子供の体が危ない

 

―― 小倉さんがいまのスポーツ界を見て気になることはありますか。

小倉 スポーツというより、日本社会全体にかかわることですが、子供の体が危ない。

 

 Jリーグアカデミーで名古屋の保育園にいる5歳のお子さんの足を撮った写真を見たのですが、完全に偏平足になっている。ガラス板の上に立たせると、指の姿が映らない。浮き指といって、指が地面に着かないんです。アキレス腱もやせ細っていて、こんな5歳児はわれわれの時代にいませんでした。一方、Jリーグのジュビロ磐田のある磐田市の保育園の場合、サッカーをしたりして外で遊ぶ子が多く、きちんと土踏まずがある。

 

 本当に、日本の子供には遊ぶ環境がないんです。文部科学省が2年ごとに出しているボール投げの統計では、週1回運動している11歳の子供の場合、20年前は34メートル投げられたのに、いまは31メートルしか投げられない。運動していない子の場合、20年前は30メートルだったのが、23メートルに落ちています。

 

<この原稿は2005年10月号『Voice』(PHP研究所)に掲載されたものです>

 

―― この問題は、私も野球界の人にいったことがあるんです。学校でキャッチボールをしなくなり、100メートル走でも世界的にタイムが更新しているなかで、一般の国民はどんどん遅くなっている。

小倉 サッカー界にとっても、選手になる可能性をもつ子供たちが走れなくなったことは致命的です。日本サッカー協会(JFA)は今年「JFAの約束2015」として、2015年までに「サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが500万人になる」「日本代表チームは、世界でトップ10のチームとなる」を掲げました。

 

「JFAの約束2050」では、2050年までに「サッカーファミリーが1000万人になる」「FIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームとなる」と約束したのですが、少子化のうえにこの環境では……これは文部科学省が真剣に考えなければいけない。スポーツ選手だけでなく、日本の将来の企業での働き手の身体能力にかかわる問題です。文部科学省は早急に対応策を立案すべきなのです。

 

―― 日本の合計特殊出生率は1.29まで落ちていますね。東京都はついに1を切った。

小倉 いま世界の人口が65億でしょう。あと50年したら95億で、日本は10位ぐらいだったのが、15位以下に落ちてしまう。現在は中国が世界一ですが、2050年にはインドが1位になるという。

 

 あと50年でインド、中国、アメリカ、それにインドネシアやパキスタンが拡大してくる。日本はベトナムにも抜かれてしまうでしょう。スポーツ関係者としても、黙っていられない状況です。

 

ワールドカップという実験

 

―― 来年の話をすると、日本は2006年のドイツワールドカップ出場も決まり、1勝もできなかった1998年のフランス大会以来、「外」で戦うのは2回目です。ドイツは川淵さんも含めて選手時代から行っている人が多いし、キャンプ地の選定など土地勘もあるのではないですか。

小倉 土地勘もあるし、それからスポーツ文化のレベルが高いですよ。森のなかにある競技場というイメージが強いし、キャンプ地にしても練習場は何面もあるし、とにかく質が高い。

 

―― ドイツはスポーツシューレ(ドイツ全土にあるスポーツ選手や指導者育成、研究のための施設)など、日本がスポーツのモデルを学んだ本家ですからね。ドイツのワールドカップを見た一般のファンは「これが本当のスポーツの環境だ」と思うでしょう。それがひいては小倉さんのいう子供の運動不足の解消や、サッカーを広めようという動きに向かうと思います。

小倉 今回のドイツ大会は「環境に優しいワールドカップ」なんですよ。観客が競技場に来るときもマイカーを勧めずに、入場券をもっていれば路面電車や地下鉄の運賃は無料。競技場のそばに電車の停留所がありますから、車で来るより、公共交通機関で来たほうが便利なんです。それからグラウンドで使う電力量や水を減らしましょう、と。

 

―― エコワールドカップですね(笑)。

小倉 さらにいうと、ベルリンの壁が崩壊して、東西統一後、初めて全土で開く大会です。彼らにとってはワールドカップであらためて統一の意識をもちたいという、歴史的テーマがある。

 

―― 旧東西のあいだの経済格差も、まだ大きいでしょう。

小倉 それだけに、統一ドイツの共同作業という位置づけがある。サッカーファンに印象の深い1974年のワールドカップはあくまで「西ドイツ大会」でした。おまけにファーストラウンドでいきなり東ドイツが西ドイツとぶつかり、西を破ってしまった。今度は一緒になったチームで、しかも自国で戦うのですから、ドイツ人にとって歴史的な意味は大きいでしょう。

 

―― 思えば2002年の日韓共催ワールドカップも、日本と韓国が共生できるかという歴史的実験でした。FIFAはなかなかチャレンジ精神がありますね。日本と韓国に共同作業をさせて、今度はドイツで東西統一後、初めてのワールドカップ。その次の2010年は南アフリカ開催でしょう。テーマが明確です。

小倉 多少、後づけの感もあるけどね(笑)。たしかに1994年にアメリカで開催したときも、アメリカというサッカー不毛の地にワールドカップを根づかせようという狙いだった。おっしゃるようにFIFAは2010年に南アフリカでワールドカップを開こうとしているのですが、南アフリカは国民の20パーセントがエイズ患者です。その国へ世界中から約50万人が集まり、1カ月のあいだ接触をもつわけです。

 

 その前にエイズについて何らかの手が打たれていないと、ワールドカップを開催できないかもしれない。2006年のドイツが終わったら、南アフリカをめぐって世界でさまざまな動きが起こるでしょう。薬やコンドームを贈るということから始まって、国内の貧富の差など、FIFAも問題を取り上げはじめています。

 

―― オリンピックを見ていても、なかなかそうしたテーマ性は見えない。国際オリンピック委員会(IOC)とFIFAの違いを感じますね。オリンピックは全体的に縮小傾向で、野球の種目も廃止されてしまった。

小倉 オリンピックは今回ロンドンに決まったように、大都市同士の争いになったら、ほかの小さい街では戦えませんよ。

 

―― 今後日本でオリンピックを開くとして、福岡や札幌では受からない。

小倉 もし日本が行うならば東京か、歴史的に意味のある広島以外にないでしょう。

 

―― 日韓共催ワールドカップで国内開催地に立候補したときの広島はいかにもまずかった。「平和の都市」をアピールしていれば黙っていても当選だったのに、開催条件であるスタジアムの屋根づくりを渋ったために落ちてしまった(笑)。

小倉 あれは私も夢破れてねえ。日本でワールドカップを開いて広島で試合を行い、世界平和に貢献できるかという寸前だったのですが……。

 

―― 当時の広島市長が反対した、と。屋根さえあれば決まりだったんでしょう。

小倉 アベランジェ(当時のFIFA会長)は「日本で開催する場合は必ず広島を入れよ」といっていました。

 

―― 日韓共催ワールドカップを開催した札幌や仙台は、のちにプロ野球でも新球団ができた。ワールドカップによって、スポーツ文化が花開いたわけです。広島は市民球場にもお客さんが入らず、取り残された格好になっている。

小倉 広島の代わりに決まった新潟では、市民スポーツの機運が高まりましたし、仙台にしても楽天を受け入れる素地ができた。それに地域経済にも繋がるわけですから、スポーツの力って、意外に馬鹿にできないと思うんです。その意味で、日本でぜひもう一度、2050年までにワールドカップを開きたい。

 

―― サッカーというゲームはピッチ外でも行われていることが、小倉さんのお話でよく分かります。日本のサッカーに技術も外交力も十分備わったときこそ、本当に日本が優勝するときでしょう。

 

(おわり)


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