第244回 村田諒太、ゴロフキン戦の勲章
2022年度の年間最高試合を置き土産に、プロボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太が、事実上の引退を表明した。
「あの試合が僕の中では最後の試合と思っている。最後の試合が評価されたことは凄く感慨深い」
年間最高試合に選ばれたのは昨年4月9日、さいたまスーパーアリーナで行われたIBF同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)とのWBA・IBF統一戦だ。
村田は試合前から「これが最後」と腹を決めていたようだ。それが証拠に「負けたら間違いなく引退。勝っても続ける選択肢はない」と語っていた。
試合は壮絶な打撃戦の末に、9回TKO負けを喫したが、長きに渡って「パウンド・フォーパウンド」最強を占めてきたゴロフキン相手に、村田は大健闘を演じた。
特に2、3ラウンドは圧巻だった。村田のしつこいボディーブローを、ゴロフキンは明らかに嫌がっていた。
村田本人も、「ボディーが効いたな、と感じた瞬間もあった」と手応えを口にしていた。
しかし、さすがは絶対王者である。村田によるとゴロフキンは、パンチの角度を微妙に変えてきたというのだ。
「強いというより巧いというイメージ。対して僕はワンツー、そしてワンツー・ストレート。技術の幅で負けていた」
逆に言えば、ワンツーとワンツー・ストレート、それにボディーブローを中心としたシンプルな攻撃で、世界の俊英たちが集うミドル級王座に2度も就いたのだから立派なものだ。
村田の最大の長所、それはフィジカルの強さだった。ゴロフキンの、あれだけ重くて正確なパンチを浴びても、最後まで前進し続けた。日頃の節制、そして強靱なメンタルの賜物だろう。
日本人にとってミドル級はヘビー級に次ぐ難関の階級である。そこで7度も世界戦のリングに立ったこと自体が奇跡と言っていい。彼は確実に日本のボクシング史を書き換えた。
<この原稿は『週刊大衆』2023年3月20日号に掲載された原稿です>