ボクサーにとって、リーチ差はともかく、身長差は必ずしも競争優位性を保証しない。短駆のボクサーが貝のようにガードを固め、低い姿勢を保った場合、攻め口を見つけるのは難しい。

 

 たとえば1970年代後半から80年代前半にかけて、フェザー級の日本王座を連続13回防衛するなど、国内では比類なき強さを誇ったスパイダー根本。彼の身長は155センチ。地を這うようにして相手との間合いを詰め、出口のない消耗戦に誘い込み、スタミナをむしり取った。一度、クモの巣にかかると、そこから脱出するのは容易ではない。試合が長引けば長引くほどクモの巣は粘力を増していった。

 

 元日本スーパーフェザー級王者・タイガー道上も身長157センチの小兵ながら、油断のならないボクサーだった。スピードも、さしたるテクニックもないのだが、元柔道選手らしく下半身ががっしりしていた。重戦車のようにじりじりと前進し、相手の懐に飛び込むと、車のワイパーのように左右のフックを振り回した。文字通り肉を切らせて骨を断つ――。短駆を最大限いかしたボクシングスタイルは不器用そうに見えて、実によく練り上げられたものだった。

 

 さる24日、WBC世界バンタム級王者アレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ)を6回TKOで下し、無敗で世界3階級制覇を達成した中谷潤人。これまでの安定した勝ちっぷりから、負ける要素は皆無のように思われたが、ひとつ気になっていたのが13センチの身長差である。挑戦者172センチ、王者159センチ。一度もKO負けを喫したことのないタフな相手だ。世界5階級王者のノニト・ドネア(フィリピン)に打ち勝った実績も侮れない。

 

 とはいえ、身長とリーチで勝る中谷が足を使って有利な距離をキープすれば、そうそう懐を脅かされることはない。序盤はリスクを避けるのか。ところが中谷は初回からスタンスを広くとり、いつもより低い姿勢で侵入に備えた。出鼻を集中的に叩くのが狙いだ。入り口で被弾したメキシコ人は、ついに戦端を開くことができなかった。

 

 勝負を決めたのは長槍のような左ストレート。中谷は元々右利きである。利き腕でないことが逆に幸いして「力みなく打つことができる」と本人。離れてよし、接近してよし。この日もオールラウンダーの本領を余すところなく発揮した。

 

 周知のように中谷は中学卒業後に渡米し、時を経て、今の地位を得た。その経歴から、つい“雑草”“叩き上げ”と書いてしまいそうになるが、昭和風のレッテル貼りはよくない。マイクを向けられると、まず敗者を称えるなど、そのスタイリッシュなボクシング同様、マナーも洗練されている。

 

 無敗の世界3階級王者にして、それでもなお成長途上に見えるのは、彼のボクシングの奥行きが恐ろしく深いためだろう。「ネクスト・モンスター」とは言い得て妙だ。

 

<この原稿は24年2月28日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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