11日、創価大学は来年1月に出場する「第91回東京箱根間往復大学駅伝競走」の壮行会を東京・八王子市内のキャンパスで開催した。在校生ら関係者約450人に見守られる中、箱根駅伝で使用する襷も披露され、ユニホームと同じ配色の青と赤のストライプとなった。壮行会後の記者会見には、駅伝部の監督、コーチに加えエントリー選手16名が出席し、主将の山口修平(3年)は「チーム力で経験不足をカバーしていきたい」と抱負を語った。
(写真:壮行会で襷を披露する山口主将<右>)
「ここまで突っ走ってきて、正直、夢のようです」。瀬上雄然監督は、現在の胸の内を明かした。今年10月の予選会で10位に入り、悲願の箱根駅伝出場を決めた創価大。陸上部創部は1972年、箱根路にたどり着くまでの道程は長かった。

 昨年は90回の記念大会で予選通過ラインが通常よりも3校多い13位までだった。前年の予選会では14位に入っていた創価大にとっては、手の届きそうな目標に見えた。しかし、結果は19位と惨敗。瀬上監督は理事長から「たくさんの応援の人たちが来ているのに、創価大はこれでは終われない」と激励の言葉を受けたという。

 そこから瀬上監督の下、駅伝部を生まれ変わらせるための“2年計画”で改革をスタートさせた。旭化成から出向というかたちで指導をしていた久保田満コーチを、今年度から駅伝ヘッドコーチに任命。世界選手権出場経験のある久保田ヘッドコーチに“現場監督”として仕切らせた。「弱い伝統を断ち切る」。変えれるものはすべて変えた。改革は練習内容や場所、さらにはユニホームにも及んだ。サックスブルーから青と赤のストライプに“戦闘服”は変更された。
(写真:瀬上監督<右>と「スタッフの結束は他大学に負けない」と胸を張る久保田HC)

 荒療治として、3年生エースの山口を主将に抜擢した。久保田ヘッドコーチは、山口を選んだ理由をこう語る。「競技力、生活面、人間性、すべてにおいて一番優れています。そういう人材がチームのキャプテンを務めるべき」。自らも東洋大の3年時に主将を務めた経験を持つ。「弱肉強食の世界なので年齢は関係ない。年功序列ではなく強い者、正しい者がキャプテンを務める」と3年生を学生の先頭に立たせることに迷いはなかった。

 任された山口は「生活面の部分を重視していきます。今までと同じチームにはしたくない」と部員に伝え、掃除のやり方や消灯時間を厳しく指導した。自らの座右の銘である「凡事徹底」を貫いた。一方で「4年生が(チームの意向を)しっかり汲んで、山口を支えてくれた」と、瀬上監督が証言するように上級生も3年生キャプテンをサポートした。

 そして改革1年目で箱根駅伝出場を決めた。「9月の記録会で箱根予選会突破が見えてきたんじゃないかと思いました。それまで不安なところもたくさんあったのですが、そこからチームの雰囲気も段々良くなってきて、スローガンである“チーム全員で戦う”ということを箱根の予選会で証明できた」と山口は胸を張る。「いけると思っていなかった。学生の潜在能力が高かったということ」と久保田ヘッドコーチ。スタッフにとっては嬉しい誤算でもあった。

 2年前には3年生キャプテンを擁して、日本体育大学が箱根を制した例もあるが、予選会をぎりぎりで通過した創価大の目標はあくまで「シード権獲得」だ。ズバ抜けたランナーがいるわけではない。山口は「自分たちは初出場。他大学の方々と比べたら、経験が明らかに不足していると思います。自分たちは今までやってきたように走るメンバーだけなくて、サポートしてくれている仲間の力も合わさって予選会を突破してきた。チーム一丸で走る。チーム力で経験不足をカバーしていきたい」と総合力で勝負することを誓った。
(写真:3年生主将を支えた4年生の副主将たち)

 指揮を執る瀬上監督はチームの状況を豆腐で例えた。
「予選会前はまだ土台ができていない絹ごし豆腐の状態。箱根が決まった途端に学生たちの顔つきもすごく変わりまして、これから“箱根を戦うぞ”という雰囲気が出てきました。今はようやく木綿豆腐ぐらいの固さになった。箱根までに高野豆腐ような固さでいければいいかなと思います。1区からしっかりと味付けをしながら、10区までで味の染みたチームになっていければ、箱根は成功したといえる」

 新春に箱根路を駆け抜ける青と赤のストライプ。“冷静”と“情熱”の襷が、大学駅伝界に新たな風を吹かせられるか。

(文・写真/杉浦泰介)