第20回 ソチで迎えたゴール、そして新たなスタート

 ソチパラリンピックを最後に、スキー競技の第一線から退いた選手がいる。座位カテゴリーの久保恒造(日立ソリューションズ)だ。大会前から「ソチが集大成」と決めていた。 「バンクーバーからの4年間、毎日メダルを獲ることだけを考えてきた」久保は、クロスカントリー、バイアスロン合わせて6レースに出場した。なかでも大本命は、最も得意とするバイアスロン・ミドル(12.5キロ)。久保は同種目で金メダルを狙っていた。

第19回 狩野亮、ソチパラリンピック金メダル秘話 〜マルハン報告会見〜

 25日、ソチパラリンピックで2冠(滑降、スーパー大回転)を達成したアルペンスキー男子座位カテゴリーの狩野亮が、所属する株式会社マルハンの東京本社で報告会を行なった。約300人の社員に拍手で迎えられた狩野は、韓裕代表取締役社長から花束が贈られると、「こういうかたちで金メダルを報告できて、本当に嬉しい。今後の自信につなげていきたい」と喜びを口にした。滑降での金メダルは日本勢初。スーパー大回転で達成した連覇も冬季では日本人で初めてと快挙を成し遂げた狩野。その金メダル獲得には、いくつもの支えがあったことを語った。

第18回 進化を求めてきた4年間(アルペンスキー・夏目堅司)

「こういうことか……」。昨年1月、イタリアでのヨーロッパカップで夏目堅司は初めての感覚を味わっていた。その日行なわれたスーパー大回転、夏目は4位に入った。W杯メンバーがほぼ勢ぞろいする中での好成績だった。そして、内容にも夏目は納得していた。 「これまでは攻めようという気持ちはあっても、どうしても守りの気持ちがあって、攻め切れていませんでした。でも、その時はなぜか思い切っていけたんです。日本チームの選手たちが次々と滑っていくのを見ていて、“よし、自分も”という気持ちが大きかったのかもしれません。スタート台に立った時、“行くしかない”と初めてスイッチが入ったんです。滑り終わって“あぁ、突っ込むってこういうことなんだ”と思いましたね」  その時、夏目はこれまでの苦労がようやく報われたような気がしていた。

第17回 「8年越しの雪辱」(アルペンスキー・東海将彦)

 2006年トリノパラリンピックからの歳月は、どれほど長く、険しかったことだろう――4年前、東海将彦はバンクーバーパラリンピックの代表権を得ながら、直前の国内大会でもともと痛めていた左足を悪化させてしまった。当初はぎりぎりまで治療し、パラリンピック期間の後半に実施予定だった回転、大回転に出場することも考えていた。だが、悪天候により競技日程が大幅に変更され、技術系種目が前半に実施されることとなった。もう、出場を断念するほかなかった。と同時に、東海の頭は4年後へと切り替わったのである。バンクーバーに出場した仲間たちよりも一足先に、ソチへのスタートを切った。

第16回 「笑顔の金メダル予告宣言」(アルペンスキー・鈴木猛史)

<チームJAPANで表彰台独占>――ソチパラリンピック、アルペン・チェアスキーヤー日本代表が掲げている目標だ。これは決して夢物語などではない。近年のW杯の表彰台には、常に日本人選手の姿があり、さらに2011−12シーズン、12−13シーズンと2シーズン連続でW杯総合チャンピオンは“チームJAPAN”から誕生しているのだ。可能性が高いのは、大回転とスーパー大回転だ。4年前のバンクーバー大会では、スーパー大回転で狩野亮が金メダル、そして森井大輝が銅メダルを獲得し、表彰式では2つの日の丸が掲げられた。狩野、森井ともに現在も世界トップクラスに君臨しており、ソチでもメダル候補の筆頭に挙げられている。この2人に加えて、もうひとりのメダル候補が鈴木猛史、25歳だ。

第15回 「世界との差を縮めた“ビッグ・チェンジ”」(クロスカントリー/バイアスロン・佐藤圭一)

「あぁ、本当にこれで良かったんだ……」 2013年12月、ソチパラリンピックシーズンの開幕戦となったW杯初戦(カナダ)。クロスカントリー(立位)の佐藤圭一は、それまで抱いていた疑念が、確信へと変わっていくのを感じていた。その日、佐藤がテーマとしたのは“リラックス”だった。 “力強く、がむしゃらに”滑るこれまでとはまったく違うスタイルに、正直、佐藤は半信半疑だった。しかし、その成果は予想をはるかに上回っていた。前シーズンまでの佐藤は、例えばクラシカル・ミドル(10キロ)では差が開いた時にはトップ選手より5分ほど遅れをとっていた。だが、その時のトップとのタイム差は、2分台。確実に佐藤のパフォーマンスは上がっていたのだ。

第14回 「進化を生み出した意識変化」(アルペンスキー・三澤拓)

 昨夏、三澤拓はある手応えを感じ始めていた。8月に雪を求めて行ったニュージーランド遠征で数カ月ぶりに雪上を滑った三澤は、自分の変化にすぐに気付いた。「こういうことか……」。その手応えは、シーズンに入ると、結果として表れ始めた。昨年12月のノルアムカップ(北米カップ)で、三澤は大回転(GS)で優勝した。それは、2010年バンクーバーパラリンピック後、初めての国際舞台での表彰台だった。さらに、得意の回転(SL)では表彰台こそ逃したものの、2本目は同種目の世界トップ3がいる中で堂々の2番目のタイムを叩き出した。4年に1度の世界最高峰の舞台を迎える準備が、ようやく整いつつあることを三澤は実感していた。

第13回「女子力と団結力で“長野超え”へ!」

 いよいよソチ五輪開幕が目前と迫ってきた。各国の代表選手団が続々と発表され、その陣営が明らかになっている。日本は男子48人、女子65人の計113人で挑むことが決まった。今大会は冬季五輪史上初めて女子選手の人数が男子選手を上回った。団体種目アイスホッケー、カーリングで女子チームが出場するためだ。役員を含めての選手団248人は、冬季五輪の海外派遣としては2006年トリノ五輪を超え過去最多となる。今大会での目標は「金メダル5個、合計10個」と、これまでの冬季五輪で最もメダルを獲得した長野五輪(金5、銀1、銅4)に並ぶことだ。そのカギを握るのは“女子力”と“団結力”だ。

第12回「“3度目の正直”で狙う金メダル」(アルペンスキー・小池岳太)

「世界を目指してみないか」  通っていた大学の助教授に言われたこのひと言で、小池岳太のスキー人生はスタートした。あれから11年。小池は世界最高峰の舞台、パラリンピックに2度出場した。本格的にスキーを始めて2年目で臨んだトリノ(2006年)では、出場した5種目すべてでトップとは10秒以上の差をつけられ、「メダル圏外。まったく勝負にならなかった」。メダル獲得を目指して挑んだバンクーバー(10年)では、前年夏に靭帯を損傷したヒザのケガが完治せず、「その時のベストは出せたが、『もっとできたはず』という悔しさが残った」。「今度こそは」という思いを胸に、約1カ月後に迫ったソチでは、“3度目の正直”を狙う。

第11回「ソチ、史上稀にみる難関ゆえの面白さ」(アルペンスキー・狩野亮)

「やっぱりこの景色じゃ、満足できない……」――1年前、狩野亮のスイッチが入った。2013年2月、スペインで行なわれた世界選手権。狩野はチェアスキー・スーパー大回転(SG)で3位に入った。久々に上がった表彰台。「ようやくこの場所に戻ってきた」という感慨深さと同時に沸いてきたのは、「このままでは4年に一度の舞台で、もう一度あそこに立つことはできない」という気持ちだった。1年後に迫った“本番”に向けて、狩野は自分自身に喝を入れた。

第10回「Wエース・加藤&長島、頂点だけを見つめて」(男子スピードスケート)

 1998年の長野五輪でスピードスケート競技日本人初の金メダリストが誕生した。男子500メートルで優勝したのは清水宏保だ。しかし、それ以降、スピードスケートで表彰台の中央に立った日本人選手は現れていない。来る2月のソチ五輪では、日本短距離陣のWエース加藤条治、長島圭一郎(ともに日本電産サンキョー)に、4大会ぶりとなる金メダルへの期待が寄せられている。

第9回 「What is ソチ?」

 2月7日に開幕するソチ五輪。日本国内ではスケート競技や、ソリ競技などの日本代表が続々と決まり、大舞台への機運が高まりつつある。今回の開催国であるロシアは、ソビエト連邦時代を含め、これまで冬季五輪で計308個のメダルを獲得してきた大国だ。だが意外にも冬季五輪の開催は初。それだけに、ウラジーミル・プーチン大統領をはじめとして、同国がこの大会に懸ける思いは強い。今回はあと1カ月と迫ったソチ五輪について、その特徴や見どころを紹介する。

第8回 「重圧を越えて、掴んだ五輪切符」(女子カーリング)

 のしかかる重圧から解放され、感極まったのだろう。女子日本代表のスキップ・小笠原歩は全身の力が一気に抜けたかのように、氷上でうずくまった――。  12月15日のプレーオフ第2戦、9対4で迎えた第9エンド、後攻のノルウェー代表のスキップが最後に投じた黄色いストーンは、ハウスの真ん中に収まらなかった。まだ日本の赤いストーンはハウス内側に1個残っており、このエンド、日本に1点が入るスチール(先攻のチームが得点)となった。これでトータルスコアは10対4。するとノルウェー代表の選手たちが握手を求めてきた。それは勝負を諦め、ギブアップの合図だった。この瞬間、日本の5大会連続の五輪出場が決まった。

第7回 「竹内智香、4度目の五輪 悲願のメダルへ」<後編>(女子スノーボード・アルペン)

 2007年8月、竹内智香は拠点を日本からスイスへ移した。竹内の熱意により、スイス代表チームへの帯同を認められたのだ。だが、2カ月間という期間限定だった。「スイスチームの人たちに、必要としてもらえるようになろうと思いました。言葉は通じませんでしたが、ムードメーカーになるように徹しましたし、チームが要求するものには応えようと思ってやっていましたね」

第6回 「竹内智香、4度目の五輪 悲願のメダルへ」<前編>(女子スノーボード・アルペン)

 スノーボードのアルペン種目は、長野五輪で正式種目に採用されて以降、パラレル大回転の1種目のみだった。しかし来年2月のソチ五輪からはパラレル回転が新たに追加される。この競技の日本の第一人者である竹内智香(広島ガス)は「4年に1度の五輪。8年分の価値があるように感じています」と歓迎する。2種目に出場を目指す彼女にとっては、メダル獲得のチャンスが2倍に増えたからだ。昨シーズンはW杯初優勝を果たし、総合でも3位に入った。手応えを十分に掴んで、五輪シーズンを迎えている。

第5回 「誰よりも高く――日本人初のメダリストへ」(男子スノーボード・ハーフパイプ)

 長野五輪から正式種目に採用されたスノーボードだが、フリースタイルの男子ハーフパイプ種目においては、米国が圧倒的にリードしている。長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバーの4大会延べ16人のメダリストのうち、12人が米国籍だ。現在、その頂点に立つのがトリノ、バンクーバー五輪の金メダリストのショーン・ホワイトである。彼を筆頭にしたスノーボード大国を超えないことには、日本勢のメダルはない。打倒米国へ向け、期待を寄せられているのがナショナルチーム入りをしている平野歩夢、平岡卓、青野令の3人だ。

第4回 「スマイルジャパン、五輪前哨戦で見えたもの」(女子アイスホッケー)

 今年2月、女子アイスホッケーの日本代表が日本勢として最初にソチ五輪出場権を獲得した。初めて正式種目に採用された長野五輪以来、実に16年ぶりの大舞台。自力での出場権獲得は、史上初の快挙だった。彼女たちのトレードマークは、「スマイルジャパン」という愛称の由来でもある“笑顔”だ。だが、世界は甘くはない。今月、横浜で行なわれた5カ国対抗戦「スマイルジャパン ブリヂストン ブリザックチャレンジ」で、スマイルジャパンは早くも笑顔を失いつつあった――。

第3回 「高尾千穂、世界と戦うためのスイッチ」(フリースタイルスキー・スロープスタイル)

 バシャーン! バシャーン! 水しぶきが空高く舞い上がる。フリースタイルスキー・スロープスタイルの高尾千穂は、自らの技を確かめるようにプールに何度も飛び込んだ。まだ雪が積もっていないこの時期、彼女は埼玉県にあるウォータージャンプ場「S-air」でジャンプの技術を磨く。今年3月には国際スキー連盟(FIS)のワールドカップ(W杯)スペイン大会で日本人過去最高位となる4位に入った。ソチ五輪から新種目に採用されるスロープスタイルでの出場を目指し、高尾は今、世界に挑むための武器を研いでいる。

第2回 「五輪へ向けて、それぞれの挑戦」(ソリ競技)

 9月22日、ソチ五輪へ向けて、代表候補選手たちが長野の山中を駆けていた。スタートダッシュの速さを競い合う大会の全日本プッシュ選手権。午前はスケルトン、午後はボブスレーの代表候補らが凌ぎを削っていた。まだシーズン開幕前ということもあり、あたりは雪化粧とはいかず緑に囲まれていた。そんな中、数カ月後に迫った白銀の世界を描きながらソリを押す選手たち。それはソチで輝くための助走する姿に映った。

第1回 「スキップが背負う重責」(女子カーリング)

 一歩、また一歩と足音が近づいてきている――。ちょうど4カ月後の2月7日、4年に1度の冬の祭典、ソチ五輪(ロシア)が開幕する。ギリシャのオリンピアで採火された聖火はモスクワに到着し、7日から123日間に渡る聖火リレーがスタートした。日本国内でも日本選手団が本番で着用する公式ウエアが発表され、スケートやカーリングなど各競技のシーズンが開幕するなど、日本代表の座や五輪出場権を巡る争いもヒートアップしている。そこで新コーナー『ソチに煌めく!』では、各競技の注目選手の紹介や現状、競技の見どころなどを特集する。第1回は女子カーリング。熱戦を繰り広げた9月の日本代表決定戦を振り返りながら、ソチへの道を探る。

Back to TOP TOP