第12回 ちょっと一服が生んだ「いい仕事」(武豊)

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 上がり3ハロンは33秒5。他の馬が止まっているように見えた。
 さる5月26日に行なわれた第80回日本ダービーを制したのは一番人気のキズナだった。鞍上は武豊。2005年のディープインパクト以来5度目のダービー制覇だった。観客数もここ10年では、05年の14万143人に次ぐ13万9806人を記録した。主役の帰還を多くのファンが待っていたのだ。

 その翌日、本人にインタビューする機会に恵まれた。開口一番、武は「ファンの反響がうれしかった。あれだけ多くの人が(東京)競馬場に来ていただけたのがうれしい。皆さんの笑顔を見ると、本当にいい仕事ができたかなと思います」と語った。

 武に初めてインタビューしたのは、今から24年前のことだ。彼は前年、スーパークリークに騎乗して史上最年少で菊花賞を制し、獲得賞金は1億円に迫った。
「1億円については、ピンとこないですね。机の上に札束をドォーンと置かれたわけじゃないですから。銀行の預金通帳に記載された数字を見たこともないですしね。でも、僕が(話題に)出たことによって、今まで競馬を一度も見たことなかった人が、興味を持ち始めてくれたのはうれしいです」

 初々しい口ぶりで、20歳は、そう語った。

 ダービーに勝てないと言われた時期もあったが、今回で?5。もちろん史上最多だ。?2の騎手は11人いるが、?3以上となると武しかいない。
 05年にはキズナの父ディープインパクトでの3歳クラシック3冠を含め、自己最多の212勝を記録した。しかし落馬による骨折などもあり、ここ3年は低迷していた。

 どんな思いだったのか?

「ウ〜ン、歯がゆいというのもあるし、悔しいというのもある。やっぱり、いろいろ考えましたね。ただ諦めたり、腐ったりするのだけはやめようと。それだけは自分に言い聞かせていましたね」

 そして、続けた。
「なんか不思議な感覚だったんですけど、(スランプの時期は)今まで使っていた魔法がきかなくなったような……。もちろん、そんな魔法なんて使ってなかったのですが“あれ?”という感じでしたね」

 限界説もささやかれた。気がつけば、44歳。名ジョッキーとして鳴らした父・邦彦の引退の年齢(46歳)に近づいてきた。

「“オマエは、いったい何をやっているんだ”と自分を叱ったこともあります」
 そんな時だ。不意に父親から声をかけられた。
「ちょっと一服だな。今までずっと結果を出してきたんだから、一服していると思えばいいじゃないか」

 この一言で気持ちが随分、楽になったと武は語り、続けた。
「そんなに無理しなくてもいいだろうと言われたような気がして、すごく安心しましたね」

 復活の裏には、父とのキズナもあったのだ。
 この秋、武はディープインパクトで果たせなかった凱旋門賞制覇の夢をキズナで追う。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年7月7日号に掲載されたものです>
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