もう20年以上も前のことになる。当時、三冠王として球界に君臨していたロッテ・オリオンズの落合博満選手に、雑誌の企画をお願いしたことがある。「落合の打撃教室」というグラビアで、川崎球場の室内練習場を借り切って撮影した。今にして思えば、夢のような贅沢な企画である。
 カメラマンがネット越しに撮影のセッティングをしていると、落合選手はマシンを相手に軽く打ち始めた。マシンはカーブに設定されていた。
「いつもカーブから打つんですか?」
 思わず素朴な質問を発した。もううろ覚えなのだが、「そのほうがきっちりした形で打てる」というようなことを、無愛想に答えられた記憶がある。皆さんも、このやり方は真似した方がいいですよ。なにしろ、近年、彼が上梓した『落合博満の超野球学��』(ベースボールマガジン社)は、打撃論としては歴史的な名著だと私は思う。

 印象に残っているシーンがある。 カメラマンはネット越しに、5台くらいカメラをセットしているのだが、そのマシンのカーブを打ち返した打球が、ことごとく、カメラのレンズを直撃するのである。もちろん、ネットがあるからレンズが壊れるわけではない。おそらく落合選手は、撮影が始まる前に、カメラ、およびカメラマンの安全を確認したのだろう。寸分もたがわずレンズを直撃し続ける打球を目の当たりにして、これが落合博満という打者かと感嘆したものである。

 あれから長い歳月が流れた。「三冠王」「オレ流」と形容される稀代の打者は、いくつかの球団を渡り歩き、高年俸を獲得し、ご存知のように現在、中日ドラゴンズ監督である。      
 監督就任後4年間で、リーグ優勝2回、日本シリーズ制覇1回。いまや日本一の名将といっても過言ではあるまい。その落合監督の采配が野球ファンの度肝を抜き、いわば国論を二分する騒ぎを引き起こしたのは、日本シリーズ第5戦のことであった。
 3勝1敗と中日が王手をかけて迎えた第5戦は、11月1日、ナゴヤドームで行われた。周知のように、中日先発の山井大介投手は、北海道日本ハム打線を、なんと8回までパーフェクトに抑える快投を演じたのである。

 日本シリーズ史上初のパーフェクト達成なるか。8回裏2死、中日の攻撃。打席は森野将彦。
 このとき、NHKテレビに映し出された映像は特筆ものだった。ベンチで森繁和バッテリーチーフコーチと落合監督が、なにやら会話を交わしている。その向こうに、ブルペンのモニター画面が映り込み、岩瀬仁紀が投球練習をしている。これぞ、スポーツ中継におけるテレビの力というべき画面だった。落合監督の試合を注視する横顔が大きく映し出される。その瞳には、なにか確信に満ちた、深みのある輝きがあった。おそらく、9回は岩瀬にスイッチすることを決意したんだな、と想像がつきました。

 森野が凡退して、チェンジ。ナゴヤドームは異様な熱気に包まれた。「山井コール」が飛び交う。しかし、まずマウンドに姿を現したのは、森コーチであった。すなわちピッチャー交代。「山井に代わりまして、ピッチャー岩瀬」がコールされたのである。
 試合はここまで1−0の大接戦。山井に代わった中日の守護神・岩瀬仁紀は、日本ハム打線を三者凡退にしりぞけ、継投によるパーフェクトで、中日は53年ぶりの日本一に輝いた。

 問題はここからである。落合采配に対して、試合後、各方面から非難・批判が相次いだのである。東北楽天・野村克也監督の「10人監督がいたら10人が続投」というコメントを筆頭に、「あの采配にはアタマにきた」「がっかりした」「誰だってパーフェクトが見たい」という声が大半を占めた。中日の球団関係者でさえ「継投に対する抗議が多かったが、日本一を祝福する声も多数あった」と苦し紛れのコメントをしているほどだ。

 翌2日の「日刊スポーツ」紙は一面で2人の評論家の冷静な見解を掲載して、いわば両論併記している。ひとりは山田久志氏。采配は優勝につながったのだから評価していいと前置きしたあとで、「新たな歴史が生まれる可能性を、断ち切っていいものか。(中略)自分が監督だったらこれは保証できるけど絶対に交代させることはない」とした。投手・山田久志と日本シリーズといえば、いやでも、あの王貞治に喫した逆転サヨナラホームランを思い出す。あのとき、マウンドに膝を屈したまま、時間が凍りついたかのように動こうとしない山田の姿は、今でも多くの野球ファンの脳裏に焼きついているだろう。後に、山田は、「その瞬間、体全体がいきなり鉛のように重くなった」と証言している。日本野球史上、永遠に語り継がれる名シーンのひとつだろう。その山田が「絶対に交代させない」というのは、やはり説得力がある。

 もうひとりは森祗晶氏。「賛否両論あるだろうが、よくぞ決断した。(中略)9回は岩瀬に任せた方が、確実に勝てるのは間違いない」としている。
 森氏の理路を筆者なりに敷衍して言えば、こういうことになる。試合は1−0という1点差ゲームだった。9回も山井に続投させて、もし走者を出したら、そこで岩瀬にスイッチという考え方はもちろんあり得る。しかし、一人の走者はすなわち同点の走者である。野球の試合、特に完全試合やノーヒットノーランで8回まできた試合は、往々にして9回に一人でも走者が出ると、劇的に流れが変わる。もしそうなった場合、岩瀬といえども、タイムリーを浴びる可能性は、イニングの頭から登板させた場合よりはるかに大きい。落合監督は、過去、2度のリーグ優勝の際に、いずれも日本シリーズで敗退している。確実に日本一になるためには必然の采配であった。さらにいえば、万が一、この試合を山井あるいは岩瀬で逆転されて落とした場合、北海道日本ハムの本拠地札幌に戻って、第6、7戦を戦うことになる。俄然、流れが日本ハムに傾くのは必定で、連敗で優勝をさらわれる可能性も出てくる。中日はあの第5戦、一気に確実に地元で優勝を決める必要があった。

 ここで、2つの立場のいずれが正しいか、という判定を下すことに意味はない。いずれの考え方にも、理はある。問われているのは、正邪ではない。あなたなら、いずれの考え方、ひいては生き方に与するかということであるだろう。スポーツを観戦するというのは、そういう行為だ。その意味では、中日ファンに落合采配を支持する人が多く、そうではないファンに反対論者が目立ったのは、あるいは健全なことかもしれない。
 あらゆるスポーツが本来的にこのような見る者自体の生を問う瞬間を内包しているといっていいだろう。中でも野球は、監督の采配と選手のプレーの因果関係があからさまに可視化される種目であるため、こういう論争を起こしやすい。

 例えば、あの甲子園での松井秀喜の5打席連続敬遠も、当時の国論を二分する騒ぎに発展した点では、今回と似たような側面をもっている。
 もちろん、ご記憶の方も多かろう。事件は、”怪物“”ゴジラ”と異名をとるスラッガー松井を擁する石川・星稜と、高知・明徳義塾の対戦で起きた。明徳ベンチは、走者のあるなしにかかわらず、全打席で、無条件に松井を敬遠したのである。
 この敬遠策は功を奏したというべきである。なぜなら、試合は明徳が勝ったのだから。試合後、お立ち台に上がった明徳・馬淵史郎監督の言葉は今でもはっきり覚えている。
「高知の代表として、どうしても負けるわけにはいかなかった。試合前に松井君を見て、うちの投手では彼を抑えることはできないと判断しました」
 しかし、世間の非難は苛烈なものがあった。スポーツだろ、高校生だろ、なぜ堂々と勝負させないんだ、フェアじゃない、卑怯者だ、明徳の選手だって勝負したかったはずだ――。馬淵監督は、世紀の悪役にされていく。

 今回の落合采配と、かつての馬淵采配には、一種の共通点がある。それは、可能な限り勝つ確率を高めるために採用した作戦であるということだ。しかし、その采配は、同時に観戦する側の最大の楽しみを奪うものでもあった。今回ならば、山井投手の完全試合であり、明徳の場合は、松井秀喜の目の覚めるような大ホームランである。
 見る側は、いつも目の前で尋常ならざる驚異的なプレーが起こることを期待している。しかし、プレーする側は、勝つためには当然ながら相手のそのようなプレーを戦略的に消さねばならない。この利害の対立は、永遠のジレンマであり、容易に解消するものではあるまい。

 さて、最近、落合采配と同じように、その是非が議論になってもいいのではないかと思われる采配を目にした。
 台湾で行なわれた北京五輪のアジア最終予選でのことである。フィリピン、韓国に連勝した星野ジャパンは、12月3日、勝てば出場権獲得という状況で台湾戦に臨んだ。先発は必勝を期してダルビッシュ有。
 ダルビッシュは不調ながらも要所を締め、試合は1−0と1点リードのまま進む。緊迫した試合である。ところが6回裏、ダルビッシュは逆転ツーランを浴びてしまう。終盤にきて1−2とまさかのリードを許した7回表、日本は反撃に転ずる。村田修一死球、稲葉篤紀ヒットで無死1、2塁。ここで里崎智也のバントが三塁手のミスを誘って(代走・宮本慎也の三塁へのスライディングを、ゲスト解説・古田敦也が絶賛したのは、ご承知の通り。だって、視聴率は最高で40%を超えたそうですから、皆さんご覧になったでしょ)、無死満塁。

 ここで打席はサブローこと千葉ロッテの大村三郎。ボールカウント0−2からアウトローを強振してファウル。大村、明らかに外野フライ狙いのスイングである。
 カウント1−2。4球目。投手・耿伯軒はアウトローへストレート。大村はなんと一転してスクイズバントを決めて同点! ここから、ようやく日本打線が爆発して、大勝し、五輪出場を決めたのでした。めでたし、めでたし。
 この意表を突くスクイズは、日本代表を五輪に導いた星野仙一監督の名采配として評価が高いようだ。

 しかし、本当にそうだろうか。今回のアジア予選を見る限り、韓国も台湾もそんなに強くなかった。韓国は明らかにWBCの時のチームの方が強かったし、台湾にもそれこそ監督を務めた郭泰源の現役時代のようなものすごいピッチャーはいなかった(ヤンキースの王健民はいなかったし)。
 明らかに日本は格上だったのである。それなのに韓国には4−3の辛勝だったし、台湾には6回に一度はリードを許した。

 この苦戦の原因は投手にはない。打線が点が取れなかったことに尽きる。
 あの7回、日本は里崎の送りバント(かなり、投前に強めで、一瞬、サード封殺かと思った。古田の解説を……あ、くどいですね)と、大村のスクイズで、1回に2つも犠牲バントをしたことになる。バントが必ず成功するとはかぎらない。事実、あやうく里崎は失敗しかけたし、そうすれば、1死1,2塁になるところだった。
 1イニングに2つもバントでアウトを献上する。このような采配で、例えば、キューバに勝てるだろうか。あそこは大村が確実に外野フライかヒットで同点にする(彼にはそれだけの力がある)発想でないと、キューバやアメリカには勝てないのではないか。

 確かに、スクイズが呼び水になって、あの回、日本代表は連打で一挙6点を入れた。しかし、無死満塁でのスクイズという策を弄さずとも、格下には確実に連打で5、6点取る強さ――そういう本来の力を、コンスタントに出せる強さ――がなければ、星野監督のおっしゃる金メダルなど、危ういというべきではないのだろうか。少なくとも、キューバはもっと得点力があるし、投手も強力だ。無死満塁のチャンスでスクイズで1点とる野球では、とても追いつかない。もちろん、3日の相手はあくまでも台湾だったのだが、どことやるにしろ、金メダルをとるための、チームの基本姿勢というものはあるだろう。

 少なくとも、そのような主張と、いや、それでもあそこはスクイズだ、それが日本のスタイルだという主張と、本来なら国論を二分すべき采配だったと私は思う。
 そうならなかったのは、もちろん星野采配が五輪出場という唯一最大の目的を果たしたからである。では、と言いたい。日本シリーズ第5戦の落合采配も、日本シリーズに勝つという唯一最大の目的を達成する采配だったではないか。

 では、落合采配と星野采配の違いとは何だろうか。
 あえていえば、世間様の漠然とした常識でしょうか。無死でも満塁でも、とにかくスクイズで1点取る、というのは日本野球では珍しいことではない(とはいっても、あの有名な「江夏の21球」でさえ、西本幸雄監督がスクイズのサインを出したのは、一死後だったのだが)。
 一方で、8回まで完全試合できた投手を交代させることは、常識では考えられない(これはおそらくメジャーリーグでも交代させないケースの方が多いのではあるまいか)。

 つまり、我々は、自分たちの常識に頼ってスポーツを見ているということの証にすぎないのだ。
 しかし、考えてもみてほしい。落合博満はマシンでバッティングのウォーミングアップをする時、カーブから打ち始める人である。彼にすれば、その方が理にかなっているのだから、そうするのが当然なのである。理路がすっきりしていて、いいではないか。残念ながら、世間様の常識というのは、いつも、そういう異質なものの可能性を、削ぐ方向に働く。

 ただ、落合監督の方法で、一つだけ、気にかかることがある。
 例えば、松井の連続敬遠では、松井はもちろんのこと、明徳の馬淵監督も、投手だった河野和洋も、折にふれてインタビューに応じ、証言している。江夏の21球に関しても同様だ。故・山際淳司氏の作品はもちろんのこと、それ以外にも、江夏自身もインタビューに応じているし、一方の主人公、近鉄の西本監督や、広島の水沼四郎捕手なども、それぞれの立場から、歴史的な瞬間を語っている。山田久志も王貞治も、あの瞬間を語ってきた。

 翻って、今回の落合監督はどうだろうか。試合後、実は試合途中で山井投手の右手中指のマメが裂けていたことが明らかにされた。5回2死には、ついにその血が、ユニホームに付いたというのである。落合監督は、それでも9回に続投させることは、山井の投手生命を危機にさらす可能性がある、だから交代させたと説明したのだ。8回になって、山井本人が、森コーチに申し出たのだという。11月2日付の「東京中日スポーツ」には、その動かぬ証拠として、山井のユニホームの右太ももあたりに、一筋の血の線がついた写真が、大きく掲載されていた。

 世紀の交代劇の真相は、あるいはそういうことだったのかもしれない。ただ、その「東京中日スポーツ」紙に掲載された落合監督のインタビューに、こんなくだりがある。
「(采配への反響や批判は)ベンチの中のことを知らないんだから。それはそれで仕方ないよ。書かれるのは慣れている。それはそれでいいじゃない」

 落合監督の4年間の足跡を振り返ると、まぎれもない名監督であることがよくわかる。
 就任早々には、正捕手・谷繁元信の危機感をあおり、荒木雅博、井端弘和の1、2番を日本一の二遊間に育て上げ、若手投手の底上げに成功した。つまり、まず、センターラインを確立し、守備を万全にして、タイロン・ウッズ、中村紀洋を外部から入れて長打力を補う。戦略、戦術、チーム作り、その手腕は見事である。

 だからこそ、気になるのだ。なぜ、「ベンチのことを知らない」多くのファンに対して「それは仕方ない」という、いわば情報を閉ざす態度に出るのだろうか。ベンチがプロであれば、外部の素人は何も知らなくていい、だろうか。たとえば、来季以降の戦術上の秘密であれば、公開するにはおよばない。しかし、マメがつぶれたとか、岩瀬投入の判断は、来季の機密事項にはあたるまい。

 日本野球の多くの歴史的な場面はいずれも、当事者の証言とあいまって、われわれの記憶はより豊かなものになってきた。それはまた、日本野球をより魅力あるものにするための営為でもある。落合監督が、いずれ近い将来、交代劇の思いのたけを語る日がくるのを待ちたい。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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