日本代表が初めて出場したワールドカップ――1998年フランス大会での日本の守りは海外のメディアからも高い評価を受けた。井原正己とともに最終ラインを統率したのが秋田豊である。
 初戦のアルゼンチン戦ではエースストライカーのガブリエル・バティストゥータを徹底してマーク。世界屈指の点取り屋と堂々のマッチアップを演じた。

 2戦目のクロアチア戦ではレアル・マドリードで飛ぶ鳥を落とす勢いにあったダヴォル・シューケルにも競り負けなかった。

 秋田の回想――。
「それでも結局はバティストゥータとシューケルにゴールを決められて日本は負けた。ちょっとしたスキも見逃さないのがワールドクラスのストライカー」

 善戦虚しく、日本はともに0対1で敗れ、3戦目を待たずに1次リーグ敗退が決定するのだが、攻めはともかく守りは一定の水準に達していることを証明した。

 守備が鍛えられた要因――それは欧州の主要リーグでキャリアを磨き、ワールドカップで名をあげた後、Jリーグにやってきたビッグネームたちの存在にあった。

 たとえば94年にイタリア・セリエAのインテルからジュビロ磐田入りした元イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチ。彼は90年、母国で行われたW杯で得点王となり、同時にMVPも受賞していた。
「スキラッチのこぼれ球への反応の速さには、しばらくの間ついていけなかった」
 秋田はそう語っていた。

 97年にはパリ・サンジェルマンからパトリック・エムボマがガンバ大阪に入団した。「アフリカ有数のストライカー」の動きに 日本人DFたちは衝撃を受けた。
 再び秋田。「ゴールから30メートルくらい離れたところで、僕がエムボマに体を寄せて股を開いた瞬間、ワンステップでゴール左隅にピシッと決められた。30メートルも離れたところからワンステップでシュート決められる人間なんていないですよ」

 こうした異次元のストライカーが秋田をはじめとするJリーグでプレーするDFたちを鍛え、育てたのである。

 Jリーグにとっては久々のビッグネームだ 。2010年南アフリカW杯MVP&得点王のウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランがセレッソ大阪に入団した。
 欧州の強豪クラブを渡り歩いた彼は、昨年8月に行われたキリンチャレンジ杯で日本代表から2点を奪っているため、日本での知名度も十分である。両足から正確かつ強烈なシュートを放つことができる世界屈指の点取り屋だ。

 近年、Jリーグの多くのクラブは「身の丈に合った経営」を錦の御旗に掲げるあまり、積極的な投資を避けてきた。それが原因で、Jリーグ創設時、スタジアムを包んでいた“華やぎ”が失われつつあったことも事実である。

 ウルグアイ人がセレッソとかわした契約は1年6億円(推定)。フォルラン効果は、JのDFたちに強烈な刺激を与えるのみならず、リーグ全体を潤すことになるだろう。

(この原稿は『サンデー毎日』2014年3月2日号に掲載されたものです)


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