幕内優勝9回を誇る明治大正の名横綱・太刀山、通算最多勝利(1047)の記録を持つ“平成の名大関”魁皇らを生み出した名門・友綱部屋。師匠の友綱親方(元関脇・魁輝)が今年6月、協会の定年(65歳)を迎えるのを機に、元関脇・旭天鵬(大島親方)が部屋を継承することが決まった。理事会で承認されれば、モンゴル出身では初の師匠となる。

 

 

 旭天鵬といえば、忘れられないのが2012年5月場所での平幕(前頭7枚目)優勝だ。千秋楽を前に大関・稀勢の里、前頭4枚目・栃煌山と11勝3敗で並んでいた。

 

 さらに言えば横綱・白鵬、前頭5枚目・隠岐の海、前頭6枚目・碧山と4敗力士が3人もいた。つまり6人が優勝を狙える位置にいたのだ。

 

 振り返って本人は語る。

「前半戦は勝ったり負けたりの2勝3敗。ところが7日目に勝って通算794勝を達成した。これにより歴代勝ち星で貴乃花さんと並んでベスト10に入ったんです。マスコミは“華の大横綱に並んだ”と書いてくれた。それが僕にとっては、ものすごく励みになりました」

 

 千秋楽は豪栄道との対戦となった。

「実は豪栄道関との対戦成績はあまりよくなかった。それに優勝争いをしていた栃煌山関は琴欧洲関(鳴戸親方)が欠場したので不戦勝。だから僕と3敗で並ぶ稀勢の里関が負けていたら栃煌山関は自動的に優勝でした。

 

 つまり本割で勝たないことには優勝は見えてこないし、しかも分が悪い相手ですから優勝までは考えていなかった。とりあえず豪栄道関は倒したいと。そこで勝った瞬間からイケイケの気分になったんです」

 

 優勝決定戦の相手は栃煌山。勝負はたき込みであっけなく決まった。

「とりあえず捕まえようと思ったんです。栃煌山関は右四つ。でも、まわしをきつく締めているから、とれなかった。それでも後ろには余裕があったので、はたいたら落ちるだろうという読みはありましたね」

 

 優勝こそ、この1回だけだが、幕内出場1470回は史上最多である。後年は「角界のレジェンド」と呼ばれた。

 

「丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝しています。長く相撲を取れるのは、若い時に稽古をたくさんやったから。どうしても年齢を重ねると稽古の量も減ってくる。僕の場合、若い時の“貯金”があったから。(体力の低下にも)耐えられたかな、と思っています」

 

 さて、師匠として、どんな部屋を目指すのか。

「僕はもっと相撲好きの人に稽古を見にきてもらいたい。相撲部屋って、ちょっと気楽には行けないイメージがあるでしょう。でも、決してそんなことはないんです。僕の現役時代だって、上がり座敷がガラガラよりは、お客さんがたくさんいた方がやる気が出た。活気のある部屋をつくりたい。今の相撲人気を、もっともっと高めて行きたいと思っています」

 

 稽古場の活気なくして、力士の成長なし――。名門部屋の継承者は、そう考えているようだ。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2017年4月2日号に掲載されたものです>

 


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