昭和27年の年明けは、カープ球団創設3年目のシーズンであり、エース引き抜き事件にあえぎ、苦しんでいた。前年の暮れからエース長谷川良平は、自身の生まれ故郷の愛知県にある名古屋軍(後の中日ドラゴンズ)に引き抜かれるのでは、という大事件が発生するのだ。事件の発端は、昭和26年12月25日に出された長谷川の「意中の球団(※名古屋軍のこと)へいく」という爆弾声明だが、実はフィクサーともいえる、影の存在があったのだ。

 その存在とは、小野稔という人物だった。小野は<中日スポーツ記者>(『カープ30年』冨沢佐一・中国新聞社)とされる男である。

 

プロ選手を買い付ける男

 小野という人物とは、いったいどんなツワモノか――長谷川が統一契約書の不備をついた爆弾声明を出した際、それらすべてのシナリオを小野が書いたとされる。では、なぜそのようなことができたのか。彼は後にスカウトとして名を馳せていくが、いかに名文家であり、他球団との折衝に一日の長があったのかは自著『あなた買います』(三笠書房)によく表れている。

 

 タイトルにもある通り、選手を商品かのように買い付けるということが話のコアとなっている。プロ野球球団に入団する際の、各球団の担当スカウトとの駆け引きを行う。いわゆるフィクサーとしてのやりとりが記されているのだ。当時でいうタニマチ、選手の影にいる存在。口利き料を実にうまい口実をつけながら引き上げていくというストーリーが展開される。この本は、初期のプロ野球界における、フィクションの代表作とも言えるかもしれない。

 

 その一端を紹介しよう。物語は、戦後のプロ野球が隆盛期に向かいつつある中、大学球界のスラッガー栗田五郎を育てた球気一平が、多くの球団スカウトを相手にしながら、自身への謝礼を200万円から250万円、さらに家一軒にまで昇華させていく。その手綱を締めたり、緩めたりの巧妙な駆け引きがたまらない作品だ。球気一平が、実にうまく各球団のスカウトの心を掴んだり、泳がせたりする。当の選手である栗田五郎も、その球気一平の思惑に気付きながらも、従っていくのだ。

 

 また、著書に登場してくる東洋フラワーズ、大阪ソックス、東京チックスといった球団名もユニークで気になる。プロ野球のスカウト戦国時代ともいえる昭和40年代から50年代を迎える前に、彼らの近未来を予測しており、出版直後に映画化もされた。もっとも映画化においては、この前年に南海ホークスに入団した穴吹義雄選手の獲得合戦がモデルとなっている。プロ野球セ・パ分裂の黎明期の選手獲得における金銭や条件面での戦いがあり、その妙味に惹きこまれていく。

 

 この小野稔の作品によって、スカウトという概念が形成されていったと言っても過言ではあるまい。契約によって、「家一軒」の提供や、投機マネー的に選手獲得合戦で値上がりする契約金や、口利き料や裏金問題など、後のプロ野球で起こっていくことを予言しているかのようだ。世の中の流れが読める小野にしてみれば、弱冠20歳の長谷川の移籍など、本人の意向さえあれば、難しいことではなかったろう。

 

 しかし、石本秀一監督は正々堂々と、中村三五郎球団代表をやり球にあげて批判の的にし、そこから長谷川問題を解決することを狙ったのだ。あくまでも正攻法を貫いた。結果として、中村代表と河口豪カープ球団代は、長谷川の移籍の有無を決めるべく面談を行うことになる。

<十四日、午後二時中村名古屋代表と河口広島代表が東京築地の日本野球連盟で会見した結果、名古屋は長谷川獲得を断念することに決定、長谷川投手の広島復帰は確定的となった>(「中国新聞」昭和27年1月15日)

 

 トップ会談によって、ついに長谷川のカープ復帰が決定的となったのである。これを受け、石本監督は自身の思いを、中国新聞につづっている。

<「正義は必ず勝つという信念に燃えている私の方策は中途において挫折することなくあくまで貫く考えであった」>(同前)

 

カープの未来に揺るがぬ決意

 あふれんばかりの正義感の裏にあった思いは、こうだ。

<「たとえ長谷川問題で失敗するとも球界の浄化のためになるなら、決してカープの不利益ともならない」>(同前)

 長年、プロ野球を見てきた石本にとって、獲った、獲られたの醜い選手争奪戦が浄化されてくれればいいという思いがあったはずだ。

 

 カープの未来はお金だけではない――。その崇高な思いを<「将来立派なカープとして育てるには権道に走るべきではない、正道を歩んでこそチームの価値があるのだ」>(同前)というコメントで結んでいる。

 さすが、石本である。長谷川問題で失敗しようとも、カープ球団としての正道を貫く精神であったのだ。未来の広島カープに真っ当な道を与え、残そうとした。こうしたカープ初期の石本の思想は、現在の球団においても、マネーゲームには参戦しない。加えて真面目な選手が多いと言われるチーム気質などにも生きているのではなかろうか。

 

「長谷川はカープから離れることはない」と、1月20日、中国新聞社3階ホールでの後援会で、後援会支部長や代議員ら約300名の前で、石本は堂々と語った。

<長谷川問題については他球団に渡さぬと断固たる決意をみせ注目された>(「中国新聞」昭和27年1月21日)

 

 石本は長谷川の復帰に自信を見せたが、カープの試練は続いた。プロ野球界自体の運営が黒字化には程遠いなか、まがりなりにセ・パ分裂して2年間、暗中模索の中、なんとかやってきた。しかし、ここで検討されていたのは、2リーグ編成を再び1リーグに戻そうとする動きである(※実際はならない)。

<プロ野球界がふたたび一つのリーグに還元しようとする動きが両リーグの関係者の間で進められている>(「中国新聞」昭和27年1月19日)というのだ。セ・パ2リーグ制で発足した当初から、1リーグ化への動きがあったのである。その内容とは――。

 

 1月9日、毎日オリオンズの黒崎貞次郎球団代表が、アメリカから帰国し、その後1月12日に、読売新聞の安田庄司代表と、福島慎太郎パ・リーグ会長らで対談を行っている。そこで出た話とは、昭和27年シーズンは、最初の4カ月だけ総当たり戦を行い、翌年度からの改革案に備えるというものである。

<この動きに従ってチーム強化を強引に図っている球団、あるいは合併、解散を考慮している球団もあると伝えられている>(同前)

 しかし、球団それぞれの思いもあり、一筋縄にはいかない様相ではあった。

 

 カープは長谷川問題を抱えている最中、1リーグ制への移行などの議論で、いつなんどき潰されてもおかしくなかった。しかし、傍らでは、カープ後援会による昭和27年の後援会費も徴収され、1月も半ばを過ぎた(17日)時点で、17万円を超えていた。試合がないオフシーズンにもかかわらずだ。熱心なファンらにとって、カープを取り巻く境遇が辛ければ辛いほど市民は、自分ができることからと、動き出していた。こうした県民市民らの動きが、根強い市民球団としての礎として築かれていったのだ。

 

 さあ、カープはいかに、長谷川問題をはじめ、1リーグ化への問題と向き合っていくのか、昭和27年の開幕をエース不在で迎えるのか。さらにカープに新しい投手が入団するという朗報が入ってくる。期待と不安が入り混じるカープ3年目の開幕。ご期待あれ。

 

【参考文献】

「中国新聞」(昭和27年1月15日、19日、21日)、『カープ30年』(冨沢佐一・中国新聞社)、『あなた買います』(小野稔・三笠書房)

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)


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