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(写真:文体でチャリティーに参加していた中西学選手<左>)

「新日本の選手の皆さんにも直接お会いして、イベント復帰したことのご報告をしよう」

 僕は、8月8日に横浜文化体育館で行なわれた新日本プロレス『G1クライマックス26』に足を運んだ。

 

「いつもG1を観戦する時は両国だから、(横浜)文体だと新鮮に感じるなぁ」

 優勝戦がある両国大会ではなく、僕がこちらの会場を選んだのは、『がん撲滅チャリーティー』を謳っている大会だからだ。この先、何かお役に立てることをしたいので、どうしても観ておきたかったのである。

 

 開場すると入り口付近で、募金箱を持った中西学選手やタイガーマスク選手が目に入った。がん撲滅を訴えての募金活動をしていたのである。試合開始前には、リング上で『がん撲滅セレモニー』が行なわれ、主催者サイドから今大会の売上の一部や集められた募金を贈呈されていた。それだけではない。毎年、がん患者の方々を会場へご招待しているという。

 

「やられてもやられても立ち上がる姿は、闘病している方の勇気につながるから」と自身もがん治療を経験したプロモーターは力を込め、その理由を僕に語ってくれた。

 確かにプロレスの試合には必ずピンチが訪れ、それを耐え忍んで勝つというプロセスが組み込まれている。総合格闘技などとは違い、プロレスの試合においては一方的な勝利は皆無に等しい。ピンチを乗り越えた後には必ず大きなチャンスが来るのがプロレスのセオリーなのである。がん患者にとって、苦境の後に勝利が待っているというプロレスの構図は、自身の闘病生活と重なり合わせることができ、大きな希望となっていると思われる。

 

 実は……僕の座右の銘は『ピンチはチャンス』だ。これは実体験から得た教訓でもある。

 振り返ってみるとプロレス入門前から、チャンスを得る前には必ず大ピンチに見舞われた。

 

 僕は中学を卒業したら、すぐにプロの道に進みたかったが、当然ながら親や先生からの反対を受け、高校へと進学した。でも心の中はいつもモヤモヤしていて、覇気のない無味乾燥な日々を送っていた。そんな中、柔道の練習中に背骨の横突起を折るという大怪我をしてしまった。腰にコルセットを巻き、1カ月も寝たきり生活を余儀なくされてしまったのだ。「この先、自分の人生は一体どうなってしまうのだろうか……」。日夜、ベッドの中で自分の将来のことを考え続けた。

 

「よし、もう決めた!」。僕は高校を退学し、すぐにプロレスの道へ進む決断を下した。自分の気持ちを押し込めて大人たちの言いなりになるのではなく、自らが道を切り拓いていこうと考えたのだ。

 

 しかし、現実はそう甘くはなかった。リハビリからのスタートは賢い選択とは言えず、思い通りにいかない時間だけがいたずらに過ぎていった。精神的に追い込まれた僕は、環境を変えることでチャンスが生まれると信じ、地元愛媛から、ほとんどツテのない東京へ上京を決めた。新聞配達のバイトをやりながら、トレーニングを続けることにした。元レスラーが経営しているジムに通うなど何か打開策を練ればいいものの、その頭はなかった。

 

 夢を成就したことをイメージしながら、来る日も来る日も地道に基礎トレーニングを重ねた。学校を辞めてから1年が過ぎた頃、偶然と呼ぶにはあまりにもミラクル過ぎる出会いが待っていた。ここでは割愛するが、そのお陰で第一希望のUWFに入門することができたのだが、今思い出しても本当にラッキーだったというしかない。

 

 自分を信じて絶対に諦めず、前向きに考え続けたことで運を呼び込んだのかもしれない。

 どんな苦境に追い込まれても「あきらめず前向きに考えること」で、必ず道は切り拓けることを学ぶことができた。デビューしてからも団体が解散となり、新しく作った団体『UWFインターナショナル』の大事な旗揚げ戦で、足の骨を折るというアンラッキーに見舞われたが、このピンチにも逃げずに立ち向かった。

 

 正直、腐ってしまう日々もあったが、とにかく前向きに考えるよう努めた。「必ずピンチをチャンスに変えるぞ」。19歳のこの時もマイナスなことは捨て去り、浮上することだけを考えた。「足が折れて動かせないなら、上半身のみを使って練習しよう」

 

 僕はボクシングの動きを取り入れようとマイク・タイソンの試合のビデオを擦り切れるほど観て研究した。パンチを打つのは下半身が要であるため、本当は上半身だけの手打ちは良くないのだが、足にギブスをはめたまま、ミット打ちを繰り返した。

 

 復帰まで7カ月もかかったが、『掌底』という新たな武器を手に入れたことで、復帰戦の両国大会では、見事に外国人選手をKOできた。「ピンチをチャンス」に変えた僕は勢いが止まらず、数年後には団体のエースである高田延彦選手と両国大会のメインを飾るところまで上り詰めた。その後のレスラー人生も波乱万丈ではあったものの、そのたびに逞しくパワーアップして帰ってきた。最終的に業界トップの新日本プロレスで引退したことがそれを証明していると思う(少し引退は早かったが……)。

 

 どん底状態であっても「あきらめずに前向きに考える」ことで、すべてをチャンスに変えてきた自負が僕にはある。だから「ピンチはチャンス」なのだと断言できるのだ。さすがに今回のがんは、これまで経験したことのない最大のピンチではあるが、良いイメージを繰り返し、前向きに考え続ければ、必ずやビッグチャンスが訪れると信じている。


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