23日、陸上世界選手権最終日で女子マラソンが行われ、尾崎好美(第一生命)が2時間25分25秒のタイムで2位に入り、銀メダルを獲得した。金メダルは中国人として初の優勝を飾った白雪が獲得。7位に加納由里(セカンドウィンドAC)が入り、藤永佳子(資生堂)は14位、赤羽有紀子(ホクレン)は31位だった。

★二宮清純特別コラム「次世代エース誕生」掲載!
 大会最終日にして、今大会初の日本人メダリストが誕生した。マラソン挑戦3回目の尾崎が大舞台で存分に実力を発揮し、最後まで優勝争いを演じながら2位でフィニッシュ。見事な走りで銀メダルを獲得した。

 現地時間11時15分にスタートしたレースはベルリンの強い日差しの下で行われた。各選手が猛暑を嫌いけん制しあいながらのレース展開、序盤からスローな流れでレースは進んだ。5km毎のスプリントタイムは17分台で推移する。10kmの周回コースを4周する変則コースでの勝負は中盤までは静かな展開となった。

 レースが動いたのは30km過ぎから。尾崎を含む4名が先頭集団を形成し抜け出す。35km付近で1度尾崎がスパートし、ここで1名が脱落。集団は3名となり、メダル争いは白雪とアセレフェチュ・メルギア(エチオピア)に絞られた。

 迎えた40km給水ポイントで、尾崎と白雪がさらにペースを上げメルギアを引き離し、優勝争いは2選手となった。尾崎の走りはスタートから安定感があり、93年シュツットガルト大会の浅利純子、97年アテネ大会の鈴木博美に続く3人目の日本人金メダリストの誕生へ大きく期待が膨らんだ。

 しかし、ゴールのブランデンブルグ門を正面に見る残り1km地点。最後の直線で白雪がラストスパートをかける。尾崎も必死に食らいつくもののその差は広がるばかり。結局、そのまま白雪が2時間25分15秒のタイムでゴールラインを越えた。そこから10秒遅れて尾崎がゴール。現在、尾崎を指導する第一生命の山下佐知子監督が91年東京大会で獲得したメダルと同じ色の、銀メダルを手に入れた。

 レース後に尾崎は「行けるところまで(集団の)後ろで構えてけん制していたが、最後は力尽きました。“(メダル獲得を山下監督と)よかった”と喜びあいたい。30kmまでは自分のリズムで余裕を持って走ることができた。メダル争いに絡むことができ、メダルを持って帰れるので嬉しい」と喜びの言葉を口にした。

 自身に続き教え子も世界陸上で銀メダルを獲得した山下監督は「10kmを過ぎたところから落ち着いてレースを見ることができたが、残り3kmはヒヤヒヤした。がんばってくれたので“お疲れさん”と言いたいです。(2人揃っての銀メダル獲得について)ちょっと微妙ですね」と満面の笑顔で語った。

 世界陸上の女子マラソンは07年大阪大会の土佐礼子(銅メダル)に続き2大会連続のメダル獲得。男女をあわせると、97年アテネ大会から7連続でのメダルとなる。3日前に渋井陽子(三井住友海上)が疲労骨折により出場を辞退し、4名でレースに臨んだ日本女子マラソン陣。厳しい戦いが予想されていたが、尾崎の銀メダル獲得に加納が7位入賞、14位に藤永が入り、上位3名で争われる団体では中国に次ぐ2位となった。レース途中で足を痛めた赤羽は31位に終わったが、全体では上々の結果を残したといえるだろう。

 特にマラソン3回目の尾崎は世界の舞台で大きな飛躍を遂げた。今後は金メダルを獲得した白雪とともに、3年後のロンドン五輪にむけた女子マラソン界の核となる。まだキャリアの浅い選手だけに、2012年に向け更なる進化を期待せずにはいられない。

<女子マラソン>
決勝
1位 白雪(中国) 2時間25分15秒
2位 尾崎好美 2時間25分25秒
7位 加納由里 2時間26分57秒
14位 藤永佳子 2時間29分53秒
31位 赤羽有紀子 2時間37分43秒


★二宮清純特別コラム「次世代エース誕生」〜

 今シーズンの女子マラソンは暗いニュースが相次いだ。
 まずは北京五輪。野口みずきと土佐礼子に注目が集まったが、周知のように野口は五輪開幕直前に辞退、左足太腿の肉離れが原因だった。
 土佐は外反母趾の症状が悪化し、中足骨の疲労骨折の疑いさえ持たれた。
 案の定、25キロ地点でリタイア。夫に抱きかかえられながら救急車で病院に運び込まれた。

 去る10月28日にはシドニー五輪の金メダリスト高橋尚子が現役引退を発表した。
 36歳という年齢を考えれば無理もない。一時代が終わったという印象だ。
 そんななか、新星が現れた。東京国際女子を制した尾崎好美だ。この勝利で、彼女は来年8月に行われるベルリン世界陸上の出場権を獲得した。

 レースを振り返ろう。序盤をリードしたのは日本歴代2位の記録を持つ渋井陽子だった。
 渋井は12キロを過ぎたあたりで後続を引き離し、独走態勢に入った。
 その後も渋井のペースは落ちない。30キロ地点では2位加納由理に53秒差。このまま逃げ切るかと思われた。
 ところが思わぬ伏兵がいた。それが尾崎だ。
「最初のうちは速いペースについていったけど、あとは自分のペースで走った。40キロを走るとなると、今日の“入り”は速かった」
 我慢して走っていれば、後半に必ずチャンスはある――。尾崎はそう確信していたようだ。

 狙いどおりだった。35キロ過ぎたあたりから、渋井のペースが落ち始めた。足取りが重く、フォームも崩れ始めた。
 渋井の素質は誰もが認めるところだが、後半に入ってガタッと崩れるところがある。北京五輪の出場権を賭けた昨年の東京国際もそうだった。
 遠かった渋井の背中が徐々に近づいていく。ついに38キロ過ぎで渋井をかわした。
 ゴールタイムは2時間23分30秒。もちろん自己ベストだ。
 参考までにいえば、マラソン2回目での優勝は、あの高橋尚子と一緒である。

 Qちゃんは97年1月の大阪国際女子で初めて42.195キロを走り、7位に入った。タイムは2時間31分32秒。
 翌年3月に行なわれた名古屋国際女子で当時の日本最高記録である2時間25分48秒を叩きだし、初優勝を飾ったのだ。
 尾崎の初マラソンは、奇しくもQちゃんの最後のレースとなった今年3月の名古屋国際女子。この大会では新鋭の中村友梨香が後半に好スパートをかけ初優勝、北京五輪代表のチケットも手に入れた。
 尾崎は初マラソンながら中村とは28秒差の2時間26分19秒で2位に入った。

「1位が見える2位でのゴールだったので悔しさが残る」
 そして、こう続けた。
「彼女(中村)が勝って自分が負けたことで、注目される度合いが違った。自分も目立ちたいと思ったし、その時の気持ちが今日の優勝につながった」
 強くなる選手は例外なく、勝ち気である。ひょうひょうとしているように見える土佐礼子だって、練習中は泣きながら走っていた。
 初マラソンで2位といえば立派な成果だが、それで満足しているようではオリンピックには行けない。当然。尾崎はロンドンのスタートラインを見据えているはずだ。

 高校時代の尾崎にはこれといって目立った実績がない。800メートルでの県大会8位が最高だ。
 言葉は悪いが、どこにでもいるランナーだった。
 素質が開花したのは山下佐知子監督との出会いがきっかけだ。東京世界陸上で銀メダルを獲得し、バルセロナ五輪にも出場した山下は文字どおり“努力と工夫の人”だった。
「粘り強い走りはマラソンに向いている」
 山下がそういうくらいだからマラソン適性は十二分に備わっているのだろう。

 この大会、3位に入ったマーラ・ヤマウチ(イギリス)は北京五輪で6位に入賞した実力者だ。
 単純比較はできないが、そのヤマウチのタイム、しかも自己ベストを1分33秒も上回ったのだから、尾崎はワールドクラスのランナーの仲間入りを果たしたと言っても過言ではない。

 Qちゃんが去り、野口の回復が遅れている今、女子マラソンは群雄割拠の時代に突入したと言える。
 誰もが五輪や世界陸上を狙える状況にある反面、油断すれば後続集団にあっという間に吸い込まれかねない。
 果たして尾崎は次世代のエースになれるのか!?

(この原稿は『週刊ゴラク』08年12月12日号に掲載されました)