ドジャースの大谷翔平をはじめ、メジャーリーグ(MLB)と日本のプロ野球の観戦と、野球ファンは大忙しなのではないでしょうか。かく言う私も、チェックに余念がありません。さて、今月はメジャーとプロ野球の違いについて、論じましょう。それでは、球論にお付き合いください。

 

 癖を把握している大谷

 

 4月24日現在、ドジャースの大谷翔平は5盗塁を決めています。大谷のリードの取り方の変化は先月に触れました(先月の原稿はこちら)。そもそも日本人投手に比べ、MLBのピッチャーはクイックが得意な投手は少ない。その点でいえばアメリカの方が走りやすい気はします。

 

 大谷の盗塁成功シーンを見ると、間一髪ではなく、悠々セーフが多いように思います。相手ピッチャーの癖を把握し、しっかりモーションを盗んでいる証拠です。加えて、強肩キャッチャー時に盗塁企図はしていないように思います。

 

 大谷の盗塁企図は、ドジャースが2点か3点リード時、一番走りやすいシチュエーション。打者専念の今年、走塁にも積極的に行くとコメントの端々から読めましたが、きちんと研究し、実行しています。

 

 MLBと日本のプロ野球の違いにも気がつきました。MLBの場合、セカンドへの盗塁阻止の際、キャッチャーはセカンドベースのやや右側(ファーストベース側)を狙ってボールを投げています。対して、日本のプロ野球はベース上に投げる傾向が強い。何を言いたいかというと、ベース上を狙い、スローイングがセカンドベースの左に逸れると、ボールをセカンド(あるいはショート)がキャッチしてもタッチに行く際に無駄なロスが生まれ、盗塁阻止は難しくなる。日本のキャッチャーはもう少し、セカンドベースの右側を狙って投げても面白いかもしれませんね。

 

 メジャーと日本の微妙な違い

 

 クロスプレー時のキャッチャーのポジション取りもアメリカと日本では多少、異なります。コリジョンルールが採用されてから、キャッチャーはホームベースを空けています。それでもメジャーのキャッチャーの方が日本人キャッチャーよりベースの近くにポジションを取っています。ブロックはルール違反になりますが、日本人のキャッチャーはあと50センチ、ベースに近づいてもいい。

 

 現在、日本のプロ野球には走塁技術の高い選手が増えてきました。ヘッドスライディングで生還を狙う際、左手を遅らせて出し、タッグを掻い潜るのに長けた選手もいます。タイミングだけで判断すると完全アウトですが、すれすれでキャッチャーのタッグをかわすんです。そして、遅れて出した左手でかすめるようにベースに触り、1点をもぎ取ります。

 

 これは、ヘッドスライディングから左手ではなく右手でホームベースをタッチした例になりますが、素晴らしい走塁だったので紹介しましょう。4月16日、甲子園で行なわれた阪神対巨人戦。0対0の7回裏、阪神の攻撃、一死二、三塁の場面。サードランナーは代走で出場した植田海。代打・糸原健斗の当たりはライトへのライナー気味のフライでした。浅かったのですが、植田は思い切ってスタートを切りました。ライトを守る佐々木俊輔から中継に入ったセカンド・吉川尚輝に白球がわたり、ホームへ。キャッチャー・岸田行倫の位置取りも良かったように見えましたが、クロスプレーの結果は、セーフ。

 

 ルーキー時代から既に…

 

 植田はヘッドスライディングでホームに突っ込んだ際、右手を伸ばし、ホームを触りに行きながら、左腕は胴体につけ、かつ左肩を上げてクルッと回転しながら滑ったのです。水泳のクロールの息継ぎと同じような要領、といえばイメージしやすいでしょうか? この鮮やかな身のこなしが、岸田のタッグを掻い潜ったのです。これは見事な走塁でした。

 

 実は、私はルーキー時代の植田を見ています。2015年、私はソフトバンクの内野守備走塁コーチに就いていました。ウエスタンリーグで阪神と対戦した時です。相手に素晴らしい走塁を見せる選手がいたのですが、それが植田でした。当時は二軍にいたのですが、すでに走塁技術は目を惹くものがありました。

 

 強いチームは足のスペシャリストがいるものです。古巣のジャイアンツにもこういった選手が出てきてくれることを期待しています。そして、読者の皆様もぜひ、阪神・植田の走塁に注目してみてください。

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、東京五輪2020の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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