2022年度の年間最高試合を置き土産に、プロボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太が、事実上の引退を表明した。

 

 

「あの試合が僕の中では最後の試合と思っている。最後の試合が評価されたことは凄く感慨深い」

 

 年間最高試合に選ばれたのは昨年4月9日、さいたまスーパーアリーナで行われたIBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)とのWBA・IBF統一戦だ。

 

 村田は試合前から「これが最後」と腹を決めていたようだ。それが証拠に「負けたら間違いなく引退。勝っても続ける選択肢はない」と語っていた。

 

 試合は壮絶な打撃戦の末に、9回TKO負けを喫したが、長きに渡って「パウンド・フォーパウンド」最強を占めてきたゴロフキン相手に、村田は大健闘を演じた。

 

 特に2、3ラウンドは圧巻だった。村田のしつこいボディーブローを、ゴロフキンは明らかに嫌がっていた。

 

 村田本人も、「ボディーが効いたな、と感じた瞬間もあった」と手応えを口にしていた。

 

 しかし、さすがは絶対王者である。村田によるとゴロフキンは、パンチの角度を微妙に変えてきたというのだ。

 

「強いというより巧いというイメージ。対して僕はワンツー、そしてワンツー・ストレート。技術の幅で負けていた」

 

 逆に言えば、ワンツーとワンツー・ストレート、それにボディーブローを中心としたシンプルな攻撃で、世界の俊英たちが集うミドル級王座に2度も就いたのだから立派なものだ。

 

 村田の最大の長所、それはフィジカルの強さだった。ゴロフキンの、あれだけ重くて正確なパンチを浴びても、最後まで前進し続けた。日頃の節制、そして強靱なメンタルの賜物だろう。

 

 日本人にとってミドル級はヘビー級に次ぐ難関の階級である。そこで7度も世界戦のリングに立ったこと自体が奇跡と言っていい。彼は確実に日本のボクシング史を書き換えた。

 

<この原稿は『週刊大衆』2023年3月20日号に掲載された原稿です>

 


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