2008年から米国モータースポーツの最高峰「インディカー・シリーズ」にフル参戦している男がいる。武藤英紀、26歳。第8戦では日本人過去最高の2位表彰台に上り、年間ランキングでもトップ10に入った。来季はGP初優勝の期待もかかる注目のレーサーだ。我々には想像もつかない時速300キロを超える世界とは、そして高速の舞台で戦うドライバーの素顔とは――。当サイト編集長の二宮清純が未知なる世界の真相を迫った。
二宮: インディカーは最高で時速380kmまで出るマシンです。ドライバーへの負担も大変なものですよね?
武藤: そうですね。体にかかるGに耐えるだけの筋力が必要になります。1つのレースで2時間くらいかかるので体力的にも疲れますが、緊張したままの状態が続くので精神的にも疲れます。

二宮: 終わったらもうぐったりという感じですか?
武藤: そういうレースもありますし、調子がよいければもう一度くらいいけるぞという気持ちの時もありますね。

二宮: アメリカのレースに参戦されたのは2年前のインディプロシリーズから。このシーズンは優勝2回を経験し、シーズン2位の成績を収めルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。すごい活躍ですね。
武藤: うーん、数字だけならばすごいように見えますが、自分では納得していないですね。やはり16戦もあって2回しか勝てなかったというのは、満足のいく結果ではないです。

二宮: しかしそこでの活躍が認められ、インディカーのトップチーム「アンドレッティ・グリーン・レーシング」のシートを獲得されました。インディカーは、オーバルコースという楕円形の独特なコースを走りますが、すぐにアジャストできるものですか?
武藤: 1台で走る分にはすぐ馴染みました。ただ、前に数台を置いて走るとなるとなかなかそうはいかない。時速300kmを超える車の真後ろにつくと乱気流が起きるんです。その時、自分の車はどの位置に走ったらいいかというのは、今でも正確にはわかっていないと思います。乱気流に入った瞬間というのは、タイヤが地面に接地している感覚が失われて、車はかなり不安定になり浮くような感じがします。車には羽が付いていますが、そこで前からの風を受けて2000kgの力で地面に押さえつけながら走っているんです。前から風がなければその力が弱くなってしまう。自分より前に何台かいたりすると風を受けられないので、2000kgのところが800kgでしか押さえつける力がなくなってしまう。そうすると、一気に車体のバランスが変わってしまって、いきなり車の後ろが滑って、横の壁に叩きつけられるというケースもあるんです。そこがすごく難しいですね。

二宮: 自転車競技などでも空気抵抗の少ない真後ろ、いわばスリップストリームに入ると労力を使わないといいますが……。
武藤: もちろん直線だけを見ればそうなります。前に誰かいれば風の抵抗が少ないので、300kmしか出なかったものが320kmくらいには伸びます。高速道路を走っていてトンネルの中でスピードが出てしまうのと同じ感覚ですかね。スリップに入れば燃料をセーブすることもできます。ピットと作戦を立てながら、省エネで走ることで他の車よりも給油時間を短くするんです。時速300km以上で走っているので、仮にピットで1秒ロスすると100mも後ろに下がってしまう。逆に、燃費をセーブしてピットストップが短くて済めば、その分前に行けるということになります。レースではただ先頭を走ればいいのではなく、他の車の後ろにつくことも大事になる。どこで抜くかも重要なポイントの一つですね。

二宮: 武藤選手は今まで大きな事故とかはないんですか?
武藤: どれを持って大きな事故というかはわからないですけど、怪我はないですね。今年でいえばインディアナポリスというコースで、時速320kmのスピードで壁にぶつかりました。当然見た目も派手ですし、一般の人から見ればそれが大きな事故かもしれないですけど、ケガをしていないので僕としては大きい事故とは捉えてないです。

二宮: 大きな事故ではないといっても、320kmでぶつかるというのは我々では想像もつきません。
武藤: 当たる瞬間の記憶はしっかりとあって、すごく冷静に状況が見えています。ハンドルを握ったまま壁にぶつかると反動で指が折れてしまうので、手を離さなければいけないんです。その後は胸に手を当てて、運に任せる。ぶつかる時も今話したくらいの時間に感じているんですが、事故後に映像をみると一瞬の出来事ですね。

二宮: 100分の1秒くらいの時間まで体感できているということでしょうね。
武藤: そうですね。実際の映像をみると、手を離して一瞬でぶつかっていますが、僕の感覚としては「ああ、壁が迫ってきている。やばいやばい」という感じです。

二宮: 昔、中嶋(悟)選手が時速300kmくらいで走っていても路上のヘビとかまで見えるって言っていましたけど、そういうものですか。
武藤: コースに落ちているゴミはしっかりと見えます。でもそれは、昔からやっているので自然なことだと思います。それと風景というのが意外と大事なんです。特にオーバルでない普通のロードコースでは、雨の日になると視界が悪くなり、前はほぼ見えない状態になる。そういう時はブレーキングポイントも見えないので、横を見ながら走るんです。まわりを見て、この辺でブレーキだなという感じです。大概、看板が100mごとに設置されているのでそれを頼りにしますし、あとはそれまでの経験で見た景色というのが生きてきますね。

二宮: さすがに人の顔とかまでは見えないですよね?
武藤: いえ、人の顔も見えますよ。直線を過ぎる時、ピットスタンドで家族が応援していればはっきりと見えます。さすがに観客席の中から誰かを探すというのは無理ですが。

二宮: レーサーから見てインディに感じる魅力というのはどういうことですか?
武藤: やはりまずはスピード。それとオーバルコースという簡単だからこそ奥が深いサーキットですね。あとは壁に囲まれていること。レースが終わると“ああ、生きてるな”って感じがしますしね(笑)。

二宮: なるほど。レースを走る前までは自分の身に危険が及ぶかもしれないとどこかで思っていますか?
武藤: 一瞬頭をよぎる時はありますね。逆によぎらなければ危ないと思います。

二宮: なにかゲン担ぎとかありますか?
武藤: グローブは必ず同じ方向に着けるとか、靴の紐を結ぶ順番もいつも一緒です。あと、トイレの話なんですが、真ん中でしますね。表彰台の真ん中に立ちたいですから(笑)。端には行きたくないです。

二宮: 真ん中だけ使われているときは?
武藤: 空くまで待ちます(笑)。もちろんレース前だけですけどね。


武藤英紀(むとう・ひでき)プロフィール>
1982年10月6日、東京都出身。実家は3代続く築地場外内の鮮魚仲卸店。9歳からカートを始める。98年に単身渡英、01年までの4年間現地レースに参戦。02年に帰国、03年フォーミュラ・ドリームで総合優勝。07年に米国・インディプロシリーズに出場、年間ランキング2位となり、同年最終戦でインディカーデビューを果たす。アンドレッティ・グリーン・レーシング所属。

<小学館『ビッグコミックオリジナル』2009年1月5日号(今月19日発売)の二宮清純コラム「バイプレーヤー」にて武藤選手のインタビュー記事が掲載されています。そちらもぜひご覧ください!>