「医師から痛みをやわらげるためにモルヒネを薦められても受け入れないんです。どんなに痛くてもロキソニン1錠しか口にしませんでした」
37歳で世を去った元小結・時天空の間垣親方を看取った関係者から、そんな話を耳にした。
「もう去年の秋くらいは自力で歩けず、車椅子に乗って移動していました。骨に転移していたため、ちょっと体を動かすだけでも激痛が走るというんです。それでもモルヒネを受け入れなかったのは、“自分は親方としてカムバックする。そして弟子を育てる”という意志が強かったためです」
本名アルタンガダシーン・フチットバータル。モンゴル・ウランバートルの出身だ。
子供の頃からブフ(モンゴル相撲)や柔道に親しんだ。
20歳の時、モンゴル国立農業大学からスポーツ交流留学生として東京農大に転入した。卒業後は帰国し、教員になる予定だった。
そんなある日、国技館で朝青龍と再会した。朝青龍はモンゴル時代の柔道仲間であり、同じ釜の飯を食いながらオリンピックを目指していた時期もある。
18歳で角界に身を投じた朝青龍は、既に十両にまで昇進していた。羽振りのいい後輩の姿が、時天空にはまぶしく感じられた。
柔道経験者だけあって足技に長けていた。とりわけ持ち上げた相手の足を蹴る二枚蹴りは彼の代名詞となっていた。
モンゴルの後輩にあたる白鵬の時天空評。
「十両で初めて対戦したときは気迫が凄くて、目を合わせづらかった。常に足技を警戒しないといけなかった。なんでもできる業師」
最高位は小結。本人は「もっと上を目指したい」と語っていた。
モンゴル出身の異能派力士を病魔が襲ったのは一昨年の夏である。弱音を吐かない男が、珍しく「肋骨が痛い」と言って顔をしかめた。診断の結果は「肋骨のヒビ」。実は悪性リンパ腫による骨融解だった。
腫瘍専門医によると「脊椎が原発の悪性リンパ腫は性質が悪い」。1年半後には帰らぬ人となってしまった。
何度か部屋を訪ねたことがある。自室にはモンゴルの英雄チンギス・ハンの肖像画が飾ってあった。
日本国籍を取得してからも「モンゴルのことを忘れたことはない」と語っていた。
通夜が執り行なわれた日、両国の回向院は突風に見舞われた。モンゴルの大地へと無事、魂は運ばれただろうか。
<この原稿は『漫画ゴラク』2017年3月3日号に掲載されたものです>
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