2012年も残すところ約10日。今年も愛媛のスポーツ界ではさまざまな出来事があった。夏のロンドン五輪では、愛媛県出身3選手が日本代表として出場。柔道男子73キロ級の中矢力(ALSOK、松山市出身)は決勝で敗れたものの、銀メダルを獲得。陸上男子やり投げの村上幸史選手(スズキ浜松AC、上島町出身)は予選で77メートル80に終わり、初の決勝進出はならなかった。そしてボート男子軽量級ダブルスカルの武田大作(ダイキ、伊予市出身)は浦和重とのベテランペアでアテネ大会(6位)以上の成績を狙ったが決勝に進めず、12位に終わった。
<ボート・武田、自分自身を見つめ直す1年に>

 武田が完全燃焼を誓った5度目の五輪は、不完全燃焼の結果となってしまった。準備不足――今回の敗因を武田はそうとらえている。日本スポーツ仲裁機構への不服申立、再レースでの代表復帰を経て、五輪の出場権を獲得したのが4月末。浦とはアテネ、北京と2大会連続でペアを組んだ間柄とはいえ、五輪本番まで残された時間はわずか3カ月だった。

 時間が限られている中、さらにペアが直面した問題は指導者だ。武田、浦は日本ボート協会に対し、アテネ五輪で代表監督を務めた大林邦彦氏の指導を仰ぐことを要望。しかし、話し合いが折り合わず、コーチ就任には至らなかった。

 五輪後、9月に行われた全日本選手権では男子シングルスカルに出場するも、決勝では腰を痛め、2年連続の2位に終わった。五輪前から続いていた蓄積疲労が原因だった。この12月で39歳を迎え、さすがに故障も増えてきた。古傷の左ひざの状態も万全ではない。
「世界と戦えないと判断したら引退」
 常々、そう公言していただけに去就が注目された。

 そして――。出した結論は「現役続行」だ。その理由は2つある。ひとつは5年後に地元で開催される「愛顔つなぐ、えひめ国体」に選手として出場したいとの思いから。そして、もうひとつは秋に国立スポーツ科学センターで実施した体力測定により、数字上の衰えは見られなかったからだ。
「筋肉量も増えていましたし、持久力もほぼ横ばい。数値が良くなっているわけでもありませんが、悪くなっているわけではない」

 ただ、これまでのように海外を転戦し、6度目の五輪を本格的に目指すかどうかは、まだ決めかねている。来季に関しては地元でトレーニングを続けながら、国内レースを中心に活動をする予定だ。
「タイミング的に、しっかり体を含めて自分を見つめ直すのは今しかない。充電期間に充てたいと考えています」
1年間、心身ともリフレッシュした状態で、再び世界と戦うための気持ちと体が備わるのか。それを踏まえて、再来年以降の方向性を決めるという。

 海外遠征がない分、例年と比べれば時間的には生まれる。その時間を武田は後進の指導にも充てる考えだ。既に五輪後は各地で請われ、講習会や普及活動に足を運んだ。
「やはりボートに取り組む選手が増えないと、いいタレントも伸びない。若い選手にボートの素晴らしさを伝えると同時に、指導者にも練習の方法などを教えていければと思っています」

 このロンドンで、日本勢はバドミントン、卓球が初の表彰台に上がるなど、38個と過去最多のメダルを獲得した。メダルラッシュに沸く日本の報道に接するたびに、武田は「5度、五輪に出て1度もメダルを獲れなかった」ことを無念に思った。
「協会も含めて、北京からの4年間は失敗だったと認めざるを得ないでしょう。実際にレースをしてみて、強豪のヨーロッパ勢とスピード面で差がついてしまったことを肌で感じました。この反省を踏まえて、協会と選手が一丸となって世界と戦える組織に変わってほしいですね」

 協会がどのような体制でリオデジャネイロを目指すかは、まだ武田には見えてこない。だが、5度の五輪の経験を生かし、自らを超える選手を育てる。現役を続けながら、ボート界の大ベテランは新たな道にも船を漕ぎ出す。

<主将・橋本が引退 新体制で来年こそ国体へ>

 国体出場を目標に掲げて活動するダイキ弓道部は、6月の全日本勤労者選手権大会(東京都立小金井公園弓道場)で3位に入り、3年連続の入賞を収めた。主将・橋本早苗、山内絵里加、原田喜美子の3選手で大会に臨み、1次、2次と予選を突破。決勝トーナメントは準決勝で惜しくも敗退したが、3位決定戦を制した。目指していた優勝こそ叶わなかったものの、女子選手のみの参加では全チーム中最高の成績だった。

 国体の県代表に選ばれるのは3名のみ。5名の部員にとって、お互いの部員が仲間であり、かつライバルである。主将の橋本は「平日の練習後も居残りで弓を引いたり、休みの日に練習している部員もいます。どの部員もフォームが安定してきて頼もしくなってきました。と同時に私もうかうかしていられないという気持ちです」と明かすなど、例年以上に国体に向けた部員の意気込みは強かった。

 しかし、橋本、山内、原田のダイキ3選手で臨んだ県代表は最初の近的でつまずき、まさかの4県中4位。国体出場を当面の目標にしていただけにショックが残る敗戦だった。
「自分では力を出し切ったのに結果が伴わなかった。実力も経験も他県にも負けていないのに上回れなかった。もう限界なのかなと感じました」

 3年連続で国体出場を逃した橋本は、大きな決断をする。現役引退だ。今年が入社15年目。2004年のさいたま国体では愛媛県代表の一員として近的で全国制覇の実績を持つ。個人でも08年の全日本実業団で近的、遠的ともに個人優勝を収めるなど、名実ともにダイキ弓道部を引っ張る存在だった。

 そんな頼れる大黒柱にとって最後の大会となったのが、10月に行われた全日本実業団大会だ。入社4年目の小早川貴子が「この大会で橋本さんが最後だと聞いていましたから、どうにか優勝したい気持ちでいっぱいでした」と語ったように、部員たちは主将の花道を飾ろうと一致団結して大会に臨んだ。

 だが、精神の安定が求められる弓道の世界では、「勝ちたい」という心が時として競技の妨げになることがある。部員たちの弓は総じて安定せず、1次予選、2次予選を突破して迎えたトーナメント戦では3回戦で強豪・イビデン(岐阜県)に27−54と大差をつけられて敗れた。3連覇を狙った近的女子の部も決勝で2位に終わり、この大会は産業別(金融・商事・その他の部)での団体優勝のみにとどまった。

「せめて女子の部では優勝したかったですね。橋本さんの最後を飾れなかった」
 原田は申し訳なさでいっぱいだった。橋本が抜けた弓道部は、その原田を新主将に再出発を図る。「絶対的エースがいなくなったのですから、戦力的には痛いです。でも、これをきっかけに残された部員が他人任せではなく、自覚を持って努力してくれれば」と石田亜希子監督も残された4選手の奮起に期待を寄せる。

 組織を支えていた柱が抜けたことを穴と捉えるか、それとも新たな芽が出るチャンスと捉えるか。考え方ひとつで弓道部の今後は変わる。
「絶対的な存在が抜けて、“自分たちがやらなきゃ”という気持ちは強くなっているかもしれませんね。4人は年齢も近いので、私ひとりで引っ張るのではなく、みんなで協力して成長していきたいと思っています」
 チームのまとめ役になった原田は、こう新チームの理想を語った。

 現に選手たちの中からは「今度こそ変わらなきゃ」という強い意識がにじみ出てきている。3年目の北風磨理は射型を徹底的に見直し、「涙ぐましい努力をした」と石田監督が明かすほど練習に励んだ。その成果は11月の四国勤労者大会で個人優勝という形で早速、表れている。

 他の部員たちも、この冬はそれぞれの課題克服に取り組む。国体が5年後に迫る中、もうこれ以上の低迷は許されない。
「来年こそは国体に出る。目指すものはひとつです」
 山内は穏やかな口調ながら、はっきりと言い切った。来年の東京国体に向けた県予選は年明けの1月からスタートする。


 また秋に開催された第67回国民体育大会「ぎふ清流国体」で、愛媛県は天皇杯(男女総合)の成績で34位に終わり、昨年の山口国体での25位から順位を落とした。敗因は四国ブロック予選での不振だ。前年、成年男子が遠的で準優勝するなど活躍した弓道は四国ブロック予選で全種別(成年男女、少年男女)が敗退。本番に選手を送り込めなかった。また得点が見込める団体競技でもサッカーの成年男子、ソフトボールの成年女子が出場を逃した。山口国体と比較すると愛媛県勢の“戦力”は大幅にダウンしていた。

 各競技が厳しい結果となる中、安定した結果を残したのがボートだ。かじ付き4人スカルは少年男女がそろって優勝。武田も参加した成年男子ダブルスカルは2年連続の2位に入った。結果、昨年を上回る136点を獲得。同競技では全国4位になった。また成年男子ソフトボールが日本代表を擁する各県の代表チームを破り、3位入賞を収めるなど、県内のクラブチームを主体にした団体競技が予想を上回る好成績を収めたのは、来年以降への光明だ。

 天皇杯優勝を目指す「えひめ国体」までは、あと5年。各競技団体が育成、強化のあり方を見直し、5年後に大きな果実を実らせるプランを実行に移すことが求められている。

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(石田洋之)
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