サッカー界の七不思議のひとつに「ブラジルはオリンピックでは優勝できない」というジンクスがあった。

 

 

 サッカーがオリンピックの正式競技に採用されたのは1900年のパリ大会からだが、最多優勝国はハンガリー(52、64、68)とイギリス(1900、2008、12)の3回。アルゼンチン(04、08)、ウルグアイ(24、28)が2回で続く。

 

 ブラジルは銀メダル3回(84、88、12)、銅メダルを2回(96、08)獲得しているが、リオデジャネイロ五輪を迎えるまで、オリンピックの頂点に立ったことは1度もなかった。ワールドカップでは5回もチャンピオンになっているにもかかわらず、である。

 

 オリンピックに力を入れていなかったわけではない。オーバーエイジ(OA)枠が導入された96年アトランタ大会では2年前のアメリカW杯でブラジル代表を24年ぶりの世界一に導いたFWベベット、DFアウダイール、そしてMFリバウドと3人の23歳以上をメンバーに揃えたが、3位に終わった。日本のU23代表がブラジルに勝利したのもこの大会である。

 

 今回の五輪は地元開催ということもあり、ブラジルにとっては負けられない大会だった。当然のごとくOA枠をフル活用した。その中心がFCバルセロナで活躍するFWネイマールである。

 

 ネイマールの実力については改めて説明の必要もあるまい。07年に17 歳でブラジルの名門・サントスFCとプロ契約。 12年には南米年間最優秀選手を受賞。 13年には欧州屈指の強豪バルセロナFCへ移籍。 14-15 シーズンにはクラブの3冠達成(リーグ戦、カップ戦、UEFAチャンピオンズリーグ)に貢献した。リーガエスパニョーラに慣れた今季は24ゴールを記録した。

 

 ネイマールの活躍なくして、王国の悲願達成がないことは、ブラジル人でなくても分かっていた。そして王国は最高の結果を迎える――。

 

 決勝の相手はドイツ。2年前のブラジルW杯では準決勝で対戦し、1対7と惨敗した。これはスタジアムの通称から“ミネイロンの惨劇”と呼ばれる。王国の住人たちは深く傷付き、悲しんだ。一部の者は暴動に走った。このゲームにネイマールは出場していない。準々決勝のコロンビア戦で悪質なチャージを受け、病院送りにされた。診断の結果は腰椎骨折。この時点でネイマールのW杯は終わった。

 

 因縁の相手に対し、前半26分、ゴール左約28メートルの位置から右足で直接FKを決めた。6万3707人を収容したマラカナン競技場が沸騰した。

 

 その後、同点に追い付かれ、試合はPK戦へ。最後のキッカーとして登場したネイマールは、落ち着いてゴール右に決めた。天を仰ぎ、ひざまずく。仲間たちが駆け寄ってくる。その歓喜の中心に背番号10はいた。

 

 ブラジル人にとってサッカーは特別な競技である。国技で金メダルを逃していたら「リオ五輪は成功した」との評価を得たとしても、画竜点睛を欠くものになっていただろう。それを救ったのがネイマールだった。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年9月11日号に掲載されたものです>

 


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