二宮: 舛添さんは先月、ロンドンを視察されました。そこで感じた2012年オリンピック・パラリンピックのレガシーとは?
舛添: 帰りの飛行機でこんなことがありました。英国人の客室乗務員の方が「私の人生は2012年を機に大きく変わった」と言うんですね。何があったかというと、ロンドンオリンピック・パラリンピックでボランティアをされたんだそうです。その経験によって、物事の考え方が変わったと。特に障がい者に対する意識がガラリと変わったんだそうです。そう言って、とてもにこやかに対応してくれました。

 

二宮: オリンピック・パラリンピックには、ひとりの人生を変えるほどの影響力があるということですね。

舛添: そうです。だから東京オリンピック・パラリンピックでも、その方のように「人生が変わった」とにこやかに話をしてくれる人がたくさん出てくれるような、そんな意義ある大会にしたいですね。

 

 大事なのは"ゴール"ではなく"継続"

 

二宮: 日本人は何か目標があると、ゴールに向かって一生懸命突き進む。そういうことには、非常に長けていると思うんです。ですから、2020年に向けては間違いなくいろいろなことが進むはずです。しかし、私は2020年東京オリンピック・パラリンピックはゴールではないと思っているんです。ひとつの中間地点であって、時代は2025年、2030年、2050年......と続いていく。2020年に向けての取り組みは、それ以降も継続していかなければなりません。「継続は力なり」。これこそが、本当のレガシーだと思うんです。

舛添: そのいい例が駒沢公園です。1964年の東京オリンピックの会場としてつくられたものですが、今でもスポーツの大会やイベントが行なわれる場として活用されています。私もよく行くのですが、「50年前に、作ってくれて良かった」という声をよく聞くんです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックも、そう思ってもらえるようにしたいですね。

 

伊藤: 2020年はゴールではなく、きっかけのひとつととらえるといいのではないでしょうか。

舛添: その通りです、2020年は中間地点であって、それで終わりではない。未来に向かってさらに、ということで取り組んでいきたいと思っています。皆さんの活動はこれからも、ぜひ頑張っていただきたい。応援しています。みんなで一緒に、2020年東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げていきましょう。

 

(おわり)

 

舛添要一(ますぞえ・よういち)プロフィール>
1948年11月29日、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、東大助手、パリ大学現代国際政治関係史研究所客員教授、ジュネーブ高等国際政治研究所客員研究員を経て、79年に東大教養学部政治学助教授となる。89年に独立して「舛添政治研究所」を設立。2001年7月に参議院議員初当選。2期目には第一次安倍晋三内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣のもと、厚生労働大臣を務める。10年4月から13年7月まで「新党改革」代表。14年2月から東京都知事を務める。


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