25日、ソチ五輪日本代表選手団の本隊が帰国し、都内ホテルで記者会見を行った。橋本聖子団長をはじめ、旗手を務めた女子カーリングの小笠原歩(北海道銀行)、副将の田畑真紀(ダイチ)に加え、フィギュアスケート男子シングル初の金メダルを獲得した羽生結弦(ANA)、スノーボート初のメダリストとなった平野歩夢(バートン)、平岡卓(フッド)ら各競技のメダリスト5名が出席し、大会の感想などを述べた。


「結果も含めて、すべて次への大きな希望を見出すことができた」。日本選手団の橋本団長は、そう胸を張った。ソチ五輪で日本が獲得したメダルは計8個(金1、銀4、銅3)。大会前、目標に掲げていた金5、計10個を上回るという“長野五輪超え”には届かなった。それでもスノーボード男子ハーフパイプの平野と、ノルディックスキー男子ジャンプの葛西紀明(土屋ホーム)という日本最年少、最年長のメダリストの名を挙げ、「15歳と41歳という幅広い年齢で日本にメダルを掲げてくれたのは素晴らしいメッセージ力がある」と、チームジャパンの成果を誇った。

“長野超え”はならなかったが、8個のメダル総数と28の入賞数は、いずれも国外開催における冬季五輪では最多である。橋本団長は「メダルに手が届かず自分自身の掲げた目標に達成することができない選手もたくさんおりました。でも、その思いをフォローアップするように(他の)選手が、それぞれの選手の気持ちを受け継いだ。そして、その思いをしっかりと受けとめて、声援に回ってくれた選手たちもいた」と、チーム一丸となったことを要因に挙げた。

 それについては旗手を務めた女子カーリングの小笠原も「最後まで決勝トーナメントに関われるぐらい粘ることができたのも、チームジャパンの他競技の方々の活躍が力になった」と語る。ソチ五輪での5位入賞は、過去最高の成績。長野五輪でも5位だったが、当時の出場国・地域数は8だ。出場数が現行の10チームとなってからの7位という自らも出場したトリノ五輪の記録を上回った。小笠原はソチ五輪をこう振り返った。「私は3度目の出場だったんですが、すべての面において、最高のオリンピックだったと思っています。その中で同じ仲間、選手団の皆様と一緒に戦えたことを一生忘れませんし、一生の誇りだと思っています」。結婚、出産を経て、現役へカムバックした小笠原は、誇りを胸にカーリング界への尽力を誓った。

 今大会、唯一金メダルを獲得した羽生は「胸に金メダルを掛けて、こうやって日本に帰ってくることができ、とても誇らしく思っています」と喜びを語った。世界選手権3連覇のパトリック・チャン(カナダ)などの強豪を倒して優勝。それでも19歳の新王者は、「僕自身は演技の内容については満足しているわけではありません。ショートプログラムについては納得の出来るいい演技ができたと思いますけど、(フリーは)課題の残った演技となってしまった」と悔いもある。そういった思いもあって、日本に帰ってきて何をしたいかと問われると「どちらかといえば早く練習したい」と答えた。

 羽生はオリンピックを「単なる試合」と、位置づけていたという。ただ表彰台でメダルを掛けると、その重みをヒシヒシと感じてきた。4年後の平昌五輪では、出場すれば連覇を期待される。「これからはオリンピックチャンピオンとして、チャンピオンらしい演技ができる強いスケーターになれるよう精一杯頑張っていきます」。まずは3月に行われる世界選手権で、その一端を世界に見せつける。

 橋本団長は、大会終えて「何をすべきか。バンクーバーの時より、見据えるのものが明確に出てきた」と語った。具体的には、環境整備を含め、医科学的な観点や情報、道具の開発などを強化策に組み込むことだという。次の冬季五輪は隣国の韓国で行われる。「今作り上げているイメージとしては、4年後は自国開催のつもりで取り組んでいきたいと思っております」と橋本団長。獲得メダルや入賞の数だけで言えば、ある程度の成績を残したソチ五輪。今大会で注目度が上がった競技もあっただろう。ただ一過性のものに終わらせるのではなく、継続していくことが重要である。4年後のみならず、その先も見据えて各競技の強化、発展を願う。