なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)の指揮官として11年ドイツW杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年カナダW杯準優勝など輝かしい戦績を残した佐々木則夫が退任した。

 

 

 直接的な退任理由はリオデジャネイロ五輪アジア最終予選での敗退。これにより4大会連続オリンピック出場はならなかった。

 

「予選の重圧に輪をかけて、私が初戦の大切さを選手に説きすぎて、さらにプレッシャーを与えてしまったかもしれない」

 

 佐々木はそう言って唇を噛んだ。裏を返せば、初戦のオーストラリア戦に勝てないまでも引き分けていれば、流れは違ったものになっていたということだろう。

 

 これを受け、前日本協会会長の大仁邦彌は、「なでしこのスタイルを世界がまねしてきている」と語った。

 

 佐々木の感想はどうか。

「日本の女子サッカー選手たちも可能性を秘めているが、世界各国の女子サッカーの強化、選手の進捗状況が非常にいい」

 

 佐々木の采配に関し、忘れられないのが澤穂希のボランチへのコンバートだ。08年の東アジア選手権でトップ下から中盤の底に下げた。ドイツW杯でもボランチで起用し、優勝の原動力となった。

 

 これには、どんな意図があったのか。

「僕が監督になる前、コーチを2年間やっていたので、澤のボールを奪う嗅覚には気付いていました。トップ下だとどうしても彼女の守備の良さが生きてこない。もっと組織的にボールをボランチのところに呼び込んで取れればいいんじゃないかなと。それには澤が一番適任だと思ったんです。

 

 実のところ澤はターンがあまり得意じゃない。トップ下でゴールに背を向けてプレーするより、前を向いてプレーできるボランチの方がいいんです」

 

 適材、適所、そして適時。佐々木の慧眼が光ったコンバートであった。

 

 陣形をコンパクトに保ちながら、全員攻撃、全員守備。精度の高いパスを駆使して主導権を握るなでしこのサッカーは“女性版バルセロナ”と高い評価を受けた。

 

 昨年9月に行われたラグビーW杯イングランド大会で、強豪の南アフリカを撃破するなど3勝をあげた日本代表を率いたエディー・ジョーンズは、ヘッドコーチ就任早々のインタビューで、「なでしこジャパンのような戦い方を目指す」と公言したものだ。

 

 約9年間の監督生活に別れを告げた佐々木の次なるミッションは――。驚いたことに女子大の副学長だった。埼玉の十文字学園女子大で大所高所からサッカーを見るというのである。

 

「今までの経験を伝えたい。ここには中、高、大と一貫した教育システムがある。その中で、サッカーも一貫した指導態勢を敷くことができる。後進の指導者を育て、同じベクトルを向くことで新しいものが生まれるかもしれません」

 

 なでしこを再浮上させるには強化以上に普及、育成など、いわゆる女子サッカーの足腰を鍛える必要がある。そのメソッドを女子大に提供したいと佐々木は考えているようだ。花が咲くのを楽しみに待ちたい。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年6月12日号に掲載されたものです>

 


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