Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎が2006年に上梓した『虹を摑む』(講談社)によると、Jリーグ創設に際し、浦和市(現・さいたま市)の活性化のため、プロチームを招致する運動の先頭に立っていたのは、青年会議所のメンバー(当時)で、後に政界に転じる武正公一だったという。

 

 

 

 武正に「どこかいいチームありませんか?」と尋ねられた川淵は、和光市に本田技術研究所を置いていたホンダを紹介する。

 

 ところがホンダの川本信彦社長(当時)は、川淵によると<F1の世界では有名な人だったけど、サッカーには理解がなかったのだろう>(同書)。色好い返事をもらえず、代わりに紹介したのが三菱自動車。同時期にフジタも名乗りを上げていたが<タッチの差>で三菱自動車に軍配が上がったという。

 

 もしチームの親会社がホンダかフジタだった場合、三菱グループの象徴であるスリーダイヤにちなむ名称が採用されることはなかっただろう。

 まさに禍福は糾える縄の如し――。結局のところ、浦和レッズでよかったのではないか。レッズの観客動員数は19年まで14年連続リーグトップだった。

 

 トップリーグを改変して船出したラグビー新リーグ「リーグワン」。同じ埼玉県を本拠地にするということもあり、ラグビー界における浦和レッズになりそうな予感が漂うのが埼玉パナソニックワイルドナイツ(旧パナソニック)だ。

 ホームスタジアムを置く熊谷市にとってラグビーは“国技”ならぬ“市技”。市役所にはラグビータウン推進課があり、競技の普及やラグビーを通じての地域振興に力を入れている。

 

 もともとワイルドナイツは、群馬県太田市に拠点を構えていたが、実は太田市と熊谷市は利根川を挟んで隣同士。19年3月にはワイルドナイツ、埼玉県、熊谷市との間で地域振興に関する3者協定を結んでいる。

 その中心的役割を果たしたのがワイルドナイツの飯島均GMだ。コーチ、監督時代には日本選手権3連覇(08年~10年度)を達成している。

 

 リーグワンの初代王者を目指すのはもちろんだが、それと並行して「まちづくり」「人づくり」に取り組んでいきたい、と飯島は語る。

「チームの施設が熊谷文化スポーツ公園内にあるので、公園を散歩する方たちのコースから練習場の様子が窺える。つまり誰でもワイルドナイツの練習を観ることができるんです。また地域の大学や行政と連携し、人を育てていきたい。留学生や外国人選手の日常生活を地域の方々にサポートしていただくような取り組みも考えています。そういった選手が活躍し、代表に選ばれたら“アイツはウチで面倒見てたんだよ”と地域の人にも胸を張ってもらえるでしょう」

 

 ラグビーは、これまで“企業密着”のイメージが強かったが、リーグワンはサッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグにならって“地域密着”の色を鮮明に打ち出す。興行権は協会から各チームに移る。地域との良好な関係なくしてリーグワンの成功はない。

 

 

<この原稿は『サンデー毎日』2022年1月23日号に掲載されたものです>

 


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