バシャーン! バシャーン! 水しぶきが空高く舞い上がる。フリースタイルスキー・スロープスタイルの高尾千穂は、自らの技を確かめるようにプールに何度も飛び込んだ。まだ雪が積もっていないこの時期、彼女は埼玉県にあるウォータージャンプ場「S-air」でジャンプの技術を磨く。今年3月には国際スキー連盟(FIS)のワールドカップ(W杯)スペイン大会で日本人過去最高位となる4位に入った。ソチ五輪から新種目に採用されるスロープスタイルでの出場を目指し、高尾は今、世界に挑むための武器を研いでいる。
 芽生えた自覚と積み重ねた努力

 今では世界を転戦し、日本トップレベルの実力を持つ高尾だが、スキーを本格的に始めたのは大学2年の冬と遅かった。小さい頃に何度か滑ったことはあったが、ペンションで友人とアルバイトをしたのがきっかけで、フリースタイルのスキーに触れ、高尾はのめりこんでいった。とはいえ、初めからうまく滑れていたわけではない。高尾は「特に自分にスキーの才能があるとは思っていなかったんです」と語る。それでも彼女はスキーをやろうと決意をした。カッコいいことに憧れがあった高尾にとって、魅せることが重視されるフリースタイルスキーは、まさにうってつけの競技だったのだ。

 23歳で物品スポンサーと用具契約を結んだ。いわばプロライダーとしてのスタートを切ったのだ。プロになることは、競技を始めた20歳の頃から、高尾が目標にしていたことのひとつだった。そして強い責任感も芽生えた。「“下手くそではカッコがつかない。もっと上手くなりたい”と思いましたね」。この思いを機にプロスキーコーチ白川大助が主宰する白川塾に入った。「教わったことは数えきれないほどあります。私のスキー人生のすべて」。そう高尾が口にするほど、白川との出会いは大きかった。

 白川も高尾については「下手くそ」との印象を持っていた。「才能があるから引っ張ったわけではないんです。ただ上手くなれないことに悩んでいた。だから“そんなに一生懸命やっているんだったらウチでやればいいんじゃない?”と言ったんです」。競技の未来を考え、白川が手を差し伸べたのだ。その頃の白川塾にはW杯に出場するようなトップクラスの選手が何人かいた。その選手たちと高尾には、圧倒的なレベルの差があった。「みんなができていることが自分ひとりできなかった。悔しくて、毎日落ち込んでいましたね」。だが、その屈辱が負けず嫌いである高尾のやる気に火をつけた。「元々努力するのは嫌いじゃなく、コツコツ積み重ねていくタイプ」という高尾は、必死に周囲の背中を追いかけた。白川も「努力を続けるのも才能」と評価するほど、彼女のスキー技術は上達していった。

 09年にはプロフリースキー協会(AFP)のニュージーランドオープンに出場した。初めて海外での大舞台。果たして、結果は4位だった。胸に残ったのは嬉しさよりも、悔しさ、そして手応えだった。「頑張ったら表彰台に行けるんだなと思ったんです」。“もっと上を目指したい”。競技者としての欲はさらに高まっていった。

 勝利のカギを握る必殺技

 スロープスタイルという競技は、全長数百メートルあるコースにキッカーと呼ばれるジャンプ台、ジブと呼ばれるレールやボックスなどのアイテム(障害物)が5〜7個設置されている。選手はそのアイテムを様々な技を駆使して、クリアする。それを3〜5人いる審判が採点し、得点を競い合う。

 同じフリースタイルスキーのモーグルとは異なり、タイムは計測されない。キッカーでのジャンプは、同じように複数回の技を駆使するハーフパイプとは、高さと飛距離に雲泥の差がある。スロープスタイルだけでなくハーフパイプのコーチも兼ねている白川は、その違いをこう語る。「パイプの場合は狭いコースの中で着地をしたら、すぐにジャンプが来ます。待つ準備時間が少ないんです。着地したら正しいポジションでいかないと、次の踏み切りが来てしまう。その点、スロープスタイルは、次のところまでに距離がある。しかし、パイプは上に飛んでも10メートルを超えることはない。男子は7メーター、女子は2、3メートルしか飛ばないのですが、スロープは女子でも普通に18メートルのジャンプ台を飛ぶ。大きいところは20メートルもあるんです。さらに飛距離も18〜20メートルを超えていかなければダメなんですよ。怖かったら、パイプの場合は滑るスピードを落として、少し飛べばいい。でも、スロープはちょっとだけ飛んだらフラットの部分に落ちてしまいます。だから躊躇はできない。危険だと思ったら、パスするしかないんです。無理に行って、もし着地のランディングのところに届かなかったら、大ケガをします」

 ただ、危険を回避してパスをすれば、1個1個の技で評価するよりも全体の流れで採点をする競技ゆえ、高得点は期待できなくなる。だからこそ冷静な判断力はもちろん、スピード調整能力も必要になる。滑る、飛ぶ、着地する――総合的なスキーの能力が求められる。技術だけでなくスピード感覚や空中感覚も重要だ。その点はスキーを始めるのが遅かった高尾にとっては、ハンディキャップになる。それを補うためには、彼女は得意技“スイッチ”で勝負する。

 白川は彼女の強みは、その技にあると語る。「彼女のアドバンテージは、スイッチという後ろ向きから飛ぶ技術を持っているからだと思います。元々、オリンピックに採用される前から世界で勝つためには、前から飛ぶより後ろ向きから飛ぶ方が高い点がつけられていた。おそらく日本人の中でも一番早くスイッチに着手し、高度な技にも最初に挑戦しているのが彼女なんです。そのおかげで今の立場があるのかなと。もしスイッチをやっていなかったら、日本人女子の平均的な成績にとどまっていたと思います。最近になって、世界の女子も後ろから飛ぶ選手が出てきていますが、安定感という点では、まだまだ彼女(高尾)には及びません。世界に先がけてモノにしたアドバンテージはあると思います」

 高尾自身も自らの武器に絶対の自信を持っている。「私はあまり丁寧なスキーをするタイプではないので、審判からはスイッチのコンボが評価されたりしますね。後ろ向きで着地して、汚くてもそこから後ろ向きでジャンプする。綺麗ではなくても、やる選手が少ない技は、点数が良かったりしますね」。彼女は世界と伍するため、その宝刀に更なる磨きをかける。「きちんと成功できるのは、おそらく世界でも少数だと思います」という後ろ向きで2回転する大技“スイッチセブン”(スイッチ720)をモノにしようとしているのだ。

 競技としての転換点

 11年7月、スロープスタイルはソチ五輪で正式競技としての採用が決定した。競技関係者の中では次の平昌五輪からと予測されていただけに、ソチでの採用は驚きも大きかった。高尾は「正直、実感はなかった」という。しかし、この年からW杯の開催も始まり、徐々に現実味が帯びてきた。そして、プレオリンピックシーズンとなった昨シーズンからは、五輪出場は高尾の明確な目標となっている。

 今年5月、全日本スキー連盟(SAJ)はソチ五輪の日本代表選考基準を発表した。昨シーズンの世界選手権や今シーズンを含む2シーズンのW杯で8位以内に入るなどの、一定の成績を選手に求めたものだった。全日本のスキーチームはトリノ、バンクーバーと五輪2大会連続でメダルを逃している。そのため出場枠に関係なく、基準を満たさない選手は選出しないとの厳しいハードルを設けた。

 高尾は昨シーズンの最終戦で4位という結果を残しているものの、この大会には13年の世界選手権を制したカヤ・タースキー(カナダ)など世界ランク上位の選手がケガやXゲームなどの別の大会に出場し、不在だったことで、基準を満たすには至らなかった。スキースロープスタイルは日本ではマイナースポーツ。SAJとしても実力を測りきれていないため、ナショナルチームは編成されていない。そのため、個人でやっていくしかないというのが現状だ。

 今後、高尾がソチ五輪の出場権を得るための道は決して平坦ではない。まずW杯の残り3戦で1度でも8位以内に入るか、あるいは10位以内に2回、もしくは全3戦で12位以内に入らなければ、代表選考のテーブルにさえつくことができないのだ。ソチ五輪まで100日を切り、ライバルたちも出場枠、代表権を巡り目の色を変えて挑んでくるはずだ。高尾は今年から生活費を稼ぐためのアルバイトを辞めた。借金をしてでも、競技一本に専念し、五輪出場を目指そうと決意したのだ。

「いい会社に入って、食べるのに困りたくない」と思っていた高尾は、大学に入るまでは、スポーツに明け暮れたことはなかった。今、当時描いていた未来予想図とは真逆な人生を選んでいる。自らを虜にしたスロープスタイルの魅力について、彼女はこう語る。
「達成感だと思いますね。7個ぐらいコース場にアイテムがあって、それを全部ミスせずに完走するのは、本当に難しい。だからこそ、その分、完走した時の爽快感が大きいんです。それは1個のジャンプ台でのワンメイク(1回の試技)では味わえないことだと思います」

 ソチ五輪で好結果が生まれれば、日本ではまだマイナースポーツであるスロープスタイルの認知拡大につながるはずだ。そこで人気を獲得できれば、競技人口も増える。さらに人気スポーツとして確立されれば、専用会場の設置など競技環境の向上が図れるかもしれない。そうなれば選手を目指すだけでなく、指導者を生業にすることもできるようになる。つまり、ソチ五輪は、日本スロープスタイル界の大きな転機となるかもしれない。選手としても「自分の限界がわかっていないので、どこまでいけるか試したい」とソチへの思いを語る高尾。自身の活躍が競技普及へのチャレンジであることも理解している。

 高尾はレース直前に必ずすることがある。胸を拳で一度強く叩くのだ。その瞬間、彼女の集中力はグッと増し、戦闘モードのスイッチが入る。前述したとおり、幼少期から始めた周囲と比べ、高尾はスキーヤーとしてのスタートは遅い。本人にとって、その競技人生は「コンプレックスでもあり、誇りでもある」と語る。「“勇気”とは“怖さ”を知ること。“恐怖”を我が物とすることだ」。彼女が好きな漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるセリフは、危険を伴う競技のスロープスタイルにも通じる。白銀の世界を舞台に、彼女は“スイッチ”という武器で戦う。

(第4回は11月18日に更新します)

高尾千穂(たかお・ちほ)プロフィール>
 1984年2月20日、東京都生まれ。20歳から本格的にスキーをはじめ、フリースタイルスキーヤーとなる。07年、物品スポンサーとの用具契約を機に白川塾入りした。09年からスロープスタイルの国外の大会に転戦。AFPニュージーランドオープンで4位入賞を果たした。12−13シーズンではFISアジアオープンで準優勝。FISW杯最終戦では4位に入り、表彰台こそ届かなかったものの、日本人のW杯同種目最高位を記録した。正式種目となったソチ五輪出場を目指している。身長168センチ。
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(文・写真/杉浦泰介)