日本柔道界初の10代での金メダル――昨年、五輪史上初の快挙に挑んだのが19歳で北京五輪に臨んだ柔道女子52キロ級代表の中村美里選手だ。しかし、準決勝でアン・グムエ(北朝鮮)に敗れ、結果は銅メダル。開口一番に「悔しい……」と語った中村選手は今、2012年のロンドン五輪での雪辱に燃えている。そんな中村を中学時代から指導しているのが、彼女が所属する三井住友海上女子柔道部・柳澤久監督だ。その柳澤監督に北京五輪での戦いや今後の課題について当サイト編集長・二宮清純がインタビューした。
(北京五輪銅メダリストの中村選手<右>と柳澤監督)
二宮: 北京五輪では銅メダルに終わりました。本人にとっては悔しい結果だったようですが、監督としてはどう見られていたのでしょうか。
柳澤: 準決勝で中村が負けたアン・グムエが強いことはわかっていました。うち(三井住友海上)の横澤由貴も1勝1敗という相手でしたから。だからこそ、楽しみでしたし、試合自体は面白かったんですけどね。

二宮: 3位決定戦はいい試合でした。
柳澤: はい、そうですね。相手の金京玉(韓国)にはそれまで3度戦って2勝1分けという対戦成績だったんです。北京では相手にいいところを持たせずに、自分の得意技を出していて、巧かったですよね。あの試合を見て、かなり進歩してきたなと感じました。同じ相手にもそれまでの戦い方とは全く違っていましたから。銅メダルでしたが、最後はいい勝ち方をしましたので、私としてはよしというふうに見ています。

二宮: 監督が中村選手を一番最初に見たのは、いつですか?
柳澤: うちの柔道場に来るようになったのは、中学2年くらいだったと思います。正直、あんまり最初の記憶がないんですよ。当時は体が小さかったし、白帯でチョロチョロしていたかな、くらいであまり目立ってはいなかった。高校3年になってから土曜日に一人でも来るようになったのですが、それからですよ。「あ、なんだこの子は」って注目し始めたのは。

二宮: 今では足技に天性の輝きが感じられます。
柳澤: 当時はそれほどでもなかったですね。ただ、体落としが巧かった。この技はなかなか覚えるのに大変なのですが、リズム感があってよかったですよ。うちには女子柔道界のトップ選手が揃っていますから、そういう中でもまれていくうちに足技にも磨きがかかってきたんだと思います。寝技も巧いですしね。高校生同士でやっていてはそうはいきません。投げることはしても、自分が投げられることがない。でも、トップ選手たちとやっていると、簡単には投げられませんから、反対に受けが強くなるんです。

二宮: 監督が見られてきた中でも才能としてはピカイチですか?
柳澤: そうですね。本当に運動能力は抜群ですよ。それと中村の場合、48キロ級では山岸絵美、52キロ級では横澤と、常にライバルがいた。それも大きかったと思います。

二宮: ロンドン五輪に向けての強化ポイントは?
柳澤: 中村は結構、運動能力が高くて背負い投げも寝技もできる。あとは足技の幅を広げさせてやりたいなと思っています。足技はダイナミックさはありませんが、日本独特のセンスがある技なんです。今でも軽く大外刈りはできるので、相手が押してきたときに払うような内股とか跳ねる技が必要かな、と思いますね。

二宮: 足技の幅が広がれば間違いなくロンドンでは金メダルだと。
柳澤: はい。力もついてきていますし、ロンドンは期待できると思いますよ。

二宮: 中村選手はまだ19歳。今後、体が成長すれば階級を上げる必要が出てくるのでしょうか。
柳澤: それは大丈夫です。今でも1キロちょっとしかオーバーしていませんので。最初に彼女を見た時には、最終的に57キロまでいくかなと思っていたんですけど、今は落ち着いていますので、この階級でいけると思います。ロンドンは、本当に楽しみですよ。

<小学館『ビッグコミックオリジナル』2009年3月5日号(1月20日発売)の二宮清純コラム「バイプレーヤー」にて中村美里選手のインタビュー記事が掲載されています。そちらもぜひご覧ください!>