ソチパラリンピックを最後に、スキー競技の第一線から退いた選手がいる。座位カテゴリーの久保恒造(日立ソリューションズ)だ。大会前から「ソチが集大成」と決めていた。
「バンクーバーからの4年間、毎日メダルを獲ることだけを考えてきた」久保は、クロスカントリー、バイアスロン合わせて6レースに出場した。なかでも大本命は、最も得意とするバイアスロン・ミドル(12.5キロ)。久保は同種目で金メダルを狙っていた。
 2012−13シーズン、久保は日本人では初めてバイアスロンのW杯総合チャンピオンに輝いた。だが、その時点で久保は「1年後、ソチで表彰台に上がるのは難しいだろうな」と危機感を抱いていた。その理由を久保はこう語っている。
「よくよく自分の成績を分析してみると、単に得意の射撃でアドバンテージがとれていただけで、滑りではまったく勝っていなかった。強豪揃いのロシア勢が、ソチの本番では必ず射撃での命中率を上げてくるだろうということは予想がつきましたから、滑りで勝てない限り、3番以内には入れないと思いました」

 そこで、前年から取り入れた専門家のもとでの科学トレーニングや、フォームの修正、シットスキーの改善など、久保は出来得る限りのことを行ない、滑りを強化してきた。さらに、得意の射撃も磨きをかけ、ほぼ100%の命中率を誇るようになっていた。4年間での成長、そして自信をもって、久保はソチパラリンピックに臨んだ。

 心折れかかったアクシデント

 競技4日目の3月11日、現地時間午前10時48分。バイアスロン・ミドルの男子座位カテゴリーがスタートした。30秒ごとに次々と選手たちがコースへと飛び出していく。ランキング上位の久保は、最後から2番目のスタートだった。澄み切った青空が広がっていた前日とは一変、その日はどんよりとした雲に覆われ、霧雨が降っていた。選手たちは、視界不良の中、いつも以上に足元に注意を払わなければならなかった。

 しかし、久保にとって悪天候はまったく苦ではなかった。初日のショート(7.5キロ)で日本人第一号となる銅メダルを獲得していたこともあり、気持ちは乗っていた。そんな久保に思いもよらぬアクシデントが起こったのは、スタートして間もなくのことだった。コースはスタートして、すぐに折り返し地点があり、ターンするようになっていた。久保はコーナーに入る前から徐々にスピードを緩め、ターンに備えた。ところが、予想していた以上に雪面はアイスバーンとなっており、スキー板がよく滑った。久保はあわててブレーキをかけたものの、遅かった。勢いを制御することができず、そのままコースアウトしてしまったのだ。

「自分のミスでしたね。ブレーキをかけるのが一瞬、遅れてしまいました。コースアウトした場合、コースから出てしまった場所まで戻ってから、滑り始めなければならないんです。転倒もしていましたので、30秒以上はロスしてしまった。『これはもう、表彰台は厳しいな』と。正直、投げ出したい気持ちになりました」

 だが、久保はレースを続行した。経済的、技術的、精神的に支え続けてくれた人たちがいたからこそ、4年間、無我夢中にメダルを追い求めて競技に専念することができたことを考えれば、途中で投げ出すわけにはいかなかった。そして、悪天候の中、スタンドでは後援会の応援団や家族が見守っていた。そんな中、アスリートとして自分がすべきことは、十分すぎるほどわかっていた。久保は、気持ちを立て直し、レースを再開させた。

 痛感した4年に一度の難しさ

 途中、何度も気持ちが折れそうになったが、気力を振り絞り、滑り続けた。
「とにかく前へ前へ、という気持ちでした。ひとつでも順位を上げて、3位の選手にどれだけ近づくことができるか、だけを考えて滑っていました」
 1周目の16位から2周目で一気に9位まで追い上げた久保はその後、9位から8位、8位から7位へと、ジリジリと順位を上げていった。

 1回に5発撃つ射撃では、1発ミスするごとにペナルティとして150メートルのペナルティループを1周しなければならない。つまり、たった1発のミスが命取りになるのだ。レース中は「精神的にきつかった」と語る久保だが、それでも4回の射撃をすべて満射に仕留めてみせた。そして、応援団が声援を送るスタンドの前に用意された最後のホームストレートで余力の全てを使い切り、久保はゴールした。結果は6位入賞。表彰台はロシア勢が独占した。

 出場した6レースで久保が手にしたメダルは、バイアスロン・ショートでの銅メダルのみだった。久保はその銅メダルを手にとり、そっとなでた。そして、こう答えた。
「前回のバンクーバーでは一度も表彰台に届かず、4年に一度の大会で勝つことの難しさを教わりました。そして、今回のソチでは銅メダルを獲得することができましたが、3番以内に入る難しさというのはまったく変わらず感じました」

 ただ、4年前とは気持ちが違う。バンクーバーでは「悔しさしか残らなかった」が、ソチを終えた今、久保は清々しさを感じている。
「集大成としていたソチで、自分の力を全て出し切ることができた。今は悔いはありません」
 スキーヤー久保恒造はソチで有終の美を飾った。

 マラソンランナーとしての新スタート

 ソチパラリンピックから約1カ月経った今、久保は既に次なる目標に向けてスタートを切っている。「次なる目標」――それは久保が北京、ロンドンと2大会連続で、ほんのわずかの差で逃した夏季パラリンピックへの出場、そして表彰台だ。もともと車椅子マラソンランナーである久保にとって、夏季大会への思いは強く、冬季大会に出場したことで、さらにその思いは膨らんでいる。

 最終的な目標は、2020年東京大会で金メダルを獲得することだ。だが、東京開催決定後に、20年をゴールと位置付けたわけではない。自分の競技人生を考えた中で、20年が最も金メダルを狙えると考えたのだ。
「時間的なことを考えると、一番力を出せるのは6年後の20年かなと。それで、そこを最終的な目標としたんです。そしたら、たまたま東京開催が決まった。これは、運命だなと思いましたね」

 そして、こう続けた。
「20年に金メダルを獲得するためにも、2年後のリオデジャネイロには絶対に出場しなければならない。来年から選考が始まるので、しっかりと国内で勝てるレベルにもっていけるように、今年はトレーニングに励みます」

 久保が所属する日立ソリューションズでは、今年4月に新たに陸上部が発足した。久保の熱意が会社側に伝わって実現したのだ。
「ソチは、僕にとってゴールではなく、新たなスタートです。冬季で学んだことを、しっかりと夏季にいかしていきたい。そして、東京では必ずメダルを獲得します」
 6年後、今度は競技者・久保恒造の集大成として、有終の美を飾るつもりだ。

(文・写真/斎藤寿子)