だったが、彼らのプレーは輝いていたように思う。
 ミランのカカ、マルディーニ、セードルフ、インザーギなど世界的に名前の知られた選手に対して、彼らは堂々と渡り合っていた。

 南米の選手はプロ契約を結ぶ“17才”の時には、プロ選手としてピッチの中の技術はもちろんだが、精神的にも完成していると言われる。日本ではその年代の選手たちは、子供扱いされるが、1人のプロ選手であると考えてられているのだ。

 20歳そこそこでも、プロ選手である以上は、どんな相手を目の前にしても怯んではならない。そんな彼らの思いが、ひしひしと伝わってきた。

 彼らの姿を見ていて、頭に思い浮かんだのは浦和レッズである。今回、浦和はアジアのクラブとしては初めて3位に入った。それは、快挙と言ってもいい。しかし、浦和は日本代表クラスの国内の優秀な選手をかき集めて、こうした結果を残すことができたのだ。

 ボカは自前の選手を育てながら、準優勝という結果を残した。優勝したミランとの差はもちろんだが、世界との差はまだまだ大きい。そのことをひどく痛感させられる大会だった。

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。06年5月30日に単行本『W杯ビジネス30年戦争』(新潮社)が発売された。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。