球春到来――。2月1日、NPBの各球団は一斉にキャンプインを迎える。アイランドリーグからは今年も6選手がNPBの門をくぐり、1年目のシーズンに挑む。彼らの1年先輩にあたる6名のリーグ出身選手たちは、ルーキーイヤーをどのように過ごし、どんな思いで2年目に臨もうとしているのか? それぞれの2009年にかける意気込みを訊いてみた。

 代走からのスタート 三輪正義(東京ヤクルト)

 ルーキーイヤーは、苦手な飛行機に乗って沖縄からスタートした。ヤクルトが1軍キャンプを張る浦添市民球場。1軍メンバーに抜擢された三輪は、独特の雰囲気にとまどっていた。
「周りを見るとテレビで見たことのある人がいっぱいいて、あぁ、どうしようかと。できるかなぁとか、どうしてもいろいろ思ってしまいました」

 宮本慎也のアドバイス

 高田繁監督は当初、ベテランの宮本慎也をサードにコンバートし、ショートのポジションを三輪も含めた若手で競わせる方針だった。しかし、キャンプ中の練習や実戦を通じて、アピールはできずじまい。キャンプ打ち上げを待たずして2軍降格が決まった。以降、シーズン終了まで1軍の舞台で戦う機会は与えられなかった。

 唯一の収穫は1軍の実力を肌で体感できたことだ。「(宮本)慎也さんにも、青木(宣親)さんにも、いろいろ教えてもらったし、話をしていただきました」。教えてもらったことは、すぐに実践し、分からないことがあれば思い切って質問した。「緊張しますし、ビビりますよ。だって、あの宮本慎也さんに話しかけるわけですから。でも一野球人として、技術的にはすごいものを持っている人。聞けることはどんどん聞いたほうがいい」

 たとえばスローイング。宮本からは主に「送球方向に肩をしっかり向けること」「手ではなく、足を使って投げること」をアドバイスされた。まだまだ手先で投げてスッポ抜けることもあるが、課題とされた送球は1年間でだいぶ改善されている。「こうやったら、うまく投げられるな」。そのコツは掴みつつある。

 打力アップの理由

 何より2軍で光ったのは打撃だ。一時は3割を大きく超えるアベレージをマークするなど、1年目の打率は.283。香川にいた3年間よりも成績は良かった。「自分が一番ビックリしています。何で良かったのか、分からないんです」。そう苦笑いを浮かべながらも、「打撃は今まで以上によく考えました」と振り返る。

 NPBのピッチャーはアイランドリーグとはもちろん違う。さらに言えば、1軍と2軍のピッチャーもボールのキレが違った。「自分のチームですけど、開幕前に調整で石川(雅規)さんが下で投げたことがありました。石川さんは僕と体格はほとんど同じなのに、相手の2軍のバッターは手も足も出ない。横から見ていて、これが1軍レベルなんだと実感しました」。巨人の高橋尚成や、秋のフェニックスリーグで対戦したオリックスの平野佳寿のボールにも驚かされた。

「こんなボールを打たないとダメなんだな」。打撃について考える時間は必然的に増えた。どうやったらいい打球が飛ぶのか、どうやったら振り遅れないか、どうやったらボールを見極められるのか……。指導されたポイントにも、自分なりのプラスアルファを加えて取り組んだ。打撃コーチにあまりいい顔はされなかったが、フォームもその時、その時で変化をつけた。「もちろん基本は下半身。左足にしっかり力をためて、それをうまく伝えることを意識しています。でも、その他の部分は、ちょっとおかしいなと思ったら、よく変えましたね」

 アイランドリーグ時代は波があり、ヒットの出ない試合が目立った。だが、昨年はコンスタントにヒットを打つことができた。固め打ちも多かった。フェニックスリーグでは四国でもなかった4打数4安打を経験した。「3打数3安打の時点で、ファーストベースコーチの角(富士夫)さんから、『今日、オマエやるじゃん』と。『どうしたんですかね。ついに開花しましたかね』と応えたら、『アホか』としばかれましたけど(笑)。それで4打席目もヒットを打ったら、『今日は雪が降るな』と言われました(笑)」

 生き残りへのプラン

 向上したのは成績だけではない。右方向に強い打球が放てるようになった。俊足を生かした内野安打の多い三輪に対し、相手の内野陣は前よりに守備のシフトを敷く。しかし、野手の間を抜く鋭い当たりを飛ばすようになれば、そう簡単に前で守ることはできない。定位置で守ってくれれば、転がして内野安打というケースも増える。「もっと打てるという気はあります」。本人もさらなるレベルアップを目指している。

 一昨年の秋、松山キャンプに来ていたヤクルトとの交流試合、愛媛・香川連合チームの一員として出場した三輪は持ち味のスピードを高田監督に評価され、NPBへの道を拓いた。「足は今すぐにでも上で使いたい」。指揮官の期待は変わっていない。2軍でも昨季はイースタンリーグ2位となる24盗塁を決め、走塁能力の高さを示した。「監督からは守備の安定性、そしてバッティングがよくならないとダメだと、はっきり言われています」。1軍昇格へ越えるべきハードルは明確だ。

「自信がないように聞こえるかもしれないですけど、僕はいきなりレギュラーを獲れる選手じゃない。まずは代走、そして守備固めから。それで良かったら1打席打たせてみようか、1試合出してみようかとなる。小さなチャンスを生かすしか生き残る道はない」
 今年のヤクルト内野陣はセカンド田中浩康、サード宮本、ショート川島慶三と現時点でほぼレギュラーは決定的。三輪が1軍で出場機会を得るとすれば、本人が語るように代走や守備固めといったサブの役割になるはずだ。この1月で25歳。2年目といえども、今季は勝負をかけなくてはいけない。

 大事なところで仕事をする男へ

「リアルな話、クビになっちゃいますからね。それを考えると、“どうしよう、どうしよう”と不安になることがあります」
 それが新しいシーズンを迎えるにあたっての正直な心境だ。しかし、もう思い切ってやるしか、残された方法はない。
「オレの野球人生、誰のものでもない。“やったるか”という気持ちで臨みます。クビになったらしょうがない。それがオレの野球人生ってことだから」

“大事なところでダメな男”。三輪は自らをやや自虐的にとらえている。高校(下関中央高)時代も3年夏の県大会決勝で敗れ、甲子園出場を逃した。しかも準々決勝でケガをしたため、何もチームに貢献できなかった。
「去年、ファームで優勝して、日本選手権に出た時もそう。1打席目に三塁打を打って、真中(満)さんのタイムリーで僕が先制のホームを踏みました。聞いた話だと、僕がもう1本ヒットを打っていれば、優秀選手賞がもらえたらしい。でも、その1本が出ないでしょ? 次の打席もセンターにいい当たりを飛ばしたんだけど、センターが寄っていて捕られたりね。ほら、大事なところでダメでしょう(笑)。そういう男なんですよ」

 そんな自分を変えるのは他でもない自分だ。「背番号を60番から早く0をとりたい」。入団発表で宣言した“ポスト宮本(背番号6)”への思い。それはいささかも失っていない。“大事なところで仕事をする男”。2009年×月×日、神宮のフィールドでそう思える夜が、やってくるのを祈っている。

(この特集は随時更新します。次回は東京ヤクルト・小山田貴雄選手(元高知)です)

三輪正義(みわ・まさよし)プロフィール
 1984年1月23日、山口県出身。下関中央高卒業後は社会人で軟式野球をしていたが、アイランドリーグの発足とともに香川へ入団。1年目からチームのレギュラーを張った。50メートル5秒7の俊足を活かし、07シーズンは40盗塁で初タイトルを獲得。機動力を重視する高田繁監督の方針で同年、東京ヤクルトからドラフト6巡目指名を受けた。1年目となった08年は2軍で80試合に出場し、打率.283、24盗塁(イースタンリーグ2位)。身長168センチ、体重68キロ。右投左打。背番号「60」。





☆プレゼント☆
 三輪選手の直筆サインボールを抽選で2名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の冒頭に「三輪選手のサインボール希望」と明記の上、住所、氏名、連絡先(電話番号)、この記事への感想をお書き添えの上、送信してください。当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。

<塚本、1軍キャンプで支配下目指す!>

 昨年の三輪同様、浦添の1軍キャンプ参加が決まったのが、今季、育成1巡目で入団する塚本浩二(元香川)だ。まだ1軍の公式戦には出場できない育成選手ながら、「力があれば関係ない」との高田監督の一声で異例の抜擢となった。新人合同自主トレでは、アイランドリーグで培った基礎体力の高さをみせ、ブルペンでは巧みなサブマリン投法を披露した。「いいトレーニングができている」と準備は万全の様子だ。

 同期入団には高卒左腕が3名も含まれるなど、若い選手が多い。「やはりボールが速い。あんな高卒はアイランドリーグにはいない」。選手のレベルの高さに驚きつつも、「タイプが違うのでヘンに勝とうと思わないのがいいかもしれない」と自分のピッチングに徹している。

「最初の数カ月が勝負。今は3月までに支配下登録されることが目標」。1軍キャンプに最後まで生き残れば、可能性は充分ひらけてくる。「生まれて初めて」という沖縄の地が塚本にとって、野球人生最大のチャンスをつかむ場所になる。

(石田洋之)

次の100年へ。太陽石油から、SOLATOはじまります。[/color][/size]