大相撲で史上最多の幕内優勝32回を誇る元横綱・大鵬、納谷幸喜氏が19日、心室頻拍のため東京都内の病院で死去した。72歳だった。納谷氏は北海道出身。ロシア人の父と日本人の母の間に生まれ、187センチと恵まれた体格が認められて1956年に二所ノ関部屋に入門し、初土俵を踏んだ。順調に番付を上げて60年に入幕を果たすと、同年11月場所で初優勝。場所後、大関に昇進した。翌年、当時では史上最年少の21歳3カ月で横綱に昇進。以降、71年5月場所の引退までに6場所連続を2度含む、優勝回数を32回まで伸ばした。
 また、横綱に同時昇進した柏戸(96年死去)とのライバル対決は全勝同士の千秋楽相星決戦を2度繰り広げるなど、大相撲ファンを大いに沸かせ、“柏鵬時代”を築いた。その圧倒的な強さから、ほぼ同時期に9連覇を達成する巨人とともに、子供たちの好きなものの代表として「巨人・大鵬・卵焼き」と称され、高度経済成長期の日本を象徴する存在だった。68年秋場所から翌年春場所にかけては双葉山の69連勝に次ぐ(当時)、45連勝を達成。連勝が止まった一番は相手の足が先に出ており、以降、ビデオが勝負判定の参考に導入されるきっかけもつくった。

 引退後は功績が認められ、一代年寄として大鵬部屋(現・大嶽部屋)を興して後進の指導にあたった。日本相撲協会でも理事を14年間にわたって務めたが、77年に脳梗塞で倒れたこともあり、理事長には就けなかった。05年に定年で協会を退職後は、相撲博物館の館長を08年まで務めた。

 当サイトでは05年に二宮清純が行った納谷氏へのインタビューを掲載し、故人のご冥福を心よりお祈り致します。

 大鵬幸喜、大相撲を愛するが故の辛口提言

二宮: 親方は相撲協会を定年退職するにあたり、「最近の力士は個性がない」と苦言を呈されましたね。
大鵬: 昔は体は小さくても個性のある力士がいっぱいいました。背が低く、体重も軽くても「大きいヤツに負けるか」という根性を持っていましたよ。それは部屋が力士を育成して土俵に送り出していたからだと思います。今は身長と体重が規定に達して新弟子検査に合格するまでは入門を許されませんからね。だから、ひとつの型にはまった力士しか出てこない。
 それに昔は、5年で幕下まで行けなかったら、自然に辞めさせられていました。相撲界に入ったら、今は貧しいけれど、そのうち腹いっぱいご飯が食べられるようになる。皆、そういう思いで頑張ってきたわけですよ。幕下にもなれずに辞めさせられたら、田舎の親は何と思うか。これ以上、苦労させるわけにはいかない。その思いが厳しい稽古に自らを駆り立てたわけです。今は弱いけど、3年先、5年先、いや10年先を見ていろよ、と。
 しかし、今の力士は今日厳しい稽古をやったら、もう明日には結果が出るものだと勘違いしている。今日の稽古が実を結ぶのは3年、5年、いや10年先ですよ。場合によっては20年先からもしれない。あとになって「あのころは辛かったけど、あの時期があるから今があるんだ」と笑って話せるようになる。ただ、じっと耐えているのではない。先があるから辛い稽古にも耐えられるんです。

二宮: 最近の力士は、稽古という言葉をあまり口にしませんね。他のスポーツ同様、トレーニングと言っています。
大鵬: そこが違うんです。相撲社会は古い、とよく言われる。しかし、その古さの中にこそ、学ぶべきことがある。稽古とは何か。それは勝つための練習という意味ではないんです。あの丸い土俵で泥まみれになることで、何事にも負けない精神力が培われるのです。それが何年後かに必ずいきてくる。
 相撲は昔から「押せ」としか言われません。どんなに体が小さくても「引け」と言われることはありません。ちょっとでも引いたら「バカヤロー!」と怒鳴られますよ。まずは激しくぶつかり合う。そこで一歩でも二歩でも押し込む。自らの技術を磨くのはそこからです。基本ができてから、自らの身体のサイズに合った技を体得しようとする。だから個性派力士がたくさん育ったのです。

二宮: 「人間起重機」明武谷、「潜航艇」岩風、「牛若丸」藤ノ川、「暴れん坊」陸奥嵐、「褐色の弾丸」房錦、「突貫小僧」前田川……。親方の現役時代にはオンリーワンの個性派力士がたくさんいた。稽古が質量ともに豊富だったからこそ、技にも磨きがかかったというわけですね。
大鵬: そうです。相撲は頭で考えてやるものじゃないんだ。体得しなければいけない。100分の1秒で勝負は決まる。一瞬でも「アッ」となったら、もう遅いんです。立ち合いだってそう。相手の目を見て合わせているんだから。

二宮: バブルが崩壊したとはいえ、戦後すぐのころに比べれば、日本は大変、豊かです。ハングリー精神なんて言葉は、この島国のどこを探しても見当たりません。しかも少子化が進んだことで、昔のように口減らしで身体の大きい子を相撲部屋に預けようという親も少なくなった。相撲社会自体が曲がり角に来ているような気もします。
大鵬: 自分たちが入門したころ、師匠によく言われましたよ。「この丸い土俵の中に、名誉もおカネもすべて眠っているぞ。それをオマエたちが掘り起こすんだ」と。つまり、丸い土俵からすべてのことを学ぶんだぞ、という教えだったんです。
 でも今、同じことを言っても理解できる若い力士はいないでしょう。自分でやらずに、まわりがお膳立てするのを待っている。今のことに精一杯で、先のことまで考えようとしない。これではいつまでたっても上達しません。

二宮: 中学を出て相撲取りになる子が少なくなったことで、角界も学生力士が幅を利かせるようになりました。親方がおっしゃるような稽古を修行の一部としてとらえ、丸い土俵の中で人間形成をしていくという相撲文化にも変化の兆しが見えています。
大鵬: 私は学生は一度も(弟子に)とったことがありません。学生出身の力士は稽古という概念がない。二宮さんの言うようにトレーニングなんですよ。しかも近年はウエイト・トレーニング全盛ときている。私に言わせれば、ウエイト・トレーニングというのは、年取った人間がやるもの。若いころは器械に頼らず、土俵の中でガンガン稽古をやるべきです。私なんて最低でも人の5倍は稽古をやりましたから。

二宮: 実は私は「巨人、大鵬、卵焼き」世代のひとりですが、親方はこのフレーズがあまりお好きではないそうですね。
大鵬: いや、嫌いというのではなく、巨人と一緒にされては困るということです。

二宮: それはなぜでしょう。
大鵬: 昔から巨人はカネの力でいい選手ばかり集めてきた。今だってたたき上げの選手はほとんどいないでしょう。私は、たたき上げの人間です。先にも言ったように人の5倍は努力して横綱になった。強かったころ、よく言われたものです。「あなたのことは強すぎて嫌いです」と。あるいは「あなたは天才だから、凡人のことはわからない」と。
 もちろん、私も言い返しました。「あなたは私の稽古を見たことがありますか?」と。「私は人の5倍は努力した。もし私が稽古もせず、ただ遊んでいて“天才”と言われるならそれでもいい。ただ、私のように努力した人間を“天才”の一言で片づけるのは、いかがなものでしょう?」と。天才というだけで勝てるほど、相撲の世界はあまくありません。

二宮: 以前、弟弟子の天龍源一郎さん(現プロレスラー)から、こんな話を聞いたことがあります。親方が横綱のころ、北葉山や栃光らの5大関を相手に稽古をした。親方は水を口に含んだまま、微動だにしない。そして稽古が終わったあと、口に含んでいた水をチュッと吐き出した。それを見た天龍さんら弟弟子は「うちの横綱の強さは別格だ」と喜んだというのです。
大鵬: そういうこともありましたね。5大関の時には全員を相手にしました。自分からグッと受けたら押されることもありません。天龍ら若い衆には引退してから稽古をつけてやりましたよ。棒で丸い円を描いてね。「ここから出たら3万円やるよ」と言って胸を貸したこともある。もちろん、相手は思い切って当たってくる。まぁ、ぜんぜん動かなかったけどね(笑)。

二宮: 親方には柏戸という宿命のライバルがいました。
大鵬: 私が柔なら柏戸は剛。柏戸がガチャンと当たるほうなら、私は差すほうでした。つまり、自分が差しにいって相手を引っ張り込む。引っ張り込むということは相手を呼び込むということです。
 よく「大鵬の相撲には型がない」と言われましたが、そうではなく、私は相手が誰であれ、どのようにでも相撲をとることができた。師匠に言われたものです。「山の水が高いところから低いところに自然に流れるように、相手に逆らわないで、どんな相撲でもとらなきゃダメなんだ」と。その型でしかとれないというのは、本当に強い力士ではない。

二宮: その型にはまれば強いとは、逆説的に言えば、その型でなければ相撲がとれないということです。型がまったくないよりは、得意の型があったほうが強い。しかし、本当に強い人は型がないように見える。これは型がないのではなく、無数に型があるということだと思うんです。だから、型が見えにくい。
大鵬: せっかく、ひとつの型ができても、その型にならなければ勝てないというのでは話になりませんよ。

二宮: いずれ自らの優勝回数(32回)を抜く横綱が現われると思いますか。
大鵬: 記録は破られるためにあると思っています。そういう横綱が現れるのなら大歓迎です。
 ただ、それだけの覚悟のある力士がいるかな。私が横綱になったとき、まず何を考えたと思います? いつ、やめようかということです。大関なら幕下まで落ちても、もう一度やり直すことができる。でも横綱は弱くなればやめるしかない。そのくらいの責任を背負って土俵に上がっているんです。
 だから、優勝してうれしかったことなんて一度もありませんよ。ただただ“今場所も綱の責任を果たせたな”をホッとするだけ。優勝の瞬間、もう来場所のことを考えていましたから。私は10年にわたって綱を張りましたが、今の力士のように喜んだり、満面に笑みを浮かべたりしたことは一度もないと思います。

二宮: 伝統文化である大相撲を守るために一番必要なことは何でしょう。
大鵬: 相撲とは何か、日本の国技とは何か。それをひとりひとりの親方、力士が絶えず問い直すことでしょうね。
 具体的な問題点をひとつあげれば、巡業の少なさが気になります。昔は全国津々浦々、いろんな町や村に行ったものです。学校のグラウンドや大きな運動場を使ったりしてね。雨が降れば“さかどり”(上位の力士から相撲をとる)をやるか、延期になることもある。でも、それじゃあおカネをもらっている地方のお客さんに申し訳ないということで、大きな体育館のあるところでやるようになった。こうしてファンの交流が減ったということが、相撲人気停滞の一因となっている。
 巡業で触れ合うことで、ファンとの交流が生まれる。私たち力士も稽古を積み、より強くなることができる。巡業には体をつくる目的もあるんです。そこで鍛えたものを本場所で皆さんに審査してもらう。そして番付が決まり、最後に星取りという通信簿が渡される。相撲とは、この繰り返しなんです。この原点に相撲界全体がもう一度、立ち返る必要があるんじゃないでしょうか。

<この原稿は2005年8月号『月刊現代』に掲載された内容を抜粋、一部修正したものです>