2013年に2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことを契機に、パラリンピックを取り上げるメディアも増え、パラリンピックに触れる機会が増えてきました。そのことによって、これまで低かったパラリンピックへの関心度も徐々に高まってきているように感じられます。そんな中、「オリンピックとパラリンピックをひとつにして開催しよう」という意見をよく耳にするようになりました。皆さんはどう思いますか。
(写真:リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックの公式サイト)
 議論の根底にあるものとは

 オリンピックとパラリンピックをひとつにすべきかどうか、可能かどうかという問題はさておき、私はこうした議論が交わされている、そのこと自体が何より重要ではないかと考えています。なぜなら、こうした議論がなぜ交わされるようになったのか、その理由をひも解いてみると、これまで国内ではスポーツとして扱われてこなかった障がい者スポーツをスポーツとして認識するようになり、その競技者をアスリートとして見るようになったからにほかなりません。

 そもそもパラリンピックがスポーツの大会として認識されなければ、「オリンピックとパラリンピックをひとつにしよう」という考えは湧きあがってはこないでしょう。つまり、こうした議論はパラリンピックのスポーツとしての認知度の高まりを示しているのです。

 思えば50年前、1964年に東京パラリンピックが行なわれた時代は、まだ日本では障がい者がスポーツをするなんてことはまったく考えられていませんでした。それどころか、医療の現場でも「障がい者はベッドの上で安静にすべし」という考えが常識とされていたのです。それから半世紀の間、障がい者がスポーツをすることの意義が理解され、「障がい者スポーツ」という言葉が使われてきました。そして、障がい者スポーツはリハビリだけでなく、競技としても広まってきたのです。

 やがて、08年北京パラリンピックを境に障がい者スポーツが超エリートスポーツ化した世界の兆候へと追随し、日本でも徐々にエリート化が進んでいきます。さらに競技力の向上に伴って「見る」スポーツとしても確立され始めるのです。そして、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、国内での障がい者スポーツの環境は、急速に変化しています。

 また、「支える」という点においても、障がい者スポーツに関心を寄せる企業が増え、明らかにひと昔前とは異なる様相を呈しています。パナソニックが日本企業としては初めて国際パラリンピック委員会のワールドワイド公式パートナーとなったことは、その代表例と言えますね。つまり、今やパラリンピックは「する」人だけのものではなく、「見る」「支える」人のためのものでもあり、オリンピックと同様の社会的役割を担い始めているのです。

 オリンピックとパラリンピックをひとつにしましょう、という議論は、こうした時代の流れの中で起きた当然の現象だと私は考えています。そして、次の時代に向けての過渡期を迎えているのだということを実感しています。

 小さなことから始まる改革

 オリンピックとパラリンピックをひとつの大会にするという案は、わけ隔てのないノーマライゼーションの社会への実現という観点からも、非常に素晴らしいアイディアだと思います。ぜひ、実現に向けてトライすべきです。とはいえ、実行に移すとなると、もちろん一筋縄ではいかないことは想像に難くありません。そこにはさまざまな課題が浮上してくることでしょう。

 例えば、オリンピックとパラリンピックをひとつにした場合、大会期間の長期化は避けられません。さらに同時期に行なえば、それだけ一度に集まる選手や関係者の人数が増えるわけですから、競技会場や選手村の規模もこれまでのものでは対応しきれなくなります。運営スタッフやボランティアの増員も必要でしょう。他にもさまざまな課題が浮かびます。もちろん、だからと言って、やらない方がいいと言いたいわけではありません。きちんと議論を重ね、どんな方法があるのか、本当にひとつにすべきなのかを考える時間が必要なのです。

 では、今は何もできないのかと言うと、そうではありません。まずは小さな一歩を踏み出すことはできるのではないでしょうか。例えば、大会のエンブレムやマスコット、カラーの統一化です。現在、エンブレムやマスコットはオリンピック用とパラリンピック用を用意するのが通例となっており、現地スタッフのユニフォーム、競技会場や街中に飾られるポスターや横断幕などで使用される大会カラーも異なります。そのため、オリンピック終了後、スタッフのユニフォームも、会場や街中のデコレーションも、ショップの商品も、すべてパラリンピック用に替えなければならないのです。これには経費も労力もかかります。はじめから、すべて統一しておけばとてもエコになります。

 それを2020年東京オリンピック・パラリンピックで世界初の事例として行なえば、「オリンピックとパラリンピックは統一のスポーツの祭典である」ことを、世界に向けて強く発信することができるはずです。「東京が統一の初めの一歩を踏み出した」ことをオリンピック・パラリンピックの歴史の1ページに刻むことになるでしょう。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障がい者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障がい者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障がい者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障がい者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障がい者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。