木村敬一(パラ水泳)第4回「リオで金、そして東京へ
二宮: 2度、出場したパラリンピックで金メダルの獲得はまだありません。当然、次のリオデジャネイロパラリンピックでは表彰台の一番高いところに照準を置いていると?
木村: そうですね。自国開催の東京で優勝などと、悠長なことは言っていられません。次のリオで狙いたいと思います。
伊藤: 現在、視覚障がい(SB11)の100メートル平泳ぎで昨年に引き続き、世界ランキング1位です。
木村: ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した中国のヤン・ボズン選手がここ数年、大会に出てきていないんです。ただパラリンピック本大会が近付いてくれば、復帰してくると思いますので、しっかり勝てるように練習したいと思っています。
伊藤: 同種目の世界記録保持者でもあるヤン選手は、昨秋の仁川アジアパラ競技大会には出場していませんでした。
木村: 選手によっては、引退した場合、ホームページなどで大々的に発表する人もいます。ただ中国の選手に関しては、全く情報が入ってこないんです。
二宮: リオデジャネイロパラリンピックに向けて、今はどこに力を入れてトレーニングをされていますか?
木村: ロンドン以降、競技に集中できる環境をいただいたので、技術面の改善など、今まで以上にトレーニングの質と量を上げていきたいと思っています。
伊藤: では改めて、来年に迫っているリオパラリンピックでの目標は?
木村: 前回のロンドンが銀メダルだったので、次はもう優勝するしかないと思っています。100メートル平泳ぎで金メダルを獲れるように頑張ります。
成長した姿をアピール
二宮: 一昨年には2020年オリンピック・パラリンピックを東京で開催することが決まりました。木村選手はパラリンピアンズ協会の理事でもあります。今後、取り組んでいきたいことは?
木村: まず第一には自分が現役の選手として、頑張りたい。それからパラリンピアンズ協会の活動としては、もっとパラリンピックとか障がい者スポーツというものを多くの方に知っていただいて、東京大会を盛り上げられればと思っています。自分と同じように障がいを持つ子供たちが、スポーツと触れあえる機会は、それほど多くはない。障がいを持っていてもスポーツを楽しめるし、強くなれることを発信していきたいです。
二宮: オリンピックはもちろんのこと、成熟都市の実力を示すのはパラリンピックだという意見も少なくありません。
木村: それはすごく大きいと思います。成熟した都市としては、ハード面だけでなく、一般の人たちがパラリンピックに関心を持って、盛り上げていけるだけの心の余裕があるということが大事だと思います。一般の人たちがどれだけ関心を持てるか、これも日本が成長をしたところを見せられるところなんじゃないかなと。なんだか、すごく偉そうですね(笑)。
二宮: ロンドンパラリンピックではボランティアのことを「ゲームズメーカー」と呼んだとお聞きしました。木村選手は数々の世界の大会に出られていますが、ここは助かったという点はありますか?
木村: ゲームズメーカーが文字通りゲームを作っていましたね。一般的に想像されるボランティアの仕事だけではなく、大会を盛り上げているという感じをすごく受けました。
伊藤: 具体的に言うと?
木村: 競技会場の周辺から、観戦に訪れるお客さんに色々とサービスをしていました。大きな声を出したり、ダンスをしたりと大会を盛り上げていて、”スポーツのイベントなんだな”と感じさせられる瞬間でしたね。
伊藤: なるほど。日本にもそういうゲームズメーカーが育っていけばいいですね。東京パラリンピックを迎える時には木村選手は30歳。もちろん選手として?
木村: そうですね。1992年のバルセロナ大会から6大会連続でパラリンピックに出場し、21個ものメダルを獲得した河合純一さんも、ロンドン大会では37歳でした。僕も行けるところまで、チャンスがあれば挑戦したいですね。
(おわり)
<木村敬一(きむら・けいいち)プロフィール>
1990年9月11日、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症で2歳の時に全盲となる。小学4年から水泳を始め、単身上京した筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。中学3年時に出場した世界ユース選手権大会で金、銀、銅と3個のメダルを獲得し、2007年の日本身体障害者水泳選手権では100メートル平泳ぎで日本記録をマークして優勝。高校3年時に臨んだ08年北京パラリンピックでは5種目に出場し、うち3種目で入賞した。日本大学に進学後、4年時に迎えた12年のロンドンパラリンピックでは100メートル平泳ぎで銀メダル、100メートルバタフライで銅メダルを獲得した。昨年から水泳チームのキャプテンを務め、アジアパラ競技大会(韓国・仁川)では出場した全6種目で表彰台に上がった。