昨オフ、同じチームメイトの内川聖一が優勝を求めて新天地へと移った一方、迷いに迷った末に5年連続Bクラスと低迷しているチームへの残留を決めた男がいる。横浜の主砲、村田修一だ。今や日本を代表する右のスラッガーである村田が、なぜ横浜に残ることを決めたのか。二宮清純がその真相に迫った。
(写真:今季は主将としてチームを牽引する村田。彼の“全力疾走”はオールスターでも観客を沸かせた)
 オールスターゲームにも出場した巨人のドラフト1位ルーキー澤村拓一と言えば“ドヤ顔”で話題になっている。会心のピッチングでバッターを牛耳った際に“ドヤ!?”とばかりに勝ち誇ったような表情をつくるのだ。
 その澤村の高い鼻をへし折ったのが、ベイの主砲・村田修一である。
 5月11日、東京ドームでの巨人−横浜5回戦。巨人の先発は澤村。
 2回表、1ボール2ストライクからの4球目、肩口からの「抜けたスライダー」を村田は見逃さなかった。フルスイングによって弾かれた打球はレフトスタンド中段に突き刺さった。
「ウワァ、これがプロ野球なんだと。完璧に打たれましたね」
 と澤村。打球を見送る際、きっと彼は“ウワァ顔”になっていたに違いない。

 大物ルーキーの心胆を寒からしめた30歳はこのシーンを、こう振り返る。
「公式戦では初めての対戦だったので“村田は嫌だな”と思わせたい、そう考えて打席に入りました。
 彼は球が速いし、追い込まれていたのでストレート系のボールを待っていた。そこに抜けたスライダー。自分でもうまく対応できたと思います」
 このゲーム、横浜は4対3で巨人に競り勝った。

 村田といえば、第2回WBCで日本代表の4番を張るなど、今じゃこの国を代表する長距離砲である。
 07年・36本、08年・46本と2年連続でホームラン王を獲得。打点は06年・114、07年・101、08年・114と3年連続で3ケタに乗せた。
 ズングリした体型。ピッチャーを威圧する風貌。狙い球を決めてのフルスイング。「4番」の座にこだわりを持つ昔気質のスラッガーである。

 そんな村田が、今季はまるでリードオフマンのように全力疾走を披露している。
 いったい、どんな心境の変化があったのか。
「実はこれ、僕ひとりの意思ではなく、全員が話し合って決めたことなんです。キャンプが始まる前のミーティングだったと思います。誰からともなく、こういう話が出た。“いくら監督やコーチがチームを強くしようと考えていていも、最後は選手がやるかやらないかなんだ。強いチームは自然と全力疾走ができている。これは勝っていようが負けていようが、最低限やらなければならないこと。そうであるのなら、全員で最後まで貫き通そう”と。ヨソから移ってきた稀哲(森本)や渡辺直人もそれを後押ししてくれました」

 昨オフ、横浜は嵐に見舞われた。現親会社のTBSと住宅関連企業の「住生活グループ」との間で売却交渉が行なわれていたことが発覚したのである。
 村田をはじめとする選手たちにとっては、もちろん「寝耳に水の話」だ。平静を装ってはいたものの、内心は複雑だった。
「やっぱり野球をする上では大きな心配のタネでした。ただ、チームが弱いからそういう話が出てくるわけで選手たちにも責任はある。まず自分から変わらなければならない。キャプテンとして若い選手たちのお手本にならなければと強く意識したのは事実です」
 自分が変わればチームが変わる――。全力疾走の背景にはキャプテンとしての使命感もあったのだ。

 FA権の行使を巡っても、村田は揺れた。悩みに悩み抜いた末に横浜にとどまることを決意する。
 残留記者会見の席で、村田は泣かせるセリフを口にした。
「3年連続90敗以上で身売り問題も出た。選手会長として、責任を取らないまま手を挙げていいのかという気持ちもありました。自分のバットで(このチームに)恩返しがしたいんです」
 FA権の行使か残留かで揺れる村田がある人物にアドバイスを求めたのは、この記者会見の数日前のことだ。深夜だった。電話をかけた先は日大野球部元監督の鈴木博識。村田の恩師だ。
「(FAは)手を挙げない方がいい」
 助言を求めてきた教え子に、鈴木はきっぱりと言い切った。

「なぁ村田、横浜で今、オマエに文句を言えるヤツはいないだろう。オレに言わせればオマエは裸の王様だよ。ひとりの観客として観た時、オレは今のオマエを素直に応援できない。
 もう一度、プロに入った頃を思い出すんだ。どうすればファンが喜んでくれるか。どうすればFAでもっと手を挙げる球団が増えるか、そこを考えろ。
 オマエ、ただの一度もスポーツ紙の一面を飾ったことがないだろう。なぜだかわかるか。ただ打つだけではダメなんだよ。マスコミのニーズに応えるためには“スゴイ男だな”と思わせて味方につけなきゃ。
 オレの目には今のオマエはファンよりもフロントの方を向いている。それは間違っている」

 約1時間、恩師の厳しい言葉に村田は黙って耳を傾けていた。虚心坦懐、自分を見つめ直したいとの思いもあったのだろう。
「あれからですよ、村田が変わったのは……。その後で一緒にゴルフをやったのですが、私がラウンドに立つと“何番で打ちますか?”と聞いてくる。グリーンに行けば行ったで、さっとパターを持ってくる。“あぁ、コイツは心から変わろうとしているんだな”ということが、よくわかりました」

 時をほぼ同じくして、髪型も変わった。鈴木が指摘するように、ややもすると、これまで村田には“お山の大将”風なイメージがあったが、それもすっかり消えた。
 それは髪型の変遷を見れば明らかだ。これまで村田は金髪にソリ込み、モヒカン……と何でもありだったが、ひととおり試したあとで入団当初のスポーツ刈りに戻った。奇抜な髪型は若気の至りだったのか。
「エヘヘ。確かに変な髪型もやりました。名前と顔を覚えてもらいたい一心でね。今にして思えば“人よりも目立ちたい”という意識が強かったんです。でも、もうそういう時代は終わりました。野球に一生懸命に取り組む姿が一番なんだと、最近になって気が付きました」
 泥船から逃げ出すのは簡単だ。低きところに水は溜まる。しかし、村田はそれを良しとはしなかった。なけなしの意地が村田をつなぎ止めたのである。

(後編につづく)

<この原稿は2011年8月13日号『週刊現代』に掲載された内容です>