大相撲の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が7日、急性呼吸不全のため福岡市内の病院で死去した。59歳だった。鳴戸親方は青森県出身。1968年に初土俵を踏み、当時の相撲界にはなかった筋力トレーニングも取り入れながら、徐々に番付をあげた。82年に初土俵から82場所かけて大関に昇進。83年7月場所に2度目の優勝を飾り、第59代横綱に昇進した。喘息や糖尿病を乗り越え、苦労を耐え忍んで頂点に立った姿に、当時の人気テレビドラマから“おしん横綱”と呼ばれた。
 のちに31回の幕内優勝を収めた千代の富士(元横綱、現九重親方)は隆の里を大の苦手にしており、横綱昇進後も6勝11敗と大きく勝ち越している。横綱在位は15場所で優勝4回(全勝2回)、通算693勝493敗80休。86年に引退後は年寄「鳴戸」を襲名し、89年に独立。“白鵬キラー”の稀勢の里や若の里、隆乃若、隆の山らを育て、弟子の指導には定評があった。13日に初日を迎える九州場所では関脇・稀勢の里に大関獲りがかかっており、その矢先の急逝だった。また先月下旬より『週刊新潮』で弟子への暴行疑惑などが報じられていたため、日本相撲協会が調査を行っていた。

 当サイトでは二宮清純が鳴戸親方について執筆したコラムを掲載し、故人のご冥福を心よりお祈り致します。

 おしん横綱の嘆き

 元横綱・隆の里といえば現役時代は「おしん横綱」と呼ばれた。糖尿病を克服し、辛抱に辛抱を重ねて頂点に立った、その生き様がNHKで人気を博したドラマ「おしん」の姿に重なった。
 幕内優勝は4回だが、うち全勝が2回。グッとまわしを引きつけ、相手をそのまま土俵の外に寄り切る力強い相撲が印象に残っている。

 隆の里は横綱・千代の富士の天敵でもあった。歴代2位となる31回の優勝回数を誇る千代の富士に、隆の里は16勝12敗と勝ち越しているのだ。「お陰で随分、悪役にされましたよ」と隆の里は笑っていた。

「千代の富士に勝つには、徹底的に研究して、その動きを読まなくてはならない。こちらが落とし穴をいくつか用意しても、必ず勘づいてくるんです。だから、さらにその上の対策を練らなければならなかった」

 千代の富士に連勝を重ねていた頃、場所前の稽古総見でこんなことがあった。三番稽古の最初の取組で、いきなり千代の富士が立ち合いから変化したのだ。全く予期していなかった隆の里は、土俵中央にばったり手をついた。それに気をよくしたのか千代の富士は「今場所は(隆の里に対して)いい作戦がある」と報道陣の前で胸を張った。

 その発言を聞いて、隆の里はピンときた。
「彼はサービス精神旺盛な男だ。彼の性格からすると、これはウソではない。絶対に何かやってくる……」
 本場所でも立ち合いから変化するのではないかと隆の里は読んだ。

 今度は隆の里がエサを撒く番だ。報道陣にこう語った。
「今場所は親方から“思い切って突っ込め”と言われている」
 この発言を知れば、千代の富士はますます立ち合いで変化したくなるだろうと隆の里は踏んだのだ。

 問題は右と左、どちらに変わるか。
 隆の里の述懐。
「千代の富士の稽古を見学していると、若い者を相手してスタミナが切れた時、ほぼ左に動いてかわしていた。だから変化するのであれば左側だと判断したんです」

 そして迎えた本場所の直接対決。東土俵に上がった千代の富士は隆の里を挑発するように胸を張り、にらみつけた。
 隆の里も負けてはいない。心のうちを悟られないようにと、いつもより気合を込めて顔や頬を叩き、猪突猛進よろしく思いっきり突っ込む構えを示した。

「首をすくめて半歩だけ前に出れば、向こうはパッと変化するはず。その瞬間に掴まえてやろうと。ただ万が一、正攻法で来た時のことも頭に入れておかなくてはならない。後ろの右足も踏ん張れるようにと、その意識は残しておきました」

 さて、運命のお立ち合い。隆の里が自ら描いたシナリオどおり、半歩前に出ると、千代の富士がソロリと左に動くのが見えた。
 予想通りの動きだった。それに素早く反応した隆の里は千代の富士を一気に寄り切り、連勝をさらに伸ばした。

 会心の笑みを浮かべて隆の里は言った。
「あの時の千代の富士の顔は今でも忘れられません。それこそ顔面蒼白で“何でわかったんだ!?”という顔をしていましたよ」

 こういう深みもコクもある相撲を取ってきた隆の里だけに、現在の土俵には不満があるようだ。
「白鵬と朝青龍の両横綱にしても、場所前にゴルフに興じているようじゃダメ。2人の取組は、まだまだ本当の勝負とは言えませんね」
 鳴戸親方には相撲界の中枢でも、このような正論を吐き続けてもらいたかった。

<この原稿は2009年12月18日号『週刊漫画ゴラク』に掲載された原稿を抜粋、一部修正したものです>