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宮本洋一(清水建設代表取締役社長)第1回「さまざまな社会貢献のかたち」

 2014年から、障がい者スポーツを応援する当WEBサイト「挑戦者たち」のパートナーとなった清水建設株式会社。NPO法人STANDが全国3ヶ所(金沢、東京、仙台)で開催した障がい者スポーツ体験会でも、
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第54回 変化する、パラスポーツ競技団体を取り巻く環境

 日本サッカー協会(JFA)は今年1月15日、7種目の障がい者サッカーの競技団体(日本ブラインドサッカー協会、日本脳性麻痺7人制サッカー協会、日本ろう者サッカー協会、日本知的障がい者サッカー連盟、日本
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木村敬一(パラ水泳)第4回「リオで金、そして東京へ

二宮: 2度、出場したパラリンピックで金メダルの獲得はまだありません。当然、次のリオデジャネイロパラリンピックでは表彰台の一番高いところに照準を置いていると?木村: そうですね。自国開催の東京で優勝な
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木村敬一(パラ水泳)第3回「無欲で掴んだ2つのメダル」

二宮: 北京パラリンピックでは5種目に出場し、3種目での入賞を果たしましたが、いずれも表彰台には届かなかった。それから4年後のロンドンパラリンピックでは、2つのメダルを手にしました。やはり4年前の経験
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木村敬一(パラ水泳)第1回「手応えを掴んだアジアパラ」

 北京、ロンドンと2大会連続でパラリンピックに出場し、ロンドン大会では2つのメダルを手にした水泳日本代表の木村敬一選手。昨年、パラリンピック3大会(アテネ、北京、ロンドン)で金1個を含む計5個のメダル
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伊藤数子「障がい者スポーツの現場から」

第53回 2020年東京で踏み出す「オリパラへの新たな一歩」

 2013年に2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことを契機に、パラリンピックを取り上げるメディアも増え、パラリンピックに触れる機会が増えてきました。そのことによって、これまで低
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橘香織&上村知佳(車いすバスケ)第3回「普及拡大は”見る””する”の実体験から」

伊藤: 競技スポーツにおいて、若手選手の発掘・育成というのは、どのチームも抱えている課題だと思います。若手が育たなければ、世代交代も進まないわけですが、その点において、日本ではどのような取り組みをされ
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橘香織&上村知佳(車いすバスケ)第2回「若手の勢いとベテランの重み」

二宮: 車椅子バスケットボール女子がパラリンピックの正式競技として初めて採用されたのは、1984年のアイリスベリー大会(英国)でした。日本は同大会から2008年北京大会まで7大会連続で出場し、アイリス
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橘香織&上村知佳(車いすバスケ)第1回「強豪ぞろいの大阪カップ、世界を知るチャンスに」

  2011年11月、日本の車椅子バスケットボール界は悲嘆に暮れた。たった2枚しかないロンドンパラリンピックへの切符を争ったアジアオセアニア地区予選会で、日本女子はダブルラウンドロビンで戦ったが、得失
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川淵三郎(東京五輪・パラリンピック組織委員会評議員)第4回 ”おらが国の”オリンピック・パラリンピックへ

川淵: 前回の1964年の東京オリンピック・パラリンピックは、「東京」という一都市にすべて集約され、日本のシンボルとして世界に発信されました。しかし、2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、東
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