第286回 力道山が愛した「The End」

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 12月15日は、“プロレスの父”というより戦後最大のヒーロー力道山の62回目の命日だ。

 

 

 その1週間前の1963年12月8日、力道山は東京・赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」(NLQ)で暴力団員の村田勝志に腹部を刺され、それが原因で不帰の客となった。

 

 NLQ元社長の山本信太郎によると、この夜、力道山が連れを伴って店に現れたのは10時半頃。料亭で大相撲の高砂親方(元横綱・前田山)たちと飲食を共にした直後だっただけに、かなり酔っていた。

 

 力道山には悪い癖があった。酔っ払うとグラスをガリガリ嚙み始めるのだ。鮮血で真っ赤に染まった口のまわりを、ホステスがナプキンできれいに拭き取った。この時は、いつにも増して荒れ模様だった。

 

 NLQはショーを売り物にするセレブたちの社交場である。ナット・キング・コール、サミー・デイビスJr、シルビー・バルタン、パティ・ページらが自慢の喉を競った。

 

 客も豪華だった。力道山の他、勝新太郎、石原裕次郎、美空ひばり、長嶋茂雄……。政財界の要人や裏社会の大物たちで連日にぎわっていた。

 

 12月8日の夜は、黒人のコーラスグループ、ザ・ワンダラーズが美声を響かせていた。バックバンドは海老原啓一郎とロブスターズが務めた。

 

 酔っ払った力道山はステージに向かってコースターを投げつけたり、ヤジを飛ばしたりしていた。

 

 今なら“出禁”になるような行為だが、力道山を咎める者は、ひとりもいなかった。そんなことをしたら突き飛ばされるのが落ちだった。

 

 もっとも力道山、酒とホステスだけが目当てで、ショーに興味がなかったわけではない。

 

 甘く哀愁を帯びた歌声で人気を博した黒人歌手アール・グラントを山本に紹介したのは、誰あろう力道山だった。

 

<信太郎さん、アール。グラントはとにかくすごいぜ。絶対に日本でも受けるよ」

 大興奮していたリキさんの声が忘れられない。そればかりかリキさんは、「俺が話をつけて彼を呼ぶから、ラテンでやらないか?」とまで言ってくれたのである。

「ぜひお願いします!」

 二つ返事で話は決まり、リキ・プロの招聘でアール・グラント来日が実現した。>(山本信太郎著『東京アンダーナイト』廣済堂)

 

 グラントの名曲といえば「The End」。今にして思えば罪なタイトルだ。力道山は、どんな思いで聴いていたのだろう。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2024年12月27日号に掲載された原稿です>

 

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