ロンドン五輪大陸別選考会を兼ねたASTCトライアスロンアジア選手権が7日、千葉県館山市を舞台に開催され、エリート男子の部で細田雄一(グリーンタワー・フェリック・稲毛インター)が1時間39分31秒で2大会連続の優勝を収めた。日本トライアスロン連合では男子に関して、同選手権での優勝を選考基準に定めており、細田は初の五輪代表に内定した。
(写真:激しいデッドヒートを制し、ゴールする細田。奥は一歩及ばなかった2位の田山)
 優勝すればロンドン行きが決まる男子のレースは壮絶なフィナーレを迎えた。ゴールの館山駅前へと続く最後の直線に、細田と田山寛豪(NTT東日本・NTT西日本/流通経済大学職員)が並んで入ってくる。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロを経て、五輪代表の行方はラスト250メートルの勝負に委ねられた。

 ラストスパートをかけ、先に前に出たのは27歳の細田だ。アテネ、北京と2大会連続で五輪に出場している田山を振り切り、わずか1秒差でゴールに飛び込んだ。余力を振り絞っての激走に、ゴール後は倒れ込み、しばらく立ち上がれなかった。
「五輪に行くのが当たり前と思ってやってきたんですが、こんなに感動するとは思わなかった」
 念願の五輪切符に思わず涙がこぼれた。

 その実力をもってすれば、遅すぎたとも言える大舞台だ。細田は中学時代から本場オーストラリアでトライアスロンのトレーニングを積み、帰国後、20歳の若さでジャパンカップランキング1位に輝く。早くから日本男子のホープとして素質を認められながら伸び悩んだ。その理由は、本人曰く「天狗になった」。当時を知る山根英紀コーチも「朝寝坊はするし、時間にルーズだし、練習もサボりがちだった」と振り返る。管理されるトレーニングが合わず、一度は山根の下も離れた。

 しかし、4年前はヒザの故障や調整の失敗で、北京五輪の大陸選考会を兼ねたアジア選手権では3位。他の国際レースでも結果を出せず、代表補欠にまわった。しかも五輪直前にはバイクの練習中に自動車との衝突事故を起こす。何もかもが悪循環に陥っていた。

「1からやり直します。もう一度、見てください」
 土下座せんばかりの勢いで再び山根に教えを請うたのは北京五輪が終わった08年秋だった。
「ロンドンまではノンストップだ。文句は言うな」
 そう本人と約束して、指導を再開した。最初は自己管理から。小学生のように1日の練習メニューや日程をノートに書かせ、徹底するところから始めた。

 トレーニングではフィジカルだけでなく、メンタルの強化もはかった。「目標を決めて集中する」「世界と戦う意識を持つ」といった心がけを日々、反芻し、練習に臨んだ。結果が出始めたのは一昨年からだ。アジア大会で金メダルを獲得し、原石が輝きを放ち始めた。昨季は9月のITU世界選手権シリーズ横浜大会で、一時トップを走るなど健闘(10位)。アジア選手権、日本選手権を相次いで制し、日本勢の一番手に躍り出た。

 迎えたこの日のレースは、スイムを終えた時点で細田に加え、田山に北京五輪代表の山本良介(トヨタ車体)ら4名が先頭を走るかたちになった。「バイクから少人数になるとは思わなかった」と予想外の展開にも動じない。海側から風速7.8メートルの風が吹きつけ、体力を奪うなか、トップでバイクからランのトランジッションへ。田山、山本との3つ巴となったラン(2.5キロ×4周)では、先頭でレースを引っ張った。

 しかし、2周目に入ったところで足がけいれん。田山、山本の後方に下がり、「もうダメかもしれない」と一瞬、弱気が顔を出した。だが、すぐに「ここで五輪行きを決めるんだ」と思い直し、必死でくらいついた。この4年間、取り組んできたメンタル面の鍛錬が大事な場面で生きた。

 残り1周で山本がやや遅れ始め、レースは田山との一騎打ちに。最終的に田山をかわせたのは、五輪を見据えて、このオフに実施していたラン強化の成果だった。
「4年間の思いをぶつけようと思った。この2時間でそれが表現できた」
 わずか2メートル差で明暗が分かれた51.5キロのレースを細田は笑顔で振り返った。惜しくも敗れた田山は、涙で目を真っ赤にしながらも「いいレースができた。この2年間は、雄一が引っ張って男子が伸びてきた」と勝者を称えた。「強くなりたいという思いの強さが出た。アスリートとしてはもちろん、人としても成長した」と山根コーチも教え子に目を細めた。

「ロンドンの本番を忘れてはいけない。これからが本当の勝負。今日は素直に喜んで、1分1秒を大切に明日から、また取り組んでいきたい」
 五輪では日本男子初の入賞、そしてメダルを目指す。男子のレースはちょうど4カ月後の8月7日。細田にとっては会場のハイドパークを笑顔でフィニッシュするための、残り122日間がスタートする。
(写真:表彰式後のシャンパンファイトで他の入賞者から祝福される細田(左から3人目))

 なお、女子は足立真梨子(トーシンパートナーズ・チームケンズ)が1時間48分47秒で初優勝した。女子はすでに上田藍(シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)が代表に内定しており、残りの代表(現状あと2枠)は、5月末までに開催されるITUワールドトライアスロンシリーズ3大会の結果などを踏まえて決める。男子ももう1枠、出場権が得られる状況で、こちらも同シリーズの成績などを考慮して女子の代表と合わせて6月に決定する。

※当サイトコーナー「FORZA SHIKOKU」での細田選手特集記事(2011年11月掲載)
>>第1回「金メダルへの1.7キロ
>>第2回「原点はオーストラリア」
>>第3回「真のプロへのトランジッション」
>>第4回「ロンドンはラン勝負!」