9月22日、ソチ五輪へ向けて、代表候補選手たちが長野の山中を駆けていた。スタートダッシュの速さを競い合う大会の全日本プッシュ選手権。午前はスケルトン、午後はボブスレーの代表候補らが凌ぎを削っていた。まだシーズン開幕前ということもあり、あたりは雪化粧とはいかず緑に囲まれていた。そんな中、数カ月後に迫った白銀の世界を描きながらソリを押す選手たち。それはソチで輝くための助走する姿に映った。
(写真:“下町ボブスレー”1号機。ボディはカーボンファイバー)
 下町の技術を世界へ発信 〜ボブスレー〜

 今回、ソリ競技の中で最も注目を浴びているのが、“下町ボブスレー”で話題となっているボブスレーだ。“氷上のF1”と呼ばれるボブスレーのソリ製造には、イタリアのフェラーリ、イギリスのBMWなど世界有数の自動車メーカーが開発に携わってきた。日本はこれまでその外国製の中古を使用していたが、今回は違う。東京都大田区の中小企業が結集し、初めてマテリアル戦争に参戦。“メイドインジャパン”で世界に挑む構えだ。

 約40社の協力によって、昨年10月末に完成した1号機は、仙台大学で使われていたソリをベースに作られた。昨年12月に試走した後に全日本選手権で実戦デビュー。1号機に乗った吉村美鈴、浅津このみ組が見事、優勝した。今年3月には、国際大会デビューを果たした。ノースアメリカンカップ2試合に出場し、いずれも7位入賞という成績を収めた。

 今月8日には約60社が携わった2号機が完成披露された。選手たちからの要望を受け、1号機からの小型軽量化を図った2号機は、全長は24センチ短縮した3メートル、重量は15キロ減の170キログラムに仕上がっている。小型軽量化はスタートダッシュのスピードアップが狙い。外国勢とのパワーの差をソリの軽量化で補う考えなのだ。今後、2号機は代表選手たちと海外遠征に挑み、11月に実戦デビュー。世界を転戦し、テストを重ねる。そこで浮き彫りとなった改良点を、日本に残している3号機に落とし込んで、“下町ボブスレー”を完成させる予定だ。
(写真:初の五輪はブレーカーとして出場したパイロットの鈴木)

“新兵器”を操縦する選手たちも徐々に絞られてきた。パイロットには4度の五輪出場経験を誇る鈴木寛が決定している。鈴木はバンクーバー五輪後に一度現役を退き、コーチとして後進を指導していたが、下の世代が育ってこなかったことにより、昨年に復帰を決意した。パイロットはラインの読み、咄嗟の判断力など経験が重視される。一朝一夕でできるポジションではない。日本の男子ボブスレーは、初出場した72年の札幌五輪から11大会連続出場中だ。それをソチで途切れさせるわけにはいかないという苦渋の決断だった。

 パイロットを支えるブレーカーには、5月の第一次選考から8月に第二次選考を勝ち抜いてきた5人の候補者がいる。5人のうちトリノ、バンクーバー五輪に出場したベテランの小林竜一以外は、他競技からの挑戦だ。和久憲三はアメリカンフットボールのXリーグアサヒ飲料チャレンジャーズに所属するディフェンシブラインの選手。03年パリでの世界選手権にも出場している宮崎久、そして佐藤真太郎は陸上の短距離ランナーだ。仙台大学2年の黒岩俊喜も、大学入学後にボブスレーは始めたばかり。元々は陸上選手だった。ブレーカーには助走のためのスピードと、ソリを押すパワーが必要となる。そのため陸上競技からの転向者は多いのだ。

 今年の全日本プッシュ選手権で優勝した佐藤は、ボブスレーと陸上競技の共通点をこう語る。「中盤からの加速が似ていますね。どちらかと言えば、投てき競技に近いかもしれません。4人乗りは瞬間的に合わせなければならないし、意見をぶつけ合う。そこは4継(400メートルリレー)にも似ていると思います」
(写真:大東文化大学陸上部のコーチであり、講師でもある佐藤)

 JBSLの山本忠宏強化委員長によれば、ブレーカーの候補5人は、今後10月下旬から12月中旬にかけて海外遠征を行い、12月20日に4人に絞られる。今回の全日本プッシュ選手権の結果は選考外で、氷上でのスタートタイムで判断するという。ソチ五輪の出場枠に関しては、1月19日時点で、2人乗り、4人乗りともに世界の上位26組が手にすることができる。たとえ、それ以下でも1カ国3チームまでのため、繰り上がりでの出場の可能性もあるが、決して甘くはないことは確かだ。出場枠を獲得できなければ、ソチ五輪での“下町ボブスレー”3号機のお披露目はない。初めて“メイドインジャパン”で挑む五輪となるだけに、メディアなどでの露出が増えており、ボブスレーの認知拡大や、日本の技術力の証明にもつながるはずだ。代表候補選手たちは、彼ら自身のみならず、町工場の“プライド”も乗せ、ソチ五輪を目指している。

 渇望する大舞台、第一人者超えへ 〜スケルトン〜

 3大ソリ競技と言われるスケルトン、ボブスレー、リュージュ。この3つの異なる競技が日本では、日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟(JBSL)というかたちで一括化されている。そのソリ競技の中で上位進出が見込めるという判断からバンクーバー五輪後、強化費の約8割が投入されているのがスケルトンだ。
「ソチ五輪でのメダル獲得、入賞は、選手個々の夢だけでなく、スケルトン界全体の夢」と、JBSL鈴木省三理事は期待を寄せる。

 日本のスケルトンといえば、第一人者でもあり、“中年の星”と呼ばれて名を馳せた越和宏の名を思い出す人も少なくないだろう。ワールドカップ(W杯)ではソリ競技としては日本人初の優勝を果たすなど、通算2勝を挙げた。2002年のソルトレイクシティ五輪から3大会連続で出場し、ソルトレイクシティ五輪では日本人初の8位入賞を果たした。その越も10年のバンクーバー五輪を最後に、第一線から退いた。それ以降、未だ名実ともに彼を超える選手が生まれていないのが現状だ。
(写真:女子代表候補の中山は越に影響を受けてスケルトンを始めた)

 現在は代表コーチを務め、JBSLのスケルトン強化部長でもある越は、代表チームに「ソチ五輪で6位入賞以上」というノルマを課す。それにはスケルトン発展を願う思いがある。「知名度が低いことを覆すためには、やはりオリンピックなんです。そこで結果を残して、ブームを巻き起こして欲しい」と選手たちにエールを送る。いわば“越超え”が、この競技の悲願であるのだ。

 代表の選考会を兼ねた今年の全日本プッシュ選手権には男子23名、女子10名の計33名が参加した。「全日本」と名のつく大会とはいえ、日本を代表する選手もいれば、女子の部では候補者ではない地元中学の姉妹も“参加”していた。それだけ出場者が少なく、マイナー競技である所以だろう。同大会は15メートルの助走からの50メートルを滑走し、2本の合計のタイムを競った。

 男子では高橋弘篤が2本とも5秒33を叩き出し優勝。女子の優勝者の大向貴子は出場者で唯一2本とも5秒台(5秒97、5秒92)をマークした。ともに日本代表の候補選手。高橋は全日本選手権で3連覇中、大向は優勝こそないものの3年連続で表彰台に上っている。国内では実力者の2人だが、まだ五輪の舞台に選手として足を踏み入れたことはない。10年の五輪には現地バンクーバーで観戦していた。そこで2人は大舞台への憧憬を強くした。高橋は「特別な思いがあります。W杯で経験した雰囲気とは全然違い“こんなに華やかなのか”と圧倒され、自分も“とにかく立ちたい”と強く思いました。あの日がなかったら今の僕はないです」と語り、大向もまた「あの雰囲気の中でやれる選手が羨ましかった。“あそこに立つ”と、明確に思った瞬間でもありました」と、自身の分岐点になったと口にした。
(写真:優勝した高橋。その実力は抜きん出ていた)

 高橋、大向らスケルトンの代表候補選手たちは、今後、代表選考以前に国としての出場の枠取りを果たさなければならない。10月からのW杯、インターコンチネンタルカップ、ヨーロッパカップ、アメリカズカップに候補選手が出場してポイントを稼ぎ、男子は30人、女子は20人に入ることが求められるのだ。さらに、出場枠を取れば、そのまま代表になるわけではない。昨シーズンの世界ランキングで言えば、高橋は20位で十分圏内だが、JBSLの選手選考は<目標達成を第一>に考えている。そのため、枠取りに成功しても、目標である「6位入賞以上」が見込まれないとなれば、日本国内で派遣を見送るという判断も有り得るのだ。彼らが渇望する舞台へのハードルは決して低くない。越強化部長は、メンタル面が重要になると語る。「スケルトンは孤独なスポーツ。いかに自らの力を発揮できるかに懸かっている」

 唯一無二の希望 〜リュージュ〜

 ソリ競技で唯一、スタート時からソリに乗っているのがリュージュだ。そのリュージュの日本代表は既に決定している。金山英勢だ。実は、金山は3年前から、ライバルのいない、そしてコーチも不在の孤独な戦いを強いられている。
(写真:自身初の五輪出場を目指す金山)

 バンクーバー五輪で日本リュージュは男子(1人乗り)1人、女子(1人乗り)2人が出場。結果は男子30位、女子は26位と失格に終わった。成績が振るわなかったこともあり、JBSLは日本オリンピック委員会(JOC)からの賃金補助を受けられる専任コーチの申請を辞退。これにより、日本選手は海外遠征にコーチ不在で臨まなければならなくなった。女子は派遣すらされなくなり、唯一の代表として金山は、日本が提携するイタリアナショナルチームなどに帯同して、世界を転戦した。

 今シーズンは、シーズン前のトレーニングでケガをするなど、調整はギリギリだった。それでも「最後まで諦めない」が信条の金山は、きっちり間に合わせてきた。現在はノルウェーやカナダなど北米、北欧でトレーニングを行っている。今シーズンは海外遠征に長野、ソルトレイクシティ五輪を経験した高橋敬がコーチとして付き、4年ぶりに“孤独”から解放された。心強い味方を得たことにより、金山には精神的な充実がうかがえる。

 そんな金山にとって、本当の勝負はこれからだ。男子リュージュの出場枠は37。11月16日に開幕するワールドカップで、12月15日までの5戦までの世界ランキングで決定する。らなければならない。金山は昨シーズンの世界ランキングは40位だったが、各国3人までの制限があり、ランキング上位に1カ国4人以上の選手が入った場合は38位以下の選手が繰り上がる。それを当てはめると、昨年の金山は33番目で、出場枠圏内だった。つまり昨シーズンと同等の成績を残せれば、十分に可能性はあるということだ。

 ボブスレー同様、72年の札幌五輪から11大会連続で出場中のリュージュ。唯一無二の星である金山が、ソチで煌めくことが、日本リュージュ界の希望の光となる。

(第3回は11月4日に更新します)

(文・写真/杉浦泰介)