ヨルダンの記者が席を立ち上がって頭を抱えていた。
 ロスタイムは残り2分。0−1のままタイムアップに刻一刻と近づいていたが、代表戦2戦目の吉田麻也がショートコーナーから高い打点でヘディングシュートを叩きこんだ。
「ゴールシーンは練習どおりでした」
 試合後のミックスゾーンで吉田は、そう語気を強めた。ショートコーナーではファーサイドで相手がボールウオッチャーになる癖を、チーム内で共有していたゆえの得点。吉田は落ち着いて自分が向かうべきポジションを取り、きっちりと仕事をこなした。初戦を落としてしまえば日本はいきなり窮地に立たされるだけに、吉田がチームを救う形となった。

 田中マルクス闘莉王、中澤佑二、そして栗原勇蔵とレギュラー格のセンターバックが次々と負傷して大会に参加できなかったこともあり、アルベルト・ザッケローニ監督から先発に大抜擢された吉田。ヨルダンのカウンターを受けても対応できるように、ポジショニング、カバリングに意識を傾注していた。集中力を研ぎ澄まして、守備にあたっていたことは記者席から見ていてもよくわかった。
 ただ気になったのは、プレーが少々、消極的に見えたこと。急造コンビの今野泰幸と動きがかぶるところはある程度仕方ないとしても、相手がミドルシュートを打とうとしても間合いを詰めないこともあった。
 ビルドアップの際には、ほぼ100%、ボランチや右サイドの松井大輔に預けていた。元々はボランチでプレーしていただけに、足元の能力も高い。ロングフィードや、間合いを変えてもいいはず。攻守にわたってもっと自らアクションを起こしてもよかった。

 前半には失点にも絡んでしまう。相手のシュートを何とか足に当てたが、方向が変わってゴールに入ってしまったのだ。
「試合後に(川島)永嗣くんとも話したんですけど、自分がファーサイドのコースを切って、ニアを永嗣くんに任せてもよかった。遅れた状況で足を出すと、ああなることもある」
 まずまずの出来ながらも、強烈な印象までは残せていない。そんな状況で、試合は進んでいった。ザッケローニ監督はセンターバックに対して「最初が大事。ガツンと行くことによってこっちが主導権を握る」と、相手に強さを誇示するように求めている。しかし、吉田がヨルダン相手に、強さを誇示できているとも言い難かった。このまま0−1で終わってしまえば、先発の座を失う可能性も少なからずあったろう。

 負の状況を自ら覆すあたり、吉田に執念を感じる。
 同点ゴールを奪った後は、前線に残ってターゲット役になった。積極的に攻撃に絡み、競り合ってボールを味方に供給していく。どうしても点を獲らなければならない状況で、吉田は存在感を増していた。ゴールが自信となり、プレーを積極的にさせていた。
「闘莉王さんなら、3点は取っていましたよ」
 吉田がそう言うと、ミックスゾーンで囲んでいた報道陣からは笑いが起こった。
 アジアとの戦いにおいては、日本を相手に引いて守ってくるチームが多い。つまり日本がボールを持つ時間が長くなる。相手の守備をこじ開けるためには、センターバックが攻撃に参加するケースが出てきて当然だ。
 闘莉王だけでなく、中澤佑二も機を見ての攻撃参加の意識が非常に高かった。特に試合がこう着状態に入ると、中澤は周囲を鼓舞するように意識的に上がっていった。今野とともに吉田は状況を見てリスクマネジメントを図りつつも、攻撃に加わらなければならない。そのことをこのヨルダン戦で強く実感したのではないだろうか。
「アジアで戦うのは難しいと感じました。次のシリアも引いて守ってくると思いますけど、きょうの経験を活かしていきたいと思う」

 所属するオランダのVVVフェンロでは長らくケガのリハビリに務め、昨年10月末からようやく試合に出始めている。高さと巧さを持つ将来性豊かなセンターバックとして、中澤や闘莉王、栗原を脅かす存在となっていくだろう。
 ヨルダン戦最大の収穫はこの吉田の台頭。シリア戦でもカギを握る存在となる。

(このレポートは不定期で更新します)

二宮寿朗(にのみや・としお)
 1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、サッカーでは日本代表の試合を数多く取材。06年に退社し「スポーツグラフィック・ナンバー」編集部を経て独立。携帯サイト『二宮清純.com』にて「日本代表特捜レポート」を好評連載中。