12月初旬に再び中国に行ってきました。ご存知の通り、来年はオリンピックイヤー。北京の街中はいたるところで工事が行われ、準備が急ピッチで進められていました。
 地下鉄の工事現場では、数本しかなかった路線を一気に10本以上増やすと聞きました。本来なら何十年もかかる事業を来夏に間に合わせるとか。日本と違って中国は私有地が原則ないため、用地取得に手間がかからないとはいえ、これは大変です。24時間態勢で休みなく、工事を行っていると現地の人は言っていました。

 確かに五輪開催の熱気で北京は活気にあふれていました。ただ、五輪後を考えると、少し不安を感じたのも事実です。まず、建設施設の跡地利用。バブルのような建設ラッシュのあと、どれだけの施設が有効に活用できるのか。中国経済は好調ですが、大きなムダ遣いになりはしないかと他国民ながら心配になりました。

 もう1つはさらに深刻です。それは環境問題。北京は初めてでしたが、空港に降りた時、空に霧がかかっているように見えました。天気が良くなっても、霧は晴れる気配がありません。これが日本でいう光化学スモッグの状態だと気づくのに時間はかかりませんでした。正直、マスクをする必要があるほど空気が悪かったのが実情です。

 スポーツの祭典を行う上で、選手への悪影響が出ないか。もちろん地球全体のことを考えても大気汚染を放置するわけにはいきません。緑化プロジェクトなど、環境への配慮はみせていますが、まだまだ他国と比べると意識の低さを感じました。環境問題への対応は北京五輪の開催のみならず、今後の中国にとって大きな課題になるでしょう。
(写真:お土産に購入した五輪ネクタイ、ロゴは“京”の字をモチーフにしている)

 さて、国内に目を転じると、国会は14年ぶりの「越年」が決まりました。年末年始も実際に審議が開かれるかどうかは未定ですが、東京と愛媛を往復するあわただしい2008年のスタートになりそうです。

 国会議員になって、ひとつ驚いたことがあります。それは予定が直前になっても決まらないこと。参議院の場合、原則として月、水、金が本会議、火、木が各委員会の開催日と決まっています。しかし、実際に会が実施されるかどうかは、各党の国会対策委員による協議の上、議員運営委員会で決定されるまでわかりません。

 衆議院の会議が午後になることが多いため、参議院は午前中から動き始めます。委員会であれば9時、本会議であれば10時。とはいえ正式な開始時間は、ほとんど前日に判明する形です。議会をいつ、どのように運営するのか。与野党ともに絶えず水面下で綱引きが行われています。

 まだ今国会では出てませんが、情勢が緊迫すると15分以内で参集できるところへ待機指示があります。朝だろうと夜だろうと動きがあるまで、議員会館や議員宿舎を離れることができません。もっと国会は合理的に、時間を決めて動いているものと思っていましたから、これは意外でした。

 2006年は日本にとっても、大きな転換点を迎えた1年だったと感じています。年金や薬害肝炎の問題などが噴出し、その対応のまずさは現体制の限界を示したと言えるでしょう。

 年金も薬害も被害者がここまで声をあげなければ、政府は重い腰を上げなかったのではないでしょうか。いずれも国民の生活、生命に直結する重大問題のはずです。無責任な発言や間違いを隠蔽する大臣や官僚の態度をみていると、日本はなんと冷たい国なのかと憤りを感じずにはいられません。

 年金に関しては自分自身が学生時代から未納だった期間があり、国民のみなさんに対して本当に申し訳なく思っています。選挙前後を通じ、年金を頼りにしている高齢者の方々からは切実な訴えをいただきました。払った分は確実にもらえる――当たり前といえば当たり前の話ですが、安心できる年金制度の確立にも取り組むことで、自己の責任を果たしていく考えです。

 もちろん、2006年は僕にとっても大きな人生の転換点となりました。昨年の今頃は現役を引退したばかり。まさかこんな仕事をするとは思いもしませんでしたね。この1年、サッカーだけではお会いできないような多くの方とお会い、さまざまなお話をうかがい、勉強することができました。国会議員にならなければ、こんな貴重な経験はできなかったと感謝しています。

 みなさん1人1人の声を国会へ、そして愛媛のみなさん、日本のみなさんが豊かに暮らせる社会を――。当選時にみなさんと誓った約束を忘れず、新しい年も元気いっぱい走ります。2008年が、みなさんにとって素晴らしい1年になりますように。

友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
>>友近としろう公式HP


 当HP編集長・二宮清純の携帯サイト「二宮清純.com」では友近議員の現役時代から随時、コラムを配信していました。こちらはサッカーの話題を中心に自らの思いを熱く綴ったスポーツコラムになっています。友近聡朗「Road to the Future」。あわせてお楽しみください。
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