「いくらなんでも今年は虫の発生が遅すぎる……」
 この6月、僕はカブトムシを採ることができず、ボヤいてばかりだった。

 7月7日(土)、8日(日)と2日間に渡って東京ビッグサイトで開催された『東京キャンピングカーショー2012』。このステージショーでミヤマ☆仮面の昆虫イベントを開催することになっていたため、僕は複数のカブトムシを集めなくてはならなかった。

 イベントだけではなく、会場内には『カブトムシ・クワガタふれあいテント』を設け、そこで子供たちに自由に昆虫と触れ合ってもらうことも企画していた。そのため6月中には、ある程度の数を確保しておきたいところだったが、驚いたことに全くといっていいほどカブトムシを採集できないでいたのだ。

「この時期にここまでカブトムシを見かけないのは、ここ10年あまりでは初めてのこと」
 アマチュアで調査をやっている僕の友人も頭を抱えていた。

 世間的には、カブトムシが出てくるのは8月の夏休みのイメージが強いが、実は6月下旬でも多くの個体が活動しているのだ。しかし、今年は驚くほどカブトムシが姿を現さないのである。

「まずいな、どうしよう……」
 自然が相手なので、仕方ないのは承知のうえだが、開催日が迫る中、僕は焦っていた。

 7月1日、いよいよイベントまで1週間を切った。この日が採集に行けるラストチャンスとなるだけに、カブトムシ名人のPさんが僕を案内してくれることとなった。
「これで鬼に金棒だ」
 僕は、メジャーリーガー級の心強い助っ人に大船に乗った気でいた。

 しかし、確実に採れるはずの高尾や八王子はもちろん、そこから青梅や奥多摩方面まで行ってみるものの、肝心のカブトムシの姿を発見することはなかった。さすがの名人にも虫の発生だけはどうすることもできないようだ。あんなにどこにでもいるイメージがあるカブトムシをここまで恋しいと思ったのは初めてである。

「5月や6月が低温続きだったのが、おそらく響いているのですね」
 1日中、“黄金ポイント”を回ってもダメなのだから、さすがに諦めるしかないと僕は名人に告げるしかなかった。

 しかし、名人はまだ諦めていなかった。車に乗り、かなりの距離を移動した。
「この辺りは、もう(埼玉の)所沢ですよ」
 そう言う僕を横目に、名人は車を運転し続け、なぜか真っ暗な霊園の中を通り始めた。ある墓地の前で車を停めたのだった。

 遅い時刻でもあり、正直あまり気持ちの良いロケーションとは言えなかった。
「ちょっと車から降りてみて下さい」
 見渡す限り、お墓だらけでカブトムシがいるとは思えなかったが、名人に言われるがままに車から降りた。

「えっ! これって?」
 墓地の中に立っていたのは、なんと尾崎豊のお墓であった。以前も書いたことがあるが、僕はかつて東京ドームでの佐々木健介戦の時など、彼の『レガリテート』を入場曲に使用するほど熱烈な尾崎信者だった。
 
 ちなみにその曲は、1990年の僕のプロレスデビューの年にリリースした『誕生』という2枚組アルバムの中に入っていて、これは尾崎の復帰作でもあった。10代でプロレスの門を叩いた僕にとって、“若者のカリスマ”尾崎豊の曲は心の支えだったのである。

 まさかこんな形で、お墓参りをすることになろうとは夢にも思っていなかった。
「街明かりが、まるで宝石のように美しく見える、こんな高台にお墓があったんですね」
 感激する僕が尾崎のファンであることは、案内してくれた名人は知らない様子だった。

 墓前に手を合わせた後、その霊園内にある1本のクヌギがポイントだと言われ、そこへ向かった。すると……なんとお目当てのカブトムシが鎮座していたのだ!
「これって尾崎豊が願いを叶えてくれたのかも」
 そう思えるほど、素晴らしい巡り合わせだった。

 それはあながち冗談ではなかったのかもしれない。この後、次々とおもしろいようにカブトムシが採れ始めたのである。これまで広範囲にわたって探しても見つからなかったのは、いったい何だったのかと不思議に思うほどだった。たとえ偶然だとしても、尾崎豊に感謝したくなるというものだ。

 尾崎豊のおかげ(?)もあって、東京ビッグサイトのイベントは、大成功で幕を閉じることができた。子供たちはカブトムシに大喜びで、僕も苦労した甲斐があった。

 イベントが終わり、ほっとしていたところ、寂しいニュースが入ってきた。なんとキラー・カンさんのちゃんこ屋が、今月で閉店するというのだ。

 カンさんは、1970年代から80年代にかけて日本のみならず世界のマットで活躍したプロレスラーである。引退後、西新宿に『ちゃんこ居酒屋カンちゃん』というお店を出し、長い間多くのファンに親しまれていた。

 そう言えば、十数年も前からマスコミの方と、このお店に行こうと約束していたが、僕はいまだに実現できないでいた。実は、このお店には尾崎豊も通っていたというのが、行ってみたい大きな動機であった。

 いったい彼は、カンさんとプロレスについて、どんな話をしたのだろうか? もちろん、あの尾崎豊が通うほどの料理の味にも興味津々だった。

 カンさんの料理の腕前は、マット界で伝説化するほど有名なのは僕も知っていた。かつてカンさんと同じジャパンプロレスで行動をともにしていた笹崎伸司さんが、彼の料理の腕を絶賛していたことを思い出す。

「小沢さん(カンさん)の作る料理はなんでもうまかったよ」
 僕が20代の頃に行ったアメリカ遠征で、笹崎さんからこんな話をよく聞かされていた。
「絶対に一度はカンさんの料理を食べてみたい」
 食いしん坊の僕は、ずっとこう思っていた。

 お店のメニューには『尾崎豊が愛したカレー』というものがあるという。カレー好きの僕にとって、こちらの味も気になるところだ。タイミングがタイミングだっただけに、あの尾崎豊が眠る霊園で発見したカブトムシが虫の知らせだったようにも感じる。

 閉店まで、あと数日しかないが、今度こそは滑り込みで行ってこよう。尾崎豊とはもう永遠に会うことはできないが、プロレス最高峰の舞台であるニューヨークの『マディソン・スクエア・ガーデン』で、トップを取った唯一の日本人レスラーと会えるチャンスは、まだかろうじて残っている。

(毎月10、25日に更新します)


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