2017年7月28日、WBC世界スーパーフェザー級のタイトルを4回防衛した三浦隆司選手が引退を表明した。7月15日(日本時間16日)、米カリフォルニア州で行なわれたWBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチで王者のミゲル・ベルチェルト(メキシコ)に判定負けを喫し、王座返り咲きを逃していた。本場・アメリカへ挑戦し、高い評価を得た稀代のボクサーだった。“ボンバーレフト”と称された左の強打。野性味あふれるパワフルなボクシングを、もう見ることはできない。三浦のボクシング人生を2年前の原稿で振り返る。

 

<この原稿は2015年8月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 倒した本人が、「もうちょっと下の方に当たっていたら、立ち上がれなかったかもしれませんね」と涼しい顔で言うくらいだから、この男のパンチ力は尋常ではない。

 

 誰が名付けたか「ボンバー・レフト」。WBC世界スーパーフェザー級王者・三浦隆司。去る5月1日、東京・大田区総合体育館で元IBF世界フェザー級王者ビリー・ディブ(オーストラリア)相手に4度目の防衛戦を行い、3ラウンドTKO勝ちを収めた。

 

 挑戦者をニュートラルコーナーに詰め、至近距離から得意の左ストレートを見舞った。続けざまに右と左をフォローしたが、これは付け足しに過ぎなかった。

 

 キャンバスに崩れ落ちた挑戦者は、カウントの途中でかろうじて立ち上がったものの、足取りはおぼつかず、レフェリーに試合を止められた。

 

 振り返って三浦は言う。

「これ一発で終わった、という感触は当てた瞬間にありました。(感触が)拳から肩に抜けていった。(左ストレートは)頬だったから立ち上がれたんでしょうけど、アゴなら無理だったでしょうね」

 

 これで4連続防衛。直近の3試合は、いずれもTKO勝ちだ。

 

 ゼニの取れるボクサーである。彼の試合は一瞬たりとも目が離せない。

 

 肉を斬らせて、骨を断つ――。それが彼の持ち味だった。ディフェンスに磨きをかけた今は、肉を斬られることなく、骨だけ断っている。ハードパンチの犠牲者は、この先、さらに増えるに違いない。

 

 生粋の強打者が、一度だけボクシングをやめようと思ったことがある。今から4年前のことだ。

 

 当時、日本スーパーフェザー級王者だった三浦は、5歳上のWBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志に挑戦する権利を得た。内山と対戦予定の挑戦者が、試合直前にキャンセルしたことでチャンスが舞い込んできたのだ。

 

 三浦が左なら、内山は右だ。「ノックアウト・ダイナマイト」の異名はダテではない。

 

 この試合までに、2試合連続KO防衛を果たしていた。しかも無敗。三浦が強打のチャンピオンからベルトを奪うには、オール・オア・ナッシングの打ち合いを挑むしかなかった。

 

 虎穴に入らずんば虎児を得ず――。そう覚悟を決めてリングに上がった。

 

 2011年1月31日、東京・有明コロシアム。立ち上がりから三浦の動きは硬かった。1、2ラウンドは足を使うチャンピオンに翻弄された。

 

 形勢が逆転したのは3ラウンドだ。残り50秒を切ったところで、無我夢中で振るった得意のレフトが内山のアゴを直撃したのだ。

 

 ダウン。悲鳴と歓声が最大値で交錯する中、しかし三浦は逡巡してしまう。どう攻めていいのか、わからなくなってしまったのだ。

 

「あれはたまたま当たったパンチなので、迷ってしまったんです」

 

 率直に答え、三浦は続けた。

「あの一発が当たるまで、僕のパンチは一発も当たらない感じだった。狙っていなかったパンチが当たったものだから、逆にダウンを奪った自分がパニックになってしまったんです。それで中途半端な攻撃になってしまった……」

 

 実は2ラウンドに内山は右の拳を痛めていた。3ラウンドにはバッティングで右まぶたをカットし、出血の影響で前方がぼやけてしまっていたのだ。

 

 そこにチャレンジャーのハンマーのような左が飛んできたのだから、たまったものじゃない。腰から崩れ落ちた。

 

 だが、最大のピンチを冷静にしのぎ切った内山は、ジャブを主体にした巧みなボクシングで徐々に追いつめ、三浦を8ラウンドTKOに退けたのである。

 

 ジャブの集中砲火を浴びた三浦の顔面は見るも無残に腫れ上がっていた。チャンピオンは左手一本で試合をコントロールし、チャレンジャーに追撃を許さなかったのである。

 

 世界の壁を痛感した三浦は再びリングに戻る気にはなれなかった。

「世界戦って、そんなにチャンスのあるものじゃない。僕は一発勝負という覚悟でリングに上がり、そして負けた。また次も、という気持ちがわかなかったですね」

 

 ――なぜ、再びリングに上がる気になったのか?

「あの強いチャンピオンからダウンを奪っている。オレもなかなかやるじゃないか。それが励みになって、もう1回やってみようかと……」

 

 再起するにあたり、三浦はある決断をする。世界王者を多数輩出している名門・帝拳ジムに移籍したのだ。

 

 担当トレーナーの葛西裕一が目を丸くして言う。

「あのパンチ力は想像以上でした。ちょっともらい方を間違えると、“胴ミット”をしていても内臓が破壊されそうでした」

 

 だがボクシングはお世辞にも上手とはいえなかった。

「パワーはあるけど左オンリー。だから右を徹底して練習させました。世界を獲るにはジャブが必要。実は彼、アマ出身だからジャブも巧いんです。

 

 先のディブ戦、フィニッシュの前に右のジャブを突いているでしょう。あれは相手にとって心の折れるジャブ。彼の成長の何よりの証ですよ」

 

 三浦に勝った後も順調に防衛を重ねる内山は連続防衛記録を10にまで伸ばし、いよいよ具志堅用高(元WBA世界ライトフライ級王者)が持つ13という日本人(男子)最多記録を視野に入れるところにまできた。

 

 35歳の今も内山は衰え知らずだ。

 

 ――リターン・マッチへの思いは?

 平静を装うように三浦は答えた。

「内山さんは右も強いけど、左もものすごくうまい。その左をいかにもらわずに前に出られるか……」

 負けたままでは終われない。


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