クラブW杯の準決勝ACミラン対浦和を見ながら、僕はソクラテスの顔を思い出していた。ソクラテスとはもちろん、80年代のブラジル代表でジーコたちと黄金の中盤を構成していた髭面の大男のことだ。
 かつてソクラテスはこう語っていた。
「サッカーはかつてと姿を変えている。どれだけ体力があるのか競うスポーツになっているんだよ。間合い、技術、かつてのサッカーにあった魅力が欧州では完全に消え去ってしまった」

 前半、浦和はミランにボールの保持を許しながらも、要所を押さえ、得点を許さなかった。素晴らしい試合運びであったと思う。
 しかし、ミランの選手たちは、Jリーグなどで普段対戦している相手よりもスピードがあり、接触も厳しい。ちょっとした差の積み重ねが体力を奪っていった。途中で足を引きずりピッチを後にした闘莉王をはじめ、試合終了間際になると多くの選手は運動量が明らかに落ちていた。

 一方、カカ、セードルフ、ガットゥーゾたちの運動量は最後まで落ちることはなかった。ミランの選手たちは技術的に浦和の選手よりも上だったのはもちろんだが、体力でも上をいっていた。

 ソクラテスは、サッカーが『体力を競うスポーツ』へと変貌したことを好ましく思っていない。同じような趣旨の発言は、ロマーリオからも聞かれる。ブラジル人が愛するのはジョゴ・ボニート(美しい試合)であり、体力勝負ではない。

 ただ――。
 日本はブラジルとは違う。かつてのガリンシャやロマーリオのように本能でディフェンスの動きを読み、駆け引きができる選手はいない。体力勝負の中に飛び込んでいかなければならない。

 今年、僕は元日本代表監督のジーコに2度話を聞いた。2度とも、彼は日本人のフィジカルの弱さを嘆いていた。
 昨年のドイツワールドカップのオーストラリア戦では、身体の大きな選手に執拗にパワープレーを仕掛けられた。宮本たちディフェンスの選手は普段とは違った負荷が身体にかかっているのを感じていたという。体力がすり減れば、サッカーで最も大切な判断力は低下し、ミスが起きる。それがオーストラリア戦だった。

 ワールドカップの後、ジーコの後を引き継いだオシムは、走るサッカーを掲げた。それは体力がなければ実現できないものである。オシム前監督が倒れたことで「走るサッカー」は道半ばとなっているが、浦和とミランの試合を見る限り、それは未だに実践できていない。

 1対0というスコアは、実力差を考えれば悪い結果ではない。ただ、最後までミランよりも走ることのできるチームでなければならなかった。そうでなければ、何度やっても勝ち目はない。

 もちろん、今回浦和が世界の舞台を踏んだことは、評価しなければならない。
 国際舞台で成功を収めるには実力、運、そして経験になってくる。浦和はセパハン戦に勝ち、クラブW杯初出場で「1勝」という壁を易々と破った。あの1勝は、日本サッカーに経験という大きな財産を与えた。しかし、ミラン戦では世界の一流選手たちとの大きな差を感じた。

 今回の敗戦の痛みをどこまで持ち続けることができるのか――それが実は日本サッカーにとって最も重要なことであるかもしれない。

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。06年5月30日に単行本『W杯ビジネス30年戦争』(新潮社)が発売された。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。

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