これほど殺風景な星取表は見たことがない。上位陣は休みを意味する「や」ばかりだ。珍しく早起きした月曜日の朝、電卓片手に秋場所の「や」の数を数えてみた。

 

 驚いたことに90もあった。その内訳は次のとおり。横綱・白鵬15、同・稀勢の里15、同・鶴竜15、大関・高安12、同・照ノ富士9、前頭・碧山7、同・宇良12、同・佐田の海5――。

 

 3横綱2大関が休場するのは99年ぶりだという。99年前といえば大正7年である。夏場所で横綱の大錦、西ノ海、鳳、大関の九州山、伊勢ノ濱が休場している。ただ横綱・鳳は初日に負けがついているため、3横綱が初日から休場したのは初めてのことだ。

 

 休場力士が相次ぐ理由については、いろいろな見方がある。力士の大型化によって故障のリスクが増したという者もいれば、大相撲人気の回復に伴い地方巡業が増加。万全の状態で本場所を迎えることが難しくなったという者もいる。元中日監督の落合博満はTBS系の「サンデーモーニング」で「稽古不足でしょ」とバッサリと斬って捨てた。門外漢の意見とはいえ、親方衆の中にも同様の指摘をする者がいる。

 

 予想どおり、大荒れの秋場所となった。“ひとり横綱”として綱の権威を守った日馬富士の意地には頭が下がるが、11勝では胸は張れまい。

 

 もし大関・豪栄道が賜杯を抱いていれば、九州場所に綱取りがかかっていた。連続優勝となれば横綱への昇進基準を満たす。すると、どうなっていたか。大相撲は本邦始まって以来の5横綱時代を迎えていたのである。

 

 これまで4横綱時代は今場所も含め、計77場所あった。しかし、さすがに5横綱時代は、まだ一度もない。私見だが、綱の権威を保つため、横綱は「最多でも4人まで」と定員制にした方がいいのではないか。「神の依り代」とも呼ばれる横綱が5人も6人もいる風景は奇観である。

 

 横綱には降格がない。進退は自らの意思に委ねられる。それはいい。だからといって3場所も4場所も姿を見せない横綱の地位保全に、協会が留保すらつけないことには違和感を覚える。休場は、何場所まで許されるのか。多少のガイドラインは必要だろう。

 

<この原稿は17年9月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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