2010年11月、世界選手権で全日本女子バレーボールチームが32年ぶりとなるメダル(銅)を獲得した。準決勝で敗れたとはいえ、世界ランキング1位のブラジル相手に第1、2セットを奪うなど、その戦いぶりには“お家芸”復活の兆しが垣間見えた。来年のロンドン五輪では1984年のロサンゼルス五輪以来の表彰台が見えてきた。チームを率いるのは眞鍋政義監督だ。現役時代には名セッターとして名を馳せた眞鍋監督は、現在全日本男子を指揮する植田辰哉監督らとともに、新日鐵の黄金時代を築き上げ、全日本では88年のソウル五輪に出場。さらに日本人として初めて世界トップのイタリア・セリエAでプレーしたことでも知られる。今回は当サイト編集長・二宮清純がインタビューを敢行。眞鍋監督にこれまでの道のりを振り返ってもらった。
二宮: バレーボールと出合うきっかけは?
眞鍋: 中学1年の時の担任がバレーボール部の顧問だったことですね。当時、私はクラスで一番身長が高かったものですから、担任に何度も「バレー部に入らないか」と誘われたんです。それが最初のきっかけでした。

二宮: 高校は名門の大阪大附属(現・大商大高)。一学年下には全日本男子の植田辰哉監督もいましたね。
眞鍋: 全国各地からトップ選手が集められていましたから、みんなすごかったですよ。植田は当時からナイスガイでしたね。いつも気合いが入っていて、それこそ青春ドラマに出てくるような真っ直ぐな性格でしたから。彼は本当は不器用なんですよ。でも、練習量は一番豊富。ガッツがありましたし、勝負への執念は昔から強かった。彼とはもう30年の付き合いです。

二宮: 眞鍋監督はセッターにしては身長が高い。実はもともとアタッカーだったとか。いつセッターに転向されたのですか?
眞鍋: 高校1年の途中で監督からセッターへの転校を命じられたんです。私たちの時代は非常に厳しかったですから、嫌も何も、鶴の一声でしたよ(笑)。

二宮: 大商大を経て新日鐵に入社しました。当時は田中幹保さんが監督を兼任されていました。
眞鍋: 練習は厳しかったですね。田中さんは口数が少なくて、背中で「自分についてこい」という感じでしたから。プレーでは田中さんには本当に助けられました。私はセッターとしてまだ二流でしたから、ブロックにかかりやすいようなトスを上げることが少なくなかったのですが、田中さんはそれをカバーしてくれるんです。自分で「しまった!」と思っても、何気なく決めてくれる。だからミスに見えなかったんです。

二宮: 88年にはソウルオリンピックに出場しました。
眞鍋: その頃は世界との差がものすごくありましたから、日本はなかなか勝てませんでした。ソウルでは予選で1勝しかできず、10位という結果に終わったんです。ところが、人気だけはすごかった。国内開催の大会ではチームのバスの後ろに30台くらいのファンが乗ったタクシーが追いかけてくるんです。品川のパシフィックホテルに宿泊した時なんかは、私たち以外は全室、ファンが予約していました。写真集もたくさん売れましたし、川合俊一さんを筆頭に、ファンレターの数もすごかった。「全日本男子は、人気があって、実力はない」とよく言われたものですよ(笑)。

二宮: 晩年にはイタリアでもプレーしました。そのきっかけは?
眞鍋: 入社4年目の1989年に第1回世界クラブ選手権がイタリアで開催されたんです。国内リーグ、アジアクラブ選手権と勝ち上がった新日鐵が出場したのですが、私はその大会でベストセッター賞をいただきました。それでイタリアのマスコミからインタビューを受けた際、「君は背も高いし、イタリアでプロになる気はないのか?」と聞かれたんです。当時は全く行く気はありませんでしたが、冗談半分で「私の価値はいくらくらいなんでしょう?」と通訳を介して聞くと、「数千万円」という答えが返って来た。さすがに「うわぁ、すごい!」と思いましたけど、当時は終身雇用の時代でしたから、そのまま話は流れました。
 その後、30歳から新日鐵のプレーイングマネージャーをやったのですが、その時に外国人選手獲得の交渉をやっていく中で、ブラジルやイタリアのエージェントと知り合ったんです。それで逆にイタリアのエージェントから「イタリアでプレーしないか?」と誘いをずっと受けていました。新日鐵は私が監督になってから2位、2位、3位と一度も優勝することができていなかった。優勝することが使命とされていましたから、4年目で優勝できなかったら責任をとって退社しようと。そしてその際にはイタリアに挑戦しようかなと考えていたんです。ところが、4年目から2年連続で優勝。結局、新日鐵を辞めてイタリアに行ったのは36歳の年でした。

二宮: セリエAはどうでしたか?
眞鍋: さすがは世界トップのリーグ。もう日本とは比較にならないほどのレベルの高さでしたよ。できることなら、学生時代に戻って、勝負したいなと思いましたね。


<本日発売の『ビッグコミックオリジナル』(小学館2011年2月5日号)に眞鍋監督のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください。>